天使の翼

 まずい、もう限界だ。少し前から隠しきれなくなっていたアイムの焦りは今、頂点に達しようとしている。

 宇宙空間で彼とグレンは背中合わせになり、多数の『抗体』に包囲されていた。敵はこれまでの戦いからこちらの戦い方と戦力を学習し、母星へ向かうまでの道すがらに片手間で倒せる相手では無いと判断した。だから先に完膚なきまでに叩き潰してしまおうと全戦力を集中させている。

【囮の役割は、果たせているが……】

『ああ……』

 第五大陸が辛うじて見えるくらい西側の上空。ここで敵を倒せば、ほとんどの怪塵は第五大陸に降り注ぐと計算された位置。怪物の発生が第五大陸に集中してくれればズウラがまとめて引き受け、他の大陸への被害を減らす。ニャーンという大きな戦力を欠いてなお二人の英雄はこの重要な役割を全うしていた。けれど、もう限界が近い。


 追従しきれなくなっている。

 敵の速度に、攻撃に、学習の早さに。


(やるしかないか?)

 アイムにはまだ切り札が一枚残されている。ざっと見たところ敵の残りは三万かそこら、これを使えば一分足らずで殲滅できるはず。

 ただし全滅させられるとは限らない。もし一体でも取り逃せば母星は破壊されてしまう。だから迷う。この状況で切り札を切るのは自殺行為ではないかと。これはそういう諸刃の剣でもある。

【来るぞ!】

『クソッ!』

 迫り来る無数の光線と触手。考えながらも跳躍を繰り返す。休む暇も与えてくれない。避けても避けても反射され別方向から戻って来る光線。それでも避ける。避けて弾いて可能な限り被弾回数減らしつつ敵に肉薄する。

 また一体を霧散させたが、二人とも撃破するペースは目に見えて落ちていた。もはや敵の予測が正確すぎてほとんど攻撃を避けられない。貫き抉られ切り裂かれ、ダメージからの回復に手一杯で反撃に転じることさえ難しい。

 だからグレンは決断する。

【アイム! 俺がやられたらリュウライギを使え!】

 彼はアイムが躊躇う理由を見抜いていた。あのアリアリ・スラマッパギ、いやユニ・オーリから伝授されたという星の生命力を吸い上げて身体能力を爆発的に強化する技。星獣のアイムが使えばその効果は人間の使い手の比ではなく圧倒的な力を発揮できる。

 しかも今のアイムは並行世界の同位体達と繋がり、その力を借りられるのだ。なら数多の世界の数だけ母星があり、それらの力もリュウライギで引き出して一つにまとめられる。瞬間的になら神にも匹敵する力を得られるだろう。

 もちろんその分リスクも大きい。アイムが行使するリュウライギは凄まじい力を得られる一方で星の命を瞬く間に燃やし尽くしてしまう。ゆえに一か八かの危険な賭けだ。しかも周囲の精霊の力まで奪うあれは共に戦うグレンと光の精霊との同化を強制解除する。そうなったら宇宙空間で彼は生き延びられない。

『わかっとる!』

 使うとしても許されるのは一瞬。母星もすでに攻撃を受けて少しずつダメージを蓄積させている。この状況で長くリュウライギを行使すれば、他の世界の母星はともかくこの世界の母星は保たない。確実に力尽きる。人類を救っても星が死滅すれば本末転倒。

 だが、たしかにもうそれしかない。ニャーンが来られなかったら、そうするしかない。

『お主が倒れたらじゃ!』

【ああ、俺が倒れたらだ】

 笑いながら共に縦横無尽に宇宙を駆け、次々に抗体への攻撃を繰り出す。つまりはグレンが倒れなければ良い。万が一の想定はするが、それを実現させてやるつもりは無い。


『力を振り絞れ! 最後の一滴まで死力を尽くせ!』

【オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!】


 普段は物静かな男が無数の光刃を回転させながら斬り込む。全方向から迫って来る光線を曲げて逸らし、蛇のようにくねる触手を切り刻み、拳を相手の巨体に叩き込んで内部から光を炸裂させて体積を削る。


