見送り(1)
一週間後、ニャーンとアイムは第四大陸の南部にいた。つまりは先日の戦いで軍が集まっていた平原なのだが、今は二人を見送るために多くの者達が押しかけている。
ここに大勢集った理由はもう一つある。他大陸から多数が移住を希望し渡って来たからだ。大量の怪塵が降ったことによる激闘とユニが引き起こした数々の大災害で土地そのものが甚大な被害を受けた場所が多かった。第四大陸もそれは変わらないが、この地域はそれでもダメージが少なくて済んだ方なのである。津波が発生した直後にスワレとキュートが迅速に対処したことが理由として最も大きい。
さらに千年前に赤い凶星の欠片が落下して生まれた内海では海洋生物の被害も少ない。外海では彼等の被害も甚大で食糧難が危惧されているのだ。この状況で獲物が豊富に獲れる海が残ったことは実にありがたい。
移住希望者の大半は第六大陸の民。ニャーンによる防衛機構の配備を断った彼等は大量の怪物が出現した時点で壊滅的な被害を受けてしまった。そこに天変地異による追い打ちをかけられたため、自力での復興は困難極まりない。
他には粉々になってしまった第五大陸の生き残りもいる。当然ながらテアドラスの民もその中に含まれた。
あの綺麗な村が無くなってしまったことは残念だが、皆が生き延びてくれたおかげでアイム達は救われた気持ちだった。
もちろん死者達への哀悼の気持ちもある。キュートの観測によると人口は戦いの前の三分の一にまで減少したそうだ。多くの命が喪われ二度と帰って来ることは無い。
だとしてもやはり、その事実に打ちひしがれるよりも、あの大過から三分の一が生き残って共に復興の道を歩めることに喜びたい。多くの人がそう思っているから大半は表情が明るい。
「本当なら残ってお手伝いをしたいんですけど……」
俯くニャーン。この苦境の中に人々を置いて旅立たねばならないなんて。できればもっと復興に協力したかった。そんな彼女に、けれどもアイムが言う。
「アホウ、ワシらが行かねば根本的な問題が解決せん。何も恥じる必要は無いんじゃ」
「それは、わかってますけど……」
「わかっとるならシャンとせんかい! 背筋を伸ばせ!」
「いたっ!? 背中を叩くのやめてください!」
「猫背になっとるからじゃ!」
睨み合う両名。スアルマとヌダラスが高らかに笑う。
「ハッハッハッ、仲の良いことだ」
「その調子で道中もケンカなどせんように」
「今、ケンカしてます!」
「そんなものはケンカのうちに入らん」
今度は苦笑するヌダラス。彼等も負傷し包帯を巻いているが、幸いにもあの大過の中を五体満足で生き延びた。大国の王たるもの運も強いのかもしれない。
「本当のケンカというのは、こうやる」
言うなり、いきなりスアルマの頭を叩く。するとスアルマも即座にヌダラスの鼻を殴った。
「ふごっ!? か、顔は無しだろ! この野郎!」
「ぬぐっ!? そっちこそ二度も叩くな!」
「先に反則したのはお前だ!」
「腹を怪我しとるから気遣ってやったんじゃい!」
「だったら足とかあるだろ! お前はいつも考えが足りん!」
「何を! 年甲斐も無く伊達男なぞ気取っておいて!」
「小太りの短足ジジイに言われたくはないわ!」
「いててて、髪は掴むな! ハゲる!」
「お前こひょ、頬を、ひっぱるんにゃないふぁい!」
いきなり大ゲンカを始めた二人に呆気に取られ、自分達の諍いを忘れるニャーンとアイム。少し経ってから我に返って止めに入る。
「ど、どうしたんですか!? なんで急にっ」
「小芝居から本気のケンカになっとるぞ馬鹿ども。ええ加減にせい!」
アイムが間に入って強引に引き離した。おろおろうろたえていたニャーンは彼の言葉に眉をひそめる。
「こしばい?」
「最初は笑いながら殴り合っとったろ。何か言いたいことがあってやったに違いない」
「いてて、まあ、そういうことだ」
「うむ」
止めてもらってようやく冷静さを取り戻す王と皇帝。周囲からも奇異の目を向けられている中で居住まいを正したかと思うと、互いに目配せして頷き合ってからニャーンの前に跪く。
「ニャーン・アクラタカ様」
「我々はここに宣誓します」
「え? え?」
「貴女が我々の神となった以上、二度と人間同士の愚かな内輪揉めはいたしません。今のを最後と固くお約束する次第」
「次の攻撃に対しても一丸となって立ち向かう所存。戦災復興に関しても同じ、国家と人種の区別無く協力して励んでまいります」
「ゆえに、どうかご安心を。この星のことは心配いりません」
「憂うことなく、お選びになった道を進んでください。我等一同、その道の先にこそ星の輝かしき未来があるものと確信しております」
つまり、どういうこと? 少しずつ視線を動かしてアイムを見ると彼が解説してくれた。
「もう戦争はしないから心配するなということじゃ」
「ああっ!」
やっと理解して手を打つニャーン。なるほど、それはとても嬉しい。たしかに不安に思っていたのだ人間同士の争いがまた起こるのではないかと。こんな状況で心が荒んでいる人も多いだろうし、他大陸からの移住者と元からの住民の間に軋轢が生じるかもしれない。
「ご懸念の通り課題は多い。しかし、それらは我等で解決します。お手を煩わせはいたしません」
「信じて下さい。お帰りになる頃には必ずや団結している姿をお見せすると」
「わ、わかりました。お願いします」
「はっ!」
「承りまして!」
ニャーンの了承を得てますます深く頭を下げる二人。別にそんなことしなくてもいいのにと再びおろおろしてしまう彼女。
