昼と夜、それぞれの胎動【2】

 



 白い大理石で作られた回廊を足音もたてずに大聖堂に向けて歩く。

 ここはホルス神を祀る数々の神殿の総元締めであり、ホルス神が唯一地上へ姿を現す場所――彼の神の名を冠するウジャト神殿。

 白を基調にしたこの神殿はなんとも物静かで重厚な造りだ。大の大人が二、三人でやっと囲めるほど大きな石造りの柱により支えられている。また、大理石造りの回廊が冷たい印象を与えていると言えた。

 とは言え、天井の高い位置に設けられた複数の飾り窓から、太陽の光が目一杯差し込むように工夫されたているため、石の冷たさはそれほど気にならない。

 いや、飾り窓以前に、この神殿では各地から集まった神官達が修行に励んでいるのだ。その信仰深い神官達の熱気がそうさせているのかもしれない。

 またこの神殿にはそんな神官達の長たる神官長が常駐している。

 そして、セフィアを呼んだのもその神官長だった。

 けれど、セフィアは神官ではない。

 神官と同じように白を基調とした服――黒いアンダーの上に、腕を隠さないように脇のあいた白い貫頭衣を羽織り、腰には包帯ほどの太さの腰紐を巻いて、肩まわりは白いショールで隠されていた――を身に纏っているが、その胸や腕には神官が決して身に纏うことのないような煌びやかな装飾が揺れている。

 先ほどから煩いくらいに足音をたてた神官達とすれ違う度、その顔が顰められる様を思い出して自嘲気味に笑った。

 自分は拙い娼婦にでも御見えになったのかな。

 セフィアは、この神殿に居ることは少ない。だから多くの者は、自分を男だとは気付かれてはいないだろう、と思う。

 まるで鼈甲細工のように繊細で、艶やかな蜂蜜色の長い髪。

 雲ひとつない空を思わせる、澄んだ瞳。

 旅慣れている割には、日焼けの少ない白い肌。

 一見。

 容姿だけをとると、セフィアは清潔感漂う乙女のようであった。

 けれど、胸元に揺れる装飾具とセフィア自身の放つ不思議な威圧感が、どうしてもそれを否定する。

 だから、神官達の勘ぐりは安易に予想できた。

 女と見紛うほど美しき神子・セフィア。 

 それが、セフィアの正体だった。

 神子は神々に舞を捧げ、その身をも神に捧げる者。

 歴代の神子の中でも最高の舞手と称される神子・セフィアは壁に飾られたホルスの肖像画にちらっと目をやった後、大聖堂に急ぐべく足を速めた。





「セフィア、遅かったではないか!」

 

 広い大聖堂でただ一人、ホルス神の像の前に跪き祈りを捧げていた神官長は、セフィアの気配を感じ立ち上がった。父と旧知の仲である神官長からは、言葉では責めていても、セフィアの登場を喜んでいる節がありありと窺える。


「遅れて申し訳ない。ですが、これでも父から連絡を受け、旅先から慌てて帰ってきたんですよ」

「また世界を見るため旅に出ていたのか?」

「ええ、私の舞は瞳を失ったホルスに世界の状態をお伝えする為のもの。日頃から世界を見詰めていなければホルス神の心に響く舞は舞えませんから」


 セフィアの話の節々に出てきたホルス神の名に神官長の肩が揺れた。この人は人の上に立つ以上、自分の考えを安易に人に探らせない術や悟らせない術を学ばなければならないな、と思いつつ、セフィアは言葉を続ける。


