感謝の花冠(1)
「プラスタ、あの娘の面倒を見なさい」
──まだ八歳の彼女がここへ来たばかりの頃、持病の発作によって命を落とす前の先代院長から命じられたのは四歳年上の少女の世話。
何故かと問うた彼女に院長は言った。
「貴女は寛容さを学ぶべきです。ここへ来てまだ五日だというのに、何度他の子達と衝突しました?」
「原因は向こうにあります」
「もちろん、あの子達も罰します。けれど、すぐに頭に血が上ってやり返してしまう貴女も悪い。ここへ来たのもそれが原因。過ちを繰り返してはなりません。許すこと、耐えること、その二つを覚えなさい」
「……はい」
──プラスタは目上の人間には従う。そうしなさいと教育された。彼女は元々聖都の民。教会の総本山の生まれ。父は司教。母も高僧。生まれながらに高い地位にいる。封建制の国であれば貴族令嬢だ。仕えているのが王でなく神だという違いしかない。
でも、そんな彼女の幸せは半年前に突然終わった。父に愛人がいると発覚し、激昂した母は愛人もろとも父を刺殺した。母も後を追って自殺。幸せだった家族の中で彼女だけが取り残された。
無論、周囲はそんな彼女に同情的で、引き取って育てたいと名乗り出る者も少なからずいた。ところが生まれながらの強情さが徒となった。
『アンタ達の家に行くくらいなら、修道院に入る方がマシよ!』
誰が彼女を引き取るかの話し合いの場で一人が言ったのだ。あの夫婦の子なんて本当に大丈夫かと。
そこから口々に不安が飛び出した。皆、本心では嫌がっているのだと気付いた。けれどそこにいたのは父や母の友人ばかり。友人の子を見捨てるのは世間体が悪い。だから渋々引き取ろうとしている。
プラスタは賢く気が強かった。それでカッとなって言ってしまったのだ、誰の世話にもならないと。
一度言ったことは曲げない。そういう性格でもあったため周囲がどんなに説得しても首を縦に振らなかった。そして自ら望んで修道院に入ったのである。
──まあ、あの性格だもの、これが一番良かったのかもしれないわ。別れ際に見送りに来た中の一人が小声で言った言葉を覚えている。プラスタ自身、あんな人間ばかりの場所には戻りたくないと思った。
「本当にいいのですね? ここは聖都のような安全な場所ではありませんよ」
「承知の上です」
先代院長にも念を押されたが、考えは変わらなかった。
もちろん知ってはいた、修道院とはいかなる場所か。表向きには孤児や捨て子を育てる教育機関。実際その通りなのだが、本当はもう一つ役割がある。口減らしのための子捨て場だ。貧しい者達が役に立たない子供を投げ入れ、忘れてしまうための施設。
働いている職員達も聖都で何かをしくじったか、上の方針に逆らって辺境へ飛ばされた者ばかり。警備の兵士達も同様に「死んでも良い人材」だけが派遣される。
祝福されし者マリスの力は聖都から遠くなるほど弱まる。聖都ほどには長く雨が降らず、だからこそ辺境の地の方が作物は良く育つのだが、その分だけ怪塵の蓄積は早まり怪物や怪塵狂いが発生しやすくなる。
信仰を持ち、命を大切にすべきと教えられた信徒達は、子を捨てることに呵責を覚える。でも捨てるのでなくは教会に預けると言えば、わずかにだが罪の意識は軽くなる。教義に反したことにもならない。
自らそこへ入った彼女以外は、誰も彼もが見捨てられた存在。いつ、どんな危険な目に遭って死んでしまっても良い。目の届かない場所で命を落とせば、切り捨てた側の心痛も最小限で済む。僧籍に入り聖職者として死ねたなら死後の安寧まで約束される。
よく出来ている。自分より弱い誰かを切り捨て犠牲にしなければ生きていけない世界で、この仕組みは実に有効に働いている。そのための言い訳を与えてくれる。
だとしても、人が人を、親が子を捨てた事実は変わらない。