アイムは嘆息する。ニャーンは自分が何をしたかわかっていない。
「言質を与えおった」
これであの二人は『神様』からお墨付きをもらったことになる。自分達が旅立った後でさんざん偉そうな顔をするだろう。
とはいえ馬鹿ではない。約束は必ず守るはず。しっかり仕事をするなら自分達の権威に少々箔を付け足すくらいのことは許してやってもよかろう。彼はそう判断して、それ以上は特に何も言わずジジイ二人の熱演を見守ることにした。
「ではでは、それでは」
「無事のお帰りをお待ちしております」
「ニャーン殿」
ヘコヘコ頭を下げる第四大陸の盟主達からようやく解放されると、入れ替わりにナナサンが前に出て挨拶した。こちらは必要以上にへりくだらない。
「お元気で。短い付き合いでしたが、また会えることを願っています」
「ありがとうございます」
彼女の敬礼に頭を下げて答礼するニャーン。ナナサンはこのままゾテアーロとバイシャネイルの連合軍を指揮し続けるらしい。危機はまだ完全に去っていないからだ。むしろニャーンとアイムの二人を欠いた状態で攻撃を受ける次からの戦いの方がより厳しくなる。
だとしても兵士達は果敢に立ち向かって行くだろう。彼女という勇敢な戦乙女に導かれて。あの戦いで能力を使って世界中の人々を繋ぎ励まし続けた彼女は、今や他の大陸の人々からも慕われている。第二大陸の船乗り達や第六大陸の生存者からも彼女の指揮下で戦いたいと志願する者が後を絶たない。
そして、勇ましい女性は他にもいる。
「私と兄も全力で留守を守ります。心配はいりませんよ」
「スワレさん」
数少ない同世代の友人との別れ。寂しさに胸を締め付けられるニャーン。
だから、今までずっと遠慮していて言えなかった言葉を言うことにした。もしかしたら最後かもしれないという焦りに後押しされて。
「あの……お願いが、あるんですけど……」
「なんですか? なんでも言ってください! ニャーンさんのお願いならなんであれ全力で応えてみせます!」
「我等全員の恩人だからな」
「頑張れスワレ」
村の老人達に励まされ、フンと鼻息を吹きながら右腕で力こぶを作る彼女。とてもやる気である。そんなに気負う必要の無いお願いなのでかえって気後れしてしまい躊躇するニャーン。するとその背中をまたアイムが叩いた。今度は軽めに。
「はよ言わんか!」
「ひゃっ!?」
「日が暮れるまでもじもじしとるつもりか! 散々練習しとったろうが!」
「み、見てたんですか!?」
「鏡に向かってあんだけしつこく練習しとりゃ嫌でも聞こえるわい。忘れとるかもしれんがワシの耳は人間より遥かに良いんでな」
そうだった、完全に失念していた。顔を真っ赤にしながら、それでもニャーンは改めてスワレの方に向き直り、きょとんとしている彼女の手を取ってようやく告げる。
「こっ、これからはスワレちゃんって呼んでいいですか!?」
「へっ?」
「そ、それで、できれば……私のことも、さんって付けないで呼んでくれたらいいな、なんて……いや、あの、好きに呼んでくれて構わないんですけど」
実はずっと気にしていた。仲良くなればなるほど、それでもけして敬語をやめてもらえないことを。自分自身も態度を改められずにいるのがさらに悲しかった。
友達なのに、そう認め合っていながらプラスタや院の皆と接していた時のように壁の無い関係を作ることができない。でも、そんな状態のまま旅立ちたくもない。
だから生来引っ込み思案なこの少女が勇気を振り絞ってお願いしているのだと、スワレもやっと察する。
「……あ、あの」
彼女とて迷いは無い。友達なのだから、そうしたいと内心では思っていた。ただ村の恩人だから常に敬意を払わなければと思い込んでいただけ。でも、それをニャーン当人が嫌だと言うなら希望に応えるべきだろう。
とはいえ兄以外に同世代の人間がいなかったテアドラスの民の彼女もやはり、ちょっとだけ人間関係の構築が下手なのである。握ってもらった手を強く握り返し、同じように真っ赤になりながらたどたどしく返答した。
「そ、そうします。いや、そうさせてください! じゃない、そうするよ! 私もニャーンちゃんと呼ぶので、遠慮無くちゃん付けで! 友達なんですから! じゃなかった、友達だから!」
「は、はい! って違う! うん!」
お互い、なかなか癖が抜けない。でも言いたいことは伝わった。照れながら互いの顔を見て嬉しそうに笑い合う。
そして、そんな二人をナナサンがこっそり羨ましそうに見ていたりする。ニャーン達よりかなり年上だが、どうやら混ざりたいようだ。普段が男社会の軍隊勤めなので女友達が少ないのである。
迷っているとチャンスを失ってしまった。我慢しきれなくなったズウラが妹の後ろからズイッと顔を出す。彼の事情も知っているナナサンは流石に邪魔にならないよう引っ込んだ。
気遣ってもらった青年は、それに気付かぬまま呼びかける。
「ニャーンさん!」
「あっ、ズウラさん……」
スワレに対するものとは別種の緊張を覚えるニャーン。実を言うと、あの戦いの前にした約束はまだ果たされていない。色々あったせいで先延ばしになってしまっていた。
でも彼女は宇宙に向かって旅立つ。だから、ここがズウラにとってのラストチャンスなのである。他の面々も固唾を飲み、静かに青年の恋の行く末を見届けることにした。
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