魔王降誕

【クソッ、駄目か!】

 グレンは何度も突撃を繰り返し、侵入を試みていた。だが彼の全力の一撃をもってしても目の前の物体には傷一つ付けられない。

 相手は十万の『抗体』の残骸が集結して形作った巨大な球。その大きさは月に匹敵する。距離を考えれば地上からは月より何十倍も大きく見えているだろう。

 突如ニャーンとアイムを飲み込んだそれは不気味な沈黙を続けており、中で何が起こっているのかは想像するしかない。

【本当にユニ・オーリなのか!】

『キュートはそう言ってます!』

 宇宙にいるのはスワレとキュート、そして彼の三者だけ。他の面々にはここまで来る手段が無い。もし本当にこれがユニ・オーリの仕業だとすると、あの狂人の手からこれだけの戦力で二人を救出しなければならないということ。

 困難だが、それでも必ず助け出す。全て手遅れになる前に。

『グレンさん、私とキュートで仕掛けます! タイミングを合わせて追撃してください!』

【何?】

『私の力で凍らせてしまえば脆くなるはず!』

 そうか、その手があった。たしかに『原子』なる本来人間には知覚不能な最小領域へ干渉できる彼女の力を使えばそれができる。

【わかった、やってくれ!】

『はい!』

 了承を得て一人乗りになった卵型宇宙船を加速させるスワレ。キュートの試算によると作戦成功確率は一割以下。だとしても他に選択肢は皆無。

(命に替えてもアイム様とニャーンさんは救い出してみせる!)

 決死の決意を固めたが、しかしその直後――


【中止します】


 ――船であるキュート自身が自己判断でコースを変えた。大きく弧を描いて引き返しながら球体との距離を取る。スワレを守れと命じられた彼にはそうする以外に無い。

『どうして!?』

【標的内部で発生したエネルギーが急激に増大中、危険です。アイム・ユニティの固有能力による並行世界とのリンクが発生させるのと同じ特異な重力震を検知。彼の力が奪われた可能性が高いと考えます】

『えっ?』

 ならアイムが自力で脱出しようとしている可能性もある。スワレは希望的観測を行った。けれどやはり、そんな上手い話は無い。鉛色の超巨大怪塵結晶はキュートが自己判断で接近を止めた直後から見る間に変形を始め、やがて甲冑を身に着けた騎士の如き姿に変わる。全体的に色はそのままだが顔の部分の大半を占める単眼だけは透き通っていた。

 それは笑い始める、あの男の声で。


『ふふ、ハハハ……! あーーーーーっはっはっはっはっはっはっ! ははははははははははははははははハハハハハはははははははははははははははッ!』


『この声……!』

 間違いない、スワレの脳裏に忘れがたい屈辱の記憶が蘇って来た。テアドラスであの狂人に後れを取り、ニャーンを連れ去られてしまった三ヶ月前の一戦の記憶が。

『ユニ・オーリ!』

『やあ、その声はスワレ君かい? 無事回復できたようで何より。ふふ、嬉しいな。君も祝福しに来てくれたんだろう?』

『何の話だ外道! 戯れ言を言ってないでアイム様とニャーンさんを返せ!』

『それこそ戯れ言じゃないか。ようやく手に入れたんだぜ、返すわけがない』

 一瞬、怒りらしき感情を覗かせるユニ。その瞬間、凄まじい圧が発せられてスワレは冷たい汗をかいた。キュートの飛行軌道がわずかにブレる。物理的な力を伴う感情の波。そんなものは初めて目にする。

 グレンも同様である。長年戦士として戦い培って来た彼の直感はスワレより鋭く相手との戦力差を感じ取り、警鐘を鳴らす。

 あれには絶対に勝てない。人間の到達できる領域ではない。

 ユニは左手を持ち上げ、母星を指さす。

『理解できないなら教えてあげよう、君達が何者の前にいるのか。地上の皆も黙って静かに聞いてくれたまえ』

 その声はリアルタイムで母星の人々にも届けられた。彼の姿が直接見えない星の裏側にいる者達の脳にまでテレパシーによって直接映像が送り込まれる。今の彼には造作も無い。

『僕の名はユニ・オーリ。多くの人にはアリアリ・スラマッパギと名乗った方が伝わりやすいかもしれないね。そう、第七大陸の錬金術師さ』


 彼は語った、自分が本当は何者であるかと、どうしてこの惑星が神々から狙われることになったのか、その経緯を。三ヶ月前アイム達に明かしたように。

 そうして人々はついに知った。彼が異世界から来た人間であり、数多の世界を滅ぼした危険因子なのだと。ゆえに自分達の生きるこの星も守界七柱の標的になったことも。


「……そんな……」

「じゃあ、俺達が千年も怪塵に苦しめられてきたのは……全部、アイツのせい?」

「この戦いも……あの男が流れ着かなきゃ、起こらなかった……」

 大勢死んだ。わずかな時間できっと何万人も何十万人も。千年の歴史の中ではその何十倍何百倍もの遥かに多くの人命が喪われて来た。

 なのに気付けなかった。元凶がずっと近くにいたのに誰も彼がそうだとは知らず、のうのうと我が物顔で居座ることを許してしまっていた。

 いや、気付いていたとしてもどうにもできなかった。アイムですら倒せなかったのだから。

 そして今、全ての災禍の元凶たる邪悪はより強大な悪意を纏って頭上に浮かんでいる。神の如き眼差しで傲然とこちらを見下ろしてくる。


 また誰かが呟いた。


「悪魔……」

「そうだ……あれは、人間じゃない」

【たしかに、僕はもう君達とは異なる次元に生きてる。より高等な存在だ】

 地上の人々の言葉を肯定するユニ。

 彼等の中には怒りがある。千年の屈辱を晴らしたいという願いが。彼等がそれを自覚し、感情が大きく膨れ上がる時を待っていた。最高のタイミングを見計らって最悪の情報をもたらす。