【アイム!】

『ぬううううううううううりゃっ!!!』


 アイムも並行世界の同位体達からまだ借りていない力と技を引き出し、可能な限り敵の学習能力の裏をかく。象勁のように空間を『踏む』と、そこから亀裂が四方八方に広がって複数の敵を同時に引き裂いた。そこへ今度は左手を無数の蛇に変え、小さくなった破片に噛みつかせて超振動波を放つ。

 足をワンガニの『牙』のごとく長い刃に変えたグレンの蹴りが数百の抗体達をまとめて切り裂く。数十の狼に分裂したアイムが超高速で体当たりを繰り返し、その倍の敵を瞬時に屠る。

 けれど、それらの動きも学習された。同じ手は二度と通用しない。刃と化した足に粘着質な触手が絡み付いて行動を阻害する。アイムが分裂できるのは一瞬だけ。彼が手数を増やそうとした瞬間に敵は距離を取って遠距離攻撃による牽制を行う。

 そんな一進一退の攻防が繰り返され、やがてまた二人は押され始めた。絶え間ない砲火を浴びて一方的にダメージを蓄積させられる。

『ぐっ、うっ……!』

【まずい……!】

 光の巨人と化しているグレンの体から制御しきれないエネルギーが光線となって噴出する。彼に力を与えている精霊の力も無限ではない。これは燃え尽きる前のロウソクの一瞬の輝き。

 気付いたアイムが叫ぶ。

『耐えよ! もう少しだけ持ち堪えろ!』

【いや、無理だ】

 グレンは自身の限界を悟って決断した。敵はまだ数多くいる。この状況でアイムの負担を減らし、少しでも勝利の確率を上げるにはやはりこれしかない。力を振り絞り、自身の意識が追い付けない最高速度で敵の密度が高い場所に瞬間移動。アイムとの距離を十分に確保する。


『――!』


 彼がこちらを向いたが、その声は聞こえない。振動波を利用した『声』はこの距離に届くまでに数秒かかる。だが光を用いたこちらの【声】は瞬時に伝わるだろう。


【今までありがとう。皆を頼む】


 そう言ったグレンの体内からさらに多くの光条が噴出した。凄まじいエネルギーが膨れ上がって漏れ出している。第七大陸でのユニの死に際の自爆を見て以来、同じことができるのではと考えて密かに作っておいたのだ、圧縮したエネルギー塊を。より多くの敵を巻き込んで倒すために。


『グレン!』


 ようやくアイムの声が届いた。けれどもう遅い。彼の意志とは無関係に周囲に力場が形成されている。それが抗体の攻撃を全て弾いた。超高密度のエネルギーは解放寸前。一時的にこの場に太陽が出現する。残りの敵の半分以上を巻き込めるだろう。

 ――悔いはある。クメルを幸せにしてやりたかった。生き残ったなら今度こそ彼女の想いに応え、この腕で抱くつもりだった。

 けれど仕方ない。こいつらをこの先に進ませたら彼女も死ぬ。それだけは、妻との思い出が眠る星と彼女の未来を奪われることだけは絶対に許容できない。

 グレンはエネルギーを解き放ち――


【!?】


 ――かけて、その瞬間に異変に気付いて中断した太陽の光の中に白い点が生じ、急接近して来るではないか。

 彼は勝利を確信し、笑いながら悪態をつく。

【遅いぞ】




『すいません! 遅くなりましたああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!』

 全力の謝罪の言葉が届く。母星ではなく太陽の方から飛来した白光は立て続けに赤い雷光を放つ。雷撃を浴びた抗体の破片が赤から白へと変色を始める。

『ニャーン!?』

 驚くアイム。同様に虚を、そして背後を突かれた敵群が混乱している間に雷光は周囲に漂う怪塵や破片を次々に変色させた。今しがたまで母星を攻撃していた物体が一人の少女の支配下に加わり味方になっていく。キュートと同じ白い怪物と化したそれらはグレンとアイムを守るよう命令され二人の周囲に集まって来た。