皆、目を逸らして見ないふりをしているだけ。
「くだらないわ」
いつまで経っても怒りは収まらなかった。胸の奥でずっと赤く燃え続けている。両親をまるで汚いもののように言った連中に、この歪んだ社会を正そうとしない大人達に無性に腹が立つ。無論、父や母にも憤っていた。一時の激情で馬鹿な判断をした自分自身にも。
馬鹿は死ななきゃ治らない。だったら死ぬまで自分はこんな愚行を繰り返してしまうのだろうか? そんな不安にも苛まれた。
彼女は目上の人間に逆らわない。ただし、それは正しいと思った相手だけ。愚者はどれだけ齢を重ねていようと、彼女の中では同類である。敬意を払うに値しない。
院長先生は正しい人間だと思う。厳しいが、この危険な辺境の地で一人でも多くの子を育て上げ自立させようとしている立派な人だ。副院長のメリエラ先生や他の職員達も素直に尊敬できる大人が多い。
だから文句を言いつつもプラスタは命令に従った。四歳も年上の少女ニャーン・アクラタカの世話を焼き始めたのである。
しかし、それは想像を絶する困難な試練だった。
「アンタ、何度言えばわかるのよ!」
「ご、ごめんなさい……」
ニャーン・アクラタカはとにかく要領が悪い。五歳の時からずっとこの修道院で育ったそうなのに、何をやらせても来たばかりの自分よりずっと下手。物覚えも良くない。
掃除、洗濯、料理、勉強──得意なことは何も無し。叱りつけても叱りつけてもいつも同じ失敗を繰り返す。丁寧に説いて理解させたつもりでも一向に改善されない。いったいこのデカブツの頭には何が詰まってるのか。こんな不出来な人間がいるのだとここへ来て初めて知った。
その上、すぐに自分の殻に閉じこもってしまう。そうなると全く話を聞かない。泣いて蹲るばかり。
「泣いたって何も解決しやしないのよ! ほら、早く立ちなさい! できない自覚があるなら、もっと努力すべきでしょ!」
彼女の物言いは苛烈で、厳しさで知られる先代院長でさえ時折苦言を呈した。いったい何度呼び出しを受け、一対一で面談したことか。
「プラスタ・ローワンクリス。貴女の言うことは全て正論。けれど、あまりにも優しさが足りません」
優しさ? それが何になるの?
相手のことを思うなら厳しく接すべきでしょう。
貴女だってそうしている。
「私と院長先生、どこが違うんですか?」
「まだ取り返せるかどうか、それだけです」
なんのこと?
その時にはわからなかった。けれど、数日後に理解出来た。
院長が亡くなったのだ。長年患っていた心臓病の発作で唐突に。
ひょっとしたら彼女は、死期を予感していたのかもしれない。
「……なんで」
プラスタは葬儀が始まってもまだ事実を受け入れられずにいた。それまで自覚していなかったが、両親の悲惨な死によって彼女は心に深い傷を負い、人の生死に過敏に反応するようになっていたのだ。
先代院長を尊敬していた。彼女の期待に応えたかった。
なのに自分のしたことはどうだ? 苛立ち、当たり散らし、傷付けて、最後まで彼女を失望させ続けた。
棺の前に立ち、その事実に気付いた時、涙が溢れて止まらなくなった。
「ごめんなさい……院長先生、ごめんなさい……」
「なんだあいつ、新入りのくせに」
「わざとらしいよね」
「院長先生、心臓の発作だってよ。あいつやニャーンのせいじゃないのか? いつも呼び出されてたし」
「そうだよ、あいつらのせいだ……」
酷い陰口が聞こえた。
耐え切れず、プラスタはその場から逃げ出す。まだ埋葬が残っていたのに葬儀の途中でいなくなった。
そして部屋に逃げ込み、ベッドの上に蹲ってずっと謝り続けた。いつもニャーンがそうするように。
すると、頭に何かが触れた。
「え……?」
「!」
