祓い清める者

 ――突然目の前に扉が出現した。驚愕しながら数年ぶりに立ち上がるアイム。長らく使っていなかった筋肉が悲鳴を上げたが我慢してそのまま待つ。

 思ったよりも長い沈黙。それでもやがて扉が開いた。そしてようやく待ち望んでいた少女の姿を目の当たりにした途端、彼は涙を堪え切れなくなった。


「ニャーン……」

「アイム!」


 嬉しそうに笑う少女。その長い髪は純白になった僧服と同じように白くなり、顔の右半分を仮面で覆い隠してある。すぐに酷い火傷のせいだと気付いた。右腕の肘から先、さらに両足も部分的に欠損して怪塵で補っている。


「ただいま!」


 笑顔だ。再会を心の底から喜んでいる。でも、その疲れ果てた顔と傷付いた姿を見ればどれほど苦難に満ちた旅路だったか想像できた。きっと、そんな自分の想像以上に困難な試練を乗り越えて来たのだとも。

 アイムは泣き続ける。こんなに涙を流したのは彼にとって生まれて初めての経験。

 やはりついて行きたかった。近くにいて守ってやりたかった。そうしたら、こんなに傷付くことなどなかったはず。彼女をこんな目に遭わせた連中にも鉄槌を下せた。罪悪感と後悔の念、そして強い怒りに煮え滾りながら一歩一歩近付いて行く。

 でも彼は両腕を広げた。ニャーンも応えて同じように腕を広げて屈み込む。身長差のせいでそうしないと抱き合えない。


 辛い、悲しい、申し訳ない。怒りに狂いそうだ。暴れ出したい。

 なのに同時に誇らしい。喜びが負の感情を塗り潰す。


「よう、やった……よく、帰って来た……お主は、ワシの誇りじゃ……」

 この少女と出会えた幸運に感謝している。彼は今、本当に尊い者をその腕で抱いた。ここに誕生した新たな神、世界で最も素晴らしい命を。

 互いに抱き合ったままニャーンも涙を流す。こちらこそと思いながら。

「ありがとう、ございます……私も、貴方に会えて良かった……」

 二人はしばらくそのまま互いの無事を相手のぬくもりによって確認し合った。




 やがて、ニャーンに続いて扉をくぐって戻って来たアルトゥール以外の神々も約束通りその場に集い始めた。やはり数年ぶりに守界七柱が一堂に会す。

 彼等もまたニャーンとアイムを取り囲むように立ち、裁定の時を待っている。

「妾はもうご存知だけれど、皆には説明してあげたら?」

「そうだな」

 ケナセネスラに促され、ニャーンの成し遂げた奇跡について語るアルトゥール。神々は全員納得顔で頷く。

「なるほど……ささやかな手助けか」

「そんなことで良かったとは」

「意外と簡単だね」

「いや、これは儂らには難しかろうよ」

 頭を振るストナタラス。守界七柱は元から神として創られた。その視点は人間のものより遥かに大きく広範。しかも災禍の鎮圧以外では直接文明に干渉することを禁じるルールまである。ゆえにこそ見落としていた可能性である。

 答えを知った今でもニャーンより上手くそれを行える者などいないだろう。人として生まれた神だからこそ彼女はルールを逸脱できる。より人界に密接に関われるのだ。しかも彼等と同等の視点で物事を見られる。当然、他の誰よりこの使命に適している。

「ウーヌラカルボ、君はこの中では彼女に次いで人の営みに近い立場にある。だからそう思ったのだろうが、それでも彼女以上にできるとは思えまい?」

「まあ、そうだね。一時的な代役くらいは務まるかもしれないが、それが限界だ」

 彼等六柱にはそれぞれが担っている本来の役割もある。だから負担を増やされてしまっても困る。ただでさえオクノケセラがいなくなったために当面は各自で少しずつ彼女の使命を肩代わりせねばならないのに。