 流石に完全な姿の『抗体』には多少の耐性があるようで、すぐには変色しない。支配権の上書きに抵抗しているらしく全身を暗く明滅させ簒奪の雷光に耐える。

 しかし、その間は動けなくなるようだ。好機と見て取ったグレンは自爆用のエネルギーを通常の攻撃に転化して次々に光線を放つ。

【こうなるなら、最初から彼女も同行させれば良かったな!】

『まったくじゃ!』

 アイムもまたニャーンの力に抵抗する抗体を次々に破壊していく。砕けて欠片となったそれらに再び雷光が直撃すると、今度こそ完全に支配権を奪った。最前線で彼等が戦い、少し後方で彼女が怪塵を回収する。この作戦は要となるニャーンの安全を慮ってのことだったが、そのためにオクノケセラの介入を許し、かえって複雑な状況にしてしまった。

 英雄達は自省する。自分達はまだ、あの少女を侮っていたのだと。最も危険な場所で肩を並べて戦える存在だと認められていなかった。

 けれど若者の成長は、いつだって老いた者の想像を上回る。


『防御は私とキュートに任せて! ニャーンさんは怪塵を取り込むことに集中してください!』

『はい!』

【迅速な対応が必要な状況と判断。加速します】


 白い光が走る。さらに速く力強く宇宙を駆ける。太陽光の中から飛び出し、ようやく肉眼で捉えられたそれは卵型の船。船体の一部が変形して抗体群の放った光線を反射する鏡を作り、スワレの祝福が取りついた触手を凍結させて破砕する。

 宇宙空間の超低温にすら耐えられる抗体が凍り付くのは彼女の三ヶ月の努力の賜物。水分の無い場所での戦闘についてキュートから助言を受けた彼女は自身の能力に対する理解を深めた。そして特訓を積み、より強力な能力に進化させたのである。

 温度には絶対零度という終点が存在する。そこより温度が下がることは無い。温度とはあらゆる物質を構成する原子や分子が振動している状態のことであり、絶対零度とはその振動が完全に停止した状態を指す。

 宇宙空間の温度はその絶対零度よりわずかに高い。また『抗体』には仮に絶対零度の環境へ突入しても自身を加熱して凍結を防ぐ機能がある。

 けれど熱振動について理解した今のスワレは、ただ漠然としたイメージで冷気を放出していた頃の彼女とは違う。今の彼女は敵の原子を狙い撃ちするよう精霊に呼びかけられる。冷気の精霊には熱振動を強制的に止められる権限があるのだ。それを有効活用できるようになった。だから相手が何者であろうと凍り付く。


 さらに進化が進めば、時間や情報すら凍結させられるかもしれない。


 欠点は有効射程の短さ。今のところ彼女の手が届くまでの範囲が限界。けれどその範囲内でならスワレに凍らせられないものは無い。とてつもなく広範囲の鉱物を操り大規模攻撃が可能になった兄ズウラとは真逆の方向性。最小こそ最効率。それがスワレの辿り着いた答え。

 少女達を乗せた船は飛び続ける。敵の攻撃をものともせず、赤い雷光を撒き散らしながら途轍もない速度で瞬く間に母星の周囲を一周する。そして一掃する。

 凍り付いて砕けた破片も、アイム達に砕かれ生じたそれも、全てが赤から白に変色した。白い霧が母星の空を覆っていく。太陽を中心に広がり、翼で星全体を抱くように。


「天使……」


 地上の誰かが呟いた。空に、とてつもなく大きな羽の天使が現れたから。彼等はもうその名前を知っている。だから口々に叫び始めた。喜びの涙を流し、英雄を讃える。

「ニャーンさんだ! ニャーンさんがやってくれたぞ!」

「ニャーン・アクラタカ! 我等の守護天使!」

「ありがとう! ありがとう!」

 彼女が助けてくれた。滅亡の危機から、星とその上で生きる全ての命を本当に守り抜いてくれた。この名は永遠に語り継がれるだろう。

 星を救った天使の名として。

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