小さな手助け
幾度も失敗して、挫折して、それでも立ち上がり――やがてニャーンはついに辿り着いた。探し求めていた答え、目指した境地に。
「できた……」
確信を持って呟く。宇宙から一つの星を見下ろし、そこで生きる多くの命を見守り、これからの未来が明るいものになっていくと信じて結論を下す。
「私……やれましたよ、アイム」
これでようやく胸を張って彼に会える。涙が零れ落ちて無重力の宇宙で球体となり、凍り付いて落ちて行った。神たるこの身から少しでも離れた途端、通常の物理法則の干渉を受ける。
逆に言えば、この身と共にある限り絶対零度に近い空間でも涙が凍ることはない。何故なら彼女は人の理から解き放たれた存在。
今、本当にそう呼ばれるべきものになれたと実感する。
「できました……やっと……やっと……」
氷の粒が次々に生まれ、星の重力に引かれて落ちる。眼下の青い惑星、彼女の生まれた星と良く似た星の『悪意』は取り払われるだろう。まだ完全にではないけれど、やがてそうなる。
それで良かったのだ。彼女はただ、ほんの少し手助けをするだけで良かった。
「ありがとう、プラスタちゃん……キュート……」
『お疲れさま。本当に……頑張ったわね』
【貴女自身にも感謝し、労うべきです。最も努力したのは貴女なのですから】
「うん……そうだね。すごいよ、ニャーン・アクラタカ」
こんなにも自分の名を誇らしく思えたことは無い。
これからもきっと、これ以上の瞬間は訪れないと思う。
「ついに成し遂げたな」
「アルトゥール様」
いつ以来だろうか? 久しぶりに現れたアルトゥールも祝福してくれた。ニャーンが彼女の見ていた『か細い未来』を掴み取ったことを確信して。
――ニャーンは力の使い方を変えた。何度も失敗を繰り返したことで、大半の『悪意』は広範囲に拡散し偏在していると理解できたことがキッカケである。
悪意が偏在するからこそ、彼女もまた怪塵を拡散させて広い範囲で小規模の干渉を行った。ユニのような強大な悪に立ち向かうには、こちらも数多の善意を集合させ対抗する必要がある。たった一度のあの成功体験が彼女にそう思い込ませていた。
けれど違う、もっとずっとささやかなことでいい。あの少年からもらった一言、優しさに満ちた言葉が教えてくれた。
そう、ほんの少し、いつもより他の人を思いやれるような、そんな優しさを全ての人々に持ってもらえればそれで良かった。
彼女をホウキの柄とするなら、地上の人々は穂の部分。一人一人が心に秘めた優しさを解き放ち、隣にいる誰かの悪意を清める。全体から見たら小さな変化。だとしても繰り返されていけば未来は変化する。すぐにではなくとも確実に良い方向へ進み始める。
「たくさんの人が、これからも苦しむことになります。私には全員を助けられる力がある。けれど、だからって無責任に力を使ってはいけないんです。大きな力が強引に変化を起こせば、もしそこに間違いがあった場合に取り返しのつかない歪みを生み出す」
だから受け入れた、全ての人間は救えないと。その結果、未来をもっと悲惨なものにしてしまうかもしれないのだから。
結局はアルトゥール達と同じ。彼女も多数の幸福のために少数の犠牲に目を瞑る。
ただし全く同じではない。だったらここにアルトゥールは現れない。
「それでいい」
過去現在未来の全てを見通す女神は肯定した。彼女には結果がすでに見えている。ここまで確度の高い予知なら確定したと言ってしまっても良い。
「君の干渉によってこの星の未来は変わった。まだ数多くの分岐があるし、君が望んだ未来へ到達するまでの過程でもたしかに君の言う通り多くの血が流されるだろう。そこまでしても最良の未来に辿り着くとは限らない。だが破滅は完全に回避された。少なくとも今、私の能力で見える限りの未来にそれは無い」
あの星に生きる人々はニャーン・アクラタカがその奇跡を成し遂げたと知らない。彼女の記憶は直接接触したほんの僅かな者達の中にしか残っていないし、やがて語る者さえいなくなって歴史の彼方へ消え去って行く。
でも構わない。ニャーン自身がそう望んでいる。名声なんてどうでもいい、欲しかったのは星が救われる『結果』と、その先にある『未来』だけ。それは彼が許される世界。