 だから彼は賛成した。もはや決を採るまでもないだろうが、このような場では形式を守ることも重要である。正しく執り行われた儀式は神格を高めてくれる。

「糧神ウーヌラカルボはニャーン・アクラタカを新たな七柱として認める」

「盾神テムガモシリも受け入れよう」

 続けて同意する巨漢。アルトゥールがアルヴザインに顔を向けると、最も幼く可憐な容姿の神は嘆息しながら渋々といった体で追従した。

「不安は残るが……よかろう、言神アルヴザインも容認する」

「素直じゃないわね、アルヴったら。もちろん知神ケナセネスラも歓迎よ、仲良くしましょう子猫ちゃん」

「あ、ありがとうございます……」

 投げキッスをされて困惑するニャーン。どうしてだろう? 時々この女神の視線には身の危険を感じる。

 直後、例によって物静かで目立たないストナタラスもさりげなく皆に続いた。

「鍛神ストナタラス、賛成だ」

 彼の場合、やはりニャーンよりアイムに興味があるらしい。興味深い観察対象が処分を免れたという事実に対し喜んでいる。心を読むまでもなく視線と表情で丸わかり。

 最後にアルトゥールが改めて宣言を行う。


「眼神アルトゥール、同胞五柱の選択に同意する。ニャーン・アクラタカ、君をこれより我等守界七柱の新たな一柱『箒神そうしん』として迎え入れる」


 その言葉に軽い驚きを覚えるニャーン。というより、どういう意味かわからなかった。

「そう、しん……?」

「箒の神。悪意を祓い清める君の使命を表すのに最も相応しいのではないかと思ったのだが異論があるなら言ってくれ、再検討しよう」

 この名前は六柱で協議して決めた。しかしアルトゥールは『悪意なんて本当は存在しないのかもしれない』というニャーンの説に対しても一定の共感を覚えた。だから別の名前が良ければ今度は本人も加えて全員で協議して決めたいと思う。

 そう正直に伝えると、ニャーンは少し考えてから頭を振る。

「そうしんで大丈夫です。私、自分でもホウキみたいだなって思ってましたから。それに修道院にいた時に毎日掃除してたのでホウキを使うのは得意なんですよ」

『嘘つきなさい、アンタはドジばっかりでホウキもチリトリも苦手だったじゃないの』

 ニャーンの見栄をすかさず台無しにするプラスタ。キュートまで追い打ちをかける。

【神たる者が嘘をつくのはどうかと思います】

「う、嘘じゃないもん! 毎日お掃除してたのは本当だもん!」

「なんじゃオイ、見た目はともかく中身はあまり変わっとらんな」

 笑うアイム。もちろん、それでこそだと喜んでいる。彼は彼女が元のニャーン・アクラタカからかけ離れてしまうことを恐れていたのだから。

 だが、話はこれで終わっていない。むしろここからが本題。覚悟を決めて自らアルトゥール達に訊ねる。

「で? ワシはどうなるんじゃ?」

「ああ、それについても決を採ろう。私は変わらず君の生存に票を投じる」

 アイムは今なお宇宙の脅威である。しかし、その力がこの宇宙を滅ぼす未来を招くことは無いと断言できる。

「ニャーン・アクラタカと共にある限り、君は大丈夫だ」

「ふん、まんまと手綱を握らせたっちゅうわけか」

 思えば全てこの女神の思惑通りだ。手の平で踊らされた気がして少し腹立たしい。

 しかし当の女神は「違うだろう」と返す。

「私が何かをするまでもなく、君はすでに預けていたはずだ。自らの意志で彼女に自分自身の未来を託した」

「……まあ、そうかもしれん」

 たしかに。ユニを許したあの時、そうした。彼はここに来る前にとっくに託していたのだ、自分と星の行く末を、隣に立つ少女に。

 ニャーンを見上げる彼。その眼差しから強い信頼を感じ取った他の五柱もアルトゥールの決断に続く。

「ケナセネスラ、やはり彼の生存に一票」

「ストナタラス、当然同じ結論だ」

「テムガモシリ、許そう」

「ウーヌラカルボ、この後で僕の飯を食うってんなら許してやる」

「しつこいなお主も。わかった、ニャーンが帰って来た祝いに食おう」

「食わせてもらいますだろ! まったく、お前は嫌いだが約束は約束だ。それにニャーン嬢は気に入ったからな、いいよ、生きろ。その方が彼女には嬉しいだろう」

「おう」

 そして全員の視線が最後のアルヴザインに集まる。彼は、またしても不服そうな顔でそんな一同の顔を順に見渡した。

「この状況で反対しては我だけが悪党のようではないか……まったく、どうなっても知らんからな。条件付きで認める」

「条件?」

 ニャーンに問われた彼は、彼女をまっすぐに見て告げた。

「無論、そなたがしっかりと手綱を握っておくことだ。少しでも緩めるようなことがあれば即座にその獣を処分する。ゆめゆめ忘れぬようにせよ」

「――はいっ」

 何故か顔を綻ばすニャーン。逆にアルヴザインは舌打ちする。

「心を読めるのだったな、やりにくい娘だ」

「お優しいんですね」

「チッ」

 また舌打ちして姿を消す彼。

 ところが、すぐにまた戻って来た。大事な儀式が残っていると思い出したからだ。実はドジっ子なのである。

「ええい、忌々しい。早く終わらせよ、我等はそんなに暇ではない」

「わかった」

 了承してニャーンへ近付くアルトゥール。そしてこの少女を新たな守界七柱として迎えるための最後の儀式が開始された。

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