狡知の再来
「――と、思うだろう? しかし実際には違う。彼女は君達にとって悪魔なんだよ。僕の仕込みは終わっているんだ」
男は笑う。無知なる者達を、人々の純真を嘲笑う。彼等はこれから何が起こるのかを知らない。
ああ、なんて可愛らしくて滑稽なのか。真実を知った瞬間が楽しみでならない。
「さあ、始めようか。ここからが本番だ」
彼はずっと待っていた。懸命に戦う人々を横目に鼻歌交じりで観戦を続け、全天を覆った赤い光が全て白い光になるその時を待っていた。
地上からも怪塵が吸い上げられていく。あのニャーン・アクラタカが宇宙から干渉し赤い怪塵を白に変えている。十万もの抗体を我が物とした彼女は神に近しい存在だ。あの程度の芸当は容易くできよう。
おかげで、この星を脅かすものは無くなった。少なくとも今しばらくは平和な時が保たれるはず。神々が次の攻撃を開始するまで。
「はは、皆さん本当にお喜びで」
異世界の眼神から奪った目で地上を見渡す。第一から第六まで、完全に無人となった第七以外の全ての大陸が歓喜に包まれている。天頂で停止して怪塵を吸い上げていく白い光に対し感謝と賛辞の言葉を投げかける。
「ニャーン、ニャーン、ニャーンって、まるで猫の大合唱だ」
この世界の人々は猫の泣き声を『アーウ』と認識している。そもそも滅多に見かけることのない希少生物なので誰も彼女の名前をおかしなものだとは思わない。
ニャーンとは『可愛らしい』という意味だ。日本名なら『可憐』といったところか。
そしてアクラタカは『忠実』である。彼女の祖先に何者かに対して忠義を貫いた人間でもいたのだろう。だからそういう姓を賜った。
今その名の通りにしてやろう。可愛らしく忠実な下僕に仕立て上げる。男は七大陸のいずれでもない無人の小島の浜辺で立ち上がった。ついさっき何匹かの怪物に襲われたのだが全て粉々にしてばら撒いてある。やがて他の怪塵同様に天へ昇って行くはずだ。
もう一度言う、それを待っていた。神々の差し向けた十万の抗体が敗北し、あの少女の支配下に置かれる瞬間を。
「迂闊だったねアイム。彼女から第七大陸での話をもっとしっかり聞いていたら見落としがあると気付けたかもしれないのに」
無論、疑いを抱いたとて発見は困難だったろうが。オクノケセラすら気付けなかった以上、眼神アルトゥール以外あれの存在は知るまい。そして頭の固いアルトゥールは神々のルールに則り直接的な介入を避ける。
今の男には、かつてのような魔力も能力も無い。それでもまだ小さな怪物程度なら何体来たって倒せるのだが、当然ながらこれでは不服。彼の目指す『完成品』には程遠い。
遊びたいのを我慢してこんな辺鄙なところで雌伏の時を過ごした甲斐があった。まだ誰も自分の生存を知らないまま。
そしてすぐ、この直後には知ることとなる。
「拉致した後、彼女が目覚めるまで僕にはたっぷり時間があったんだぜ? このくらいの仕込みはしておくに決まってるじゃないか」
あの場で決着を付けてしまっても良かったのだが正直言って物足りなかった。観客が少なすぎたことだ。反応を楽しめなくては面白味も半減する。だから負けた時のために保険をかけておいた。
いや、むしろこちらこそ本命。
男は、アリアリ・スラマッパギにしてユニ・オーリは狂気に彩られた目で空を見上げ、自分の首をナイフでかき切った。声は出ない。その代わりに噴出した血に泡が混じる。