「戻ろう」
アルトゥールは再び扉を開いた。旅立ちの時と同じデザインの扉、ニャーンが神としての使命を決定付けた時にもう一度開くと約束した道を。
「君の帰りを待つ者達のところへ」
「……はい」
アイムが待っている。絶対待っていてくれる。そう信じたからこそ、この答えに辿り着けたとも言える。
ニャーンは扉をくぐる前にもう一度、初めて救うことができた星へ振り返った。
アルトゥールの言う通り、あの星の人々の未来には数多くの困難が待ち受けている。だとしても、それは神の力で強引に解決すべき事柄ではない。彼等が自分で悩み、足掻いて、失敗から学び解決していくべきこと。
誰も彼もを救おうなんて傲慢だ。人も神も、できることには限りがある。自分には彼等を信じて背中を押してあげることが精一杯。弱さを認めることも大切。アイムがいつもそうしてくれていたおかげで気付くことができた。彼もきっと、この不出来な相棒を育てるのに酷く苦心させられたに違いない。
そんな彼の育て親はオクノケセラ。オクノケセラをそういう神にしたのは創造主。親から子へと、師から弟子へと、人から人へと信頼は受け継がれる。きっとこれからも同じことの繰り返しで歴史は紡がれていく。
信じて次に託す。それだけが未来を掴み取る方法。優しさは相手を信じてあげるためのキッカケとなる感情。どんな人だって変われる。どんな未来も変えられる。そう信じることが一番大切だと彼女は思う。
もちろん、もう一人の恩人にも感謝している。あの少年は今も目の前の星で元気に暮らしているはずだ。しばらく二人で行動して、優しい人を見つけて引き取ってもらった。そんな彼からの感謝の気持ちが神の権能を通じて伝わって来る。
この星で唯一の彼女の信徒。彼の未来にも幸多からんことを。そう願い、これ以上の干渉は不要だと改めて自分に言い聞かせる。
きっと大丈夫。彼は姉との約束を守る。何があっても生き続け、幸せな人生を歩む。
「ありがとう……頑張ってね」
感情、心、人の想い。
それについても思うところがある。
「アルトゥール様……本当は『悪意』なんて無いのかもしれません」
「何?」
「心はみんな持っています。それを誰かに向ける時、人それぞれに違う形にしてしまう。触れたら相手を傷付けてしまう形だとわかっていて、なのにそれしか作れない人もいる。きっと仕方のないことなんです」
もちろん、だからって相手を傷付けて良いという話にはならない。でも、傷付けたくて傷付けているわけではないんじゃないかなという、そういう話。彼や彼女にとってはそれが唯一の愛情表現なのかもしれない。
そうでなくとも、誰かに向けた優しさが他人からは『悪意』と取られてしまうこともあるだろう。相手の望まぬ形で接することは、それだけで暴力になりうる。
人の心はきっと神々が思うより複雑だ。人間自身にだって理解しきれない。だから安易に悪意という言葉で一括りにして否定すべきではない。
「私は、間に入ってあげたい。誤解を解くキッカケをあげたり、鋭く尖った心の形を少しだけ丸くしたり。相手を深く傷付けすぎないように、傷付けてしまったとしても、また仲直りできるようにできたらなって、そう思うんです」
「仲直り……」
アルトゥールは、まるで初めて聞く言葉のような面持ちになった。
彼女達六柱は意見を違えたオクノケセラと最後まで袂を分かったままで終わってしまった。神はそれぞれが自分の使命に忠実に生きている。だから一度も関係を修復する機会を得られなかった。
でも、やっぱりそうしたかったのだ。特に彼女達は親友だったから。
(もし、あの時代にこの少女がすでにいたなら……)
いや、過ぎてしまったことを悔やみ続けてもしょうがない。彼女は深いため息をついた後、一転して晴れ晴れとした表情で頷く。
「そうだな。それが、これからの君の使命だ」
「はいっ」
認めてもらえたこと、そしてアルトゥールの本音が垣間見えたことに嬉しくなって、ニャーンも明るく笑った。
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