「で、急ぎ私を呼び戻すとは、何があったのですか?」


 神官長は言い難そうに自らの髭に手をやり、無造作に髭を撫でながら辺りを見渡した。そうして人影がないことを確認し、セフィアに顔を近付ける。


「ホルス神が降りてきていらっしゃる。大切な話があるそうだ」


 神官長がホルス神の像の足元にあった敷石の一つを強く押した。

 するとゴゴゴゴゴと何か重たいものが動き出す音がして、足元に目を向けると地下へと続く階段が現れる。

 準備が良いことに、神官長は祭壇に置かれた燭台に火を灯し、一つをセフィアに渡した。

 降り立つ回数自体は少ない。とはいえ、本来この大聖堂に堂々と降り立つことの多いホルスが態々人目を忍んで、話さなければならないこととは何だろう。セフィアは燭台を受け取ると、柄にもなく緊張に体を強張らせ、地下へと続く階段に足を踏み出した。





「やあ、セフィア、久しぶりだね」

 

 何段もの階段を延々と降りて行った先、地下とも思えぬほど明るい部屋で、ホルスはそうのたまった。それも、緊張していたことが馬鹿馬鹿しくなるほど鮮やかな微笑を浮かべて。

もしかしたら、この微笑みと彼の放つ神気が部屋を思った以上に明るく見せるのかもしれない。そう冷静に分析しかけて、


「って、何が、久しぶりだね、だ。人を呼び付けておいて、自分は何寛いでいやがるんだよ」


 セフィアは手にしていた燭台をテーブルへと叩き付けた。

 突然変わったセフィアの雰囲気に、後から降りて来ていた神官長は部屋に入ることもできず立ち尽くしている。

 ホルス神の怒りをかうのではないかと内心気が気でないようだ。


「あはははは。随分な言い様じゃないか、セフィア。ちっとも変わっていないな」

 だが、そのような心配は無用とばかりにホルスは声を上げて笑い、立ち上がると、セフィアに手を伸ばした。目の見えないホルスが何を頼りにセフィアの正確な立ち居地を把握したかは知らないが、ホルスの手は迷うことなくセフィアの顔に伸び、その輪郭を確認するかのように顔の上を優しく撫でたのである。

 セフィアは黙って、暫しの間その行為を受け入れていた。


「うん、やはり、セフィアは変わっていない」


 数分してホルスは満足したのかセフィアから手を離すと、再び椅子へと腰を落ち着けた。


「当たり前だろ。そうそう顔の形が変わってたまるか!」

「違うよ。顔が、ではなく気が、だ。セフィアの気は心地よいし、世界の状態を如実に伝えてくれる。いつもありがとう、セフィア」

 

 ホルスの素直な感謝の言葉に、気恥ずかしさを覚え、セフィアの顔が赤く染まる。


「そんなこと当たり前だろ。俺はお前に遣える神子なんだからな」

「ああ、だから私の神子でいてくれてありがとうといっているのだよ」


 いつもはこうしてお礼を述べることなどないホルス。神だから真実以外を口にすることはない。けれど、口にする言葉を選ぶホルスが素直に礼を述べたことに、セフィアは少々違和感を覚えた。


「今日のお前何か変だぞ」


 その違和感を迷うことなく口にすれば、ホルスは湛えていた微笑みを収め、俯いた。


「そうかもしれないね……」


 返ってきたのは――

 またも。

 素直な言葉。

 そして俯けていた顔を、ホルスはゆっくりと上げた。


「さて、そろそろ本題に入ろう。長い話になる。二人とも座りなさい」





「日蝕の日が近付いている」


 ホルスの話はその一言から始まった。

 ここ数百年訪れることのなかった現象の名に、セフィアと神官長は顔を見合わせ、首を傾げる。

 太陽が影に隠れ、その光が地上にしばしの間届かない日蝕という現象自体は知っている。

 しかし、その現象が起こる日が近付いていることに何をそんなに危惧するのか。

 だが、その疑問はホルスの次の言葉で打ち消された。

 危惧する要因は十分すぎるほどあったのだ。


「日蝕――それは、唯一太陽の力が弱まる日だ。そんな日をセトが見逃すと思うか?」


 セト――ホルスとの戦いに敗れ北の地に去っていった、ホルスの叔父であり、先代最高神の弟に当たる存在。

 兄の跡を継ぎ最高神となることを望んだセトは、一度はホルスとの戦いに敗れはしたものの、太陽と月を司るホルスの両眼を抉り出しホルスに深手を負わせると、月の瞳を持ち去り、未だホルスから最高神の座を奪おうと隙を狙っているというのである。