「がばっ、ごべっがばばぼ!」
死にながら笑う。どうせこの肉体も使い捨て。本来の肉体など、とうの昔に脱ぎ捨てた。今度もまたそうして新しい肉体へ精神を転移させる。そのためのマーカーは仕込んでおいた。
そう、彼女の中に。
突然、ニャーンが苦しみ始める。
「うっ!? あっ、あああああああああああああああああああっ!?」
「なっ、どうしたんですか!?」
黄金時計の塔にあった空間転移装置で母星の近海まで飛ばされ、そこから一気に抗体群を支配下に置き、こちら側の戦力として引き入れた。その直後に異変は始まった。心配するスワレに対してニャーンは何も答えない。。そうする余裕が彼女には無い。
「うっ、うぐぐっ、ううううううううううううっ!!」
「頭が痛いんですか? キュート、いったいどうなってるの!?」
【診断を開始します】
冷静に対処するキュート。けれど、もう遅かった。その時にはすでに急激に増殖したユニの細胞が心臓を中心にして全身に根を張り始めている。皮下で這い進むそれに気付き小さく悲鳴を上げるスワレ。
「ひっ!?」
抵抗はしている。だが勝てない。この敵は心を弄び屈服させることが上手い。長くは保たないと判断して最後の力を振り絞って叫ぶ。
「守って! スワレさんを守って!」
――直後、船体が二つに分離した。
「ニャーンさん!?」
手を伸ばしたが、新たに生じた隔壁に阻まれるスワレ。ニャーンを乗せた方の船体が遠ざかって行く。
「どうして、何をしてるんだキュート!?」
【あの男です】
キュートもまた最後の瞬間、ニャーン・アクラタカから『分離』された。もう彼女の支配下には無い。それでもスワレを守りつつ訊かれたことに答える。分離直前までの解析で判明した事実全てを伝える。
【見落としていました。ニャーン・アクラタカの体内のどこか、おそらくは心臓にユニ・オーリの細胞が付着していたようです。第七大陸で施術が行われたものと推測。その細胞が急激に増殖して彼女の全身に根を張りました】
「なっ……」
あの男が生きていた? しかも、それではまるで――スワレの想像をキュートは肯定する。
【彼女はもう、彼の支配下にあります】
「なら、すぐに」
助けなければと、そう言おうとした瞬間に船が動き出す。意識が飛びそうになるほどの急加速で眼前にまで迫って来た膨大な量の怪塵を危ういタイミングで回避する。
ゾッとしたスワレの目の前でまた怪塵の色が変わり始めた。白かったそれが、あの男の目と同じ濁った鉛色に変色していく。
鉛色の怪塵の波は、まだ異変に気付いていなかったアイムの不意を突き、彼までもその中に飲み込んでしまった。
『なっ』
「アイム様ッ!?」
スワレの悲痛な叫びは船内に木霊するのみ。彼の耳には届かなかった。
あまりにも突然のことで避けられず、あっさりと大量の怪塵の中に取り込まれてしまったアイムは何がどうなったかを考えるより先に脱出を試みる。
しかし魔力障壁を展開して蹴ろうとした彼を無数の触手が絡めとった。その木の根のような質感を見てようやく敵の正体を悟る。
『アリアリ! 貴様かッ!?』
「違うだろうアイム、忘れたのかい? 僕の本名はユニだ。ユニ・オーリ」
濃密な怪塵のせいで姿は全く見えない。だが声は頭上、つまり狼になっている今の彼のすぐ耳元から聞こえた。すかさずその位置に超振動波を放つ。
手応え無し。さらに次々に別方向から奴の声が響く。また分裂したのか?