慌てて逃げ出す誰か。見慣れた後ろ姿でわかる。ニャーン・アクラタカだ。手に何かを、白くて丸いものを持っている。気になったプラスタは反射的に後を追いかけた。
「待って! 何なの? さっき何をしたの!?」
「ごめんなさい!」
謝るようなことをされたのか? 余計に気になり、必死に追いかける。他の皆は埋葬のため墓地へ行ったようで誰もいない。今さらになって自分も行くべきだったと強い後悔の念が襲って来る。
ニャーンは裏口から飛び出して、そこから正門の方へ回り込もうとする。門は閉まっているはずだが、もし開いていたら勢いのまま出て行ってしまうかもしれない。あんな子が一人で壁の外に出たらどんな危険な目に遭うか、最悪の想像が脳裏をよぎる。
「待って!」
「!」
幸いと言うべきかニャーンは転んだ。この時ばかりは彼女の鈍くささに大いに感謝して追いつくプラスタ。そして目を見張る。
「はぁ……はぁ……それって……?」
ニャーンの手の中には白い花で編まれた冠があった。
さっき頭に触れたのは、もしかすると──
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「どうして? なんで謝るの? 何か悪いことをしようとしたの?」
「……」
ニャーンは首を横に振る。そしておずおずと花冠を差し出し、涙を流した。
「きれいにできなくて……」
「え?」
たしかに、よく見るとひどい出来。
でも、それが謝るようなことだとでも?
そんなわけがない。だって──
(この子は、私のために頑張ったのに)
他の子供達は彼女を責めた。けれどニャーンだけは、不器用ながらも必死に慰めようとしてくれている。あんなに怖がらせたのに、悲しませたのに。
やっと少しだけわかった。どうして先代院長が彼女の世話を焼けと言ったのか。
ずっと言われていたのに、怒りで目が曇って気が付けなかった。誤解していた。自分が彼女に教えるのではなく、彼女からこちらが学ぶべきだったのだ。
優しさ。
耐えて、許す心を。
「貰うわ」
「あ……」
ニャーンの差し出したそれを受け取り、頭に被る。形は少し歪だけれど、きちんと被ることが出来た。
よく見るとニャーンの手は傷だらけ。この不格好な花冠を完成させるまでに何度試作を繰り返したのだろう?
「ありがとう」
「!」
お礼を言うと、何故か彼女は逃げ出してしまった。やっぱり変な子だと呆れるプラスタ。
ちなみに、葬儀のため用意された花をそうとは知らず使ってしまったため、ニャーンは後にこっぴどく叱られた。プラスタも庇ったため一緒に怒られる羽目に。
なのに何故か、不思議な満足感があった。
──その日からプラスタは変わった。厳しさは相変わらず。それでも、どこか以前とは違った。周囲も次第に変化を感じ取り、彼女への評価を改めていく。
「あの子、前より優しくなったね」
「きついだけかと思ったけど、けっこういいやつだな」
「困ってると助けてくれるよ、怒りながらだけど」
「そういう子なんだね」
「それにほら」
「ああ、ニャーンのあんな顔、初めて見た」
見守る視線の先には、すっかり二人でいるのが当たり前になった少女達の姿。プラスタの変化は次第にニャーンと彼女に対する評価にまで影響を与え始めた。
「えへへ、ごめん」
「何を締まりのない顔で笑ってんのよ、ったく」
プラスタは知った。自分は常に正しい、そう思っていたが正しさとは一つだけではないのだと。
ニャーンは弱い。けれど、その弱さも正しい。彼女の弱さが自分を救ってくれた。弱い彼女の世話を焼くうち、また学んだのだ。自分は案外世話好きだと。そしてそこから夢が生まれた。
彼女は、恩返しをすることにした。
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