 しかも、一部では現在この国が少しずつ砂に覆われつつあるのは、そのセトが持ち去った月の瞳の力によってめっきり降雨が減ったからだという見解もあった。


「セトは私の片眼、月の瞳を持ち去っている。最悪の場合、その力を使い、太陽の光は一生失われ、夜の闇に覆われた世界に変えてしまうかもしれない」

「何だと。ホルス、もう一度言ってみろ」


 ホルスの言葉に黙って耳を傾けていたセフィアだったが、ホルスの放った一言にこれ以上我慢できないとテーブルに拳を打ちつけ立ち上がった。あいた方の手は迷うことなくホルスの胸倉を掴み、セフィアはあらん限りホルスに顔を近付けると、平静を保っているホルスの顔を睨み付けた。


「セフィア、少しは落ち着いたらどうだ。君らしくもない」


 一人おろおろする神官長を他所に、当事者であるホルスは落ち着いてセフィアに腕を解かせる。セフィアは、ホスルの言葉に今の自分がただの八つ当たりにしか見えないことに気付き、チッと舌打ちをすると、すとんっと力なく椅子に倒れこんだ。


「らしくなかった、のは認めるよ。だけど、そんな話を聞かされて落ち着いていられる訳がない」

「まったく、下手な混乱を招かないために、お前達二人だけに話すことを決めたというのに……セフィア、お前が取り乱してどうする。やはり、お前はまだ若いのだな。見よ、神官長のこの落ち着き様を」

「若くて悪かったな!  おじさんの場合はショックで口が聞けないだけだろ。それに、お前が混乱を避けるために秘密裏に降りてきたことぐらいわかっているさ」

 

 先ほどから一言も言葉を発していない神官長にちらっと視線をやったセフィアは、軽口をたたける程度には落ち着きを取り戻してきている。


「それで、そのセトの企みを阻止する方法はあるのか?」

「あることには、あるな――太陽の瞳を見つけ出し、月の瞳を取り戻すことだ」

「太陽の瞳と月の瞳を?  月の瞳はセトの手の内だし、太陽の瞳は行方知れずって聞いたぞ」

「ああ、そうだ。だが、太陽の瞳の在り処はわかっている。あれはセトの持ち去った月の瞳が与える影響を軽減するために秘密裏に地上に降ろされたのだよ」


 まるで人事のように自らの瞳のことを語るホルスに、セフィアは呆れたように溜め息を吐いた。太陽の瞳、もしそのホルスの片眼が地上に降ろされていなかったなら、自分はこの神の神子にならずに済んだのではないか。そう思うと、少々憎たらしい。


「で、その太陽の瞳はどこに?」

「夜の世界との境界に位置する村に――太陽の瞳を手に入れ、月の瞳を取り戻しに行くには好都合だろ?」


 ホルスの物言いにセフィアは再度溜め息を吐いた。その物言いから察してしまったのだ。


「お前、俺にその役目を任せようとしてるだろ」

「よくわかったな」

「あまりわかりたくもなかったけどな。というか、お前自身が動くのが一番手っ取り早くないか? 何でお前が率先して動かないんだよ!  いつもなら人頼みになんかしないだろ」

「私とて、そうしたいのは山々だ。だが、神――とて、万能ではない。今回の件で、神界の方もバタバタしている。私が長らく留守にする訳にはいかない。それに、両瞳を持たぬ私は、今、刻々と伸びつつあるセトの脅威から我が民を守るのが精一杯なのだよ」


 滅多に聞けないホルスの弱音に、セフィアはホルスの苦悩を改めて理解したような気がした。






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