「ははは、無駄無駄」
「そもそもそこに僕はいない。怪塵を使って声を再現しているだけだよ」
「じゃあどこなのか聞きたいだろう? 教えるさ僕と君の仲だもの。実は、君の大切な子と一緒にいるんだ。彼女から先に取り込んであげたよ」
『きさ、ま……!』
急に意識が遠ざかり始める。何かをされた。自分に毒は効かない。おそらく、この怪塵を体内に侵入させて直接神経に干渉している。それによって強制的に眠らせるつもりだ。
不味い、もう意識が飛ぶ。こうなったら――
「アリアリ!」
爆風が生じ、周囲の怪塵が吹き飛んだ。人の姿になって魔力障壁を蹴るアイム。こちらの肉体に換われば体内に侵入した怪塵の効力は無視できる。もう一度吸い込んでしまわぬよう息を止めつつ周囲の気配を探った。
鋭敏な獣の嗅覚が、否、宇宙だからこれは直感か――なんにせよそれがおよそのニャーンの位置を探り当てる。おそらく彼女がいるであろうその方向に向かって怪塵を散らしながら跳躍。人間の姿でも宇宙空間での活動はできるが流石に保って数分。その間に救出しなければならない。
ニャーンを奪われたことへの焦り、そして怒り。さらには星獣としての防衛本能が限界以上の力を引き出させた。並行世界の同位体達も力を貸してくれる。溢れ出したエネルギーが全身から白い稲妻となって放電。それを纏いながら正に雷光のごとく鉛色の霧の中を疾駆する。
直後、行く手にユニ・オーリが現れた。怪塵を使って再現した偽物かもしれないがどうでもいい。障害は全てこの力で蹴散らし、ニャーンを取り戻す。今ならそうできると確信していた、第七大陸での勝利によって。
しかし想像は裏切られる。
触れた瞬間粉々にされそうなアイムの突進を、ユニはするりといとも簡単に受け流した。さらに力の流れを巧みに逸らし、それを連続で行うことで元来た方向に投げ飛ばす。
「くっ!?」
「――今回はね」
アイムが体勢を立て直した時には、もう懐に潜り込まれていた。親指だけを立てた右手が、その指を左の脇腹に突き刺す。痛みで反射的に右に曲がった胴体へ今度は左から掌底。
「がっ、は……!」
「本気なんだよ!」
衝撃で折れた肋骨が修復されるより早く鳩尾に貫手。良く研いだ刃で果実を突き刺すかのように抵抗も無く背中まで貫かれた。
血反吐を吐いたアイムをそれでもユニは許さない。彼の予測通り、それでもアイムは反撃を繰り出して来たからだ。左から振り下ろされた拳を紙一重でかわし、それをフェイントにこちらの皮膚を掴もうとしていた足指を左手で掴んでへし折ってやる。
「ぃぎっ!?」
すかさず大量の触手で突き刺し、刺したまま全身に絡めて拘束。この状態ならば再生もままなるまい。そして、だとしても星獣であり『限りなき獣』として覚醒した彼は死ぬこともできないのだ。全ての並行世界の彼が消滅しない限り、永久にこのまま苦痛と絶望を味わい続ける。
「ユ、ニ……!」
「それだ、それだよアイム! 素晴らしい表情だ! 悔しいだろう悲しいだろう? 千年の苦労が報われたと、ようやく平穏な時が訪れると思った瞬間に大逆転! もう完全に勝ち目が無いと理解した君の! その顔が! その殺意が見たかった!!」
憎むがいい呪うがいい。その感情が限りなき獣の生命を燃え滾らせる。そこから自分は力を汲み上げて己が利益とする。
ユニ・オーリはこの瞬間、完全勝利を果たした。もう恐れるものなど何一つ無い。自分は天使と獣の両方をこの手中に収めた。彼女と彼の能力を我が物としたのだから。
「さあ始めよう祝祭を! また一歩『完成品』へ近付いた僕を祝福させなくては! 皆にも事実を伝えてあげるよ! 主催は僕で主賓も僕! 他は全て僕を喜ばせるための贄! 泣いて笑って怒り狂って、せいぜい楽しませておくれ! ほら、今ここに新たな神が誕生する!」
全ては思いのまま。結局いつだってそう。
最後に勝つのはこの自分なのだ。
ユニは高笑いを上げた。
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