【何故かって? ニャーン・アクラタカとアイム・ユニティの力を貰ったからだよ。凶星十万体分の怪塵を自在に操る力と並行世界の同位体を繋げる力。この二つを兼ね備えた僕が君ら程度と同等の存在なはずがないだろう? 僕から見た君達などもう羽虫以下の矮小な存在に過ぎない。この指一つで星ごと消し去ってしまえる】


 英雄達はもういない――それを知った途端、敵意に満ちていた人々の表情が凍り付く。人類滅亡の危機は去っていなかったのだと、ようやく理解できた。むしろ悪意に満ちた者が星を滅ぼせる力を手に入れたことにより、状況はさらに悪化している。

 表情が歪んでいく、歯を食いしばり、屈辱と恐怖に耐えながら泣きそうな目で空を見上げ続ける。それがユニの嗜虐心を満たしてくれた。ああ、なんて醜くて美しいのだろう、他人が絶望する有様とは。


【いい顔だ! 君達もその点だけは認めてあげるよ! 僕を楽しませることのできる玩具としての価値をね! 家畜としてなら飼ってあげようか? アハハハハハハハハハハハ!!!】

 心から嘲笑い愉悦に浸るユニ。この星へ流れ着いてからの千年は今この時のためにあったのだと改めて実感する。自身がつまらない存在だということを知らず、まるで高等生物であるかのように振る舞う猿どもに身の程を教えてやりたかった。常に高みを目指す自分は他を見下し、彼等はこの身を見上げるべき。それが正しい理というもの。

 良い気分だが一つだけ残念なこともある。やはりニャーンの赤い雷、つまり『破壊』の力だけは手に入らなかった。あれは能力を与えるシステムに善性を認められて初めて覚醒し維持されるもの。残念ではあるが致し方ないことも理解している。

(大丈夫だ、今の僕なら別の方法で手に入れられる)

 森羅万象の根源に到達する道は一つではない。レインボウ・ネットワークに認められる以外にも『完成品』を目指す手段はまだある。少なくとも大きく前進することはできた。

【さて、見たかったものも見られたし、もうこんな星に用は無い。そろそろ本命の守界七柱を始末しに行くとしよう】

 オクノケセラも現れない。そして彼女の気配も感じ取れない。やはり神々のルールから逸脱する直接的な干渉を行ったことでなんらかのペナルティを受けたのだろう。他の世界で同じことをした神の末路を見たことがあるが、彼は直後に消滅してしまった。おそらく彼女が迎えた結末も同様のもの。

【どうも彼等の価値を他の六柱に再認識させてやりたかったようだが、目論見は外れたね。凡人は結局どこまでも凡人で僕のような例外の踏み台になる以外に価値は無い。こうして手も足も出せず空を見上げていることしか出来ない様が、その事実を証明している】

 半分は挑発のつもりで語りかけてみたがオクノケセラの再出現する気配は無い。予知でも同様に彼女の現れる未来は見えなかった。

 死んでいる、それだけは確定と見ていいだろう。

 ならば決戦の時だ。残り六柱を引きずり出して決着を付ける。奴等は自分をこの世界から逃さぬため結界を構築した。倒してからでなければ再び他の世界へ旅立つことはできない。

【この力なら必ず勝てる! もう彼等程度の格では相手にもならない!】

 興奮のまま持ち上げた右腕を振り抜く。すると腕が鞭のように伸びてしなりながら月に直撃した。その一撃で粉々に砕け散る衛星。想像を絶する凶行を見せられ地上の人々が悲鳴を上げる。もっと近くで見ていたスワレは言葉を失った。

『なっ……』

 母星の四分の一の大きさの天体をいとも容易く破壊できる絶大な力。そしてそれ以上に恐ろしいのは躊躇無く月を破壊できてしまう異常な精神性。確かに奴はもはや人間ではない、完全にその枠から逸脱している。

【ああ、二つ訂正しよう】

 母星を見下ろしながら言い放つユニ。まだこの星でやるべきことがあった。きちんと全ての用を済ませてから旅立たないと気持ち悪い。

【一つ。さっき誰かが言ったね、僕を『悪魔』と。不服だ、どうせなら『魔王』とでも呼んでくれ。その名を星が滅ぶまで語り継ぐがいい、神も精霊も喰らう者として】

 単眼の下に亀裂が走る。それが開いて口となり両端を持ち上げて笑った。そしてその腕を今度は母星に向かって伸ばし始める。あまりにも巨大なそれは指先が触れただけで壊滅的な被害を地上にもたらすだろう。だからといって躊躇するはずがないことは誰の目にも明らかだ。

【もう一つ。今言ったように『精霊』を喰らわせてもらうよ、せっかくだからね】

 決戦前の腹ごしらえ。この星にはオクノケセラによって間接的に力を与えられた良質な『糧』が多数存在する。ニャーンやアイムに比べればオマケ程度のささやかな力の持ち主ばかりだが、だとしても捨てて行くにはもったいない。全て取り込めばこの身はさらに成長できる。

 そうしたら、それ以上は手を出さずに立ち去ってやろう。そもそも雑魚の末路など知ったことか。守護者のいなくなったこの星で勝手に生きて勝手に朽ちろ。ただの人間などもう彼の視界には入らない。

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