思い出
「わあっ、そのままだ!」
窓の外が暗くなり、倹約が常の修道院では早くも消灯時間を迎えた。それぞれの部屋へ戻りベッドに潜り込む子供達。ニャーンはプラスタと共に以前使っていた部屋へ。そこは彼女が暮らしていた頃と同じ状態に保たれていた。
「あれから誰も同室にならなかったからね」
今朝整えたベッドを改めて綺麗にしつつ教えるプラスタ。その言葉を聞いたニャーンは暗い顔になる。
ここでは全員で集まって食事をとる。だから夕飯の時にすでに気付いていた。見知った顔がいくつか消えていることに。
「何人か、いなかったけど……」
「死んだわ」
「そう……」
多くを語る必要は無い。ニャーンは今いる子供達の中で最も長くこの施設にいるうちの一人。だから聞かなくてもわかる。
ここからいなくなる子は二種類しかいない。死んだか、無事に巣立ったか。食事の場で見つけられなかった顔はどれも彼女より下の後輩達。成長して巣立って行くのは、もっと大きくなってから。
だから、そういうことだとは思っていた。
ニャーンはその場で冥福を祈る。
「どうか、安らかに……」
「泣かないでよ」
ため息をつくプラスタ。自分までつられて泣きそうになる。
ここでは珍しくない話なのだ。子供達は次から次にやって来て、そして数年以内に姿を消す。
修道院とは、そのために造られた施設である。
「ユニティ殿、こちらです」
「うむ」
兵士達に連れられ敷地の片隅に建つ兵舎へと踏み入るアイム。ごく普通の民家のような建物で、中には二段ベッドが四つと大きなテーブルが一つ。椅子は八脚。警備のため派遣されている兵士の数も八人。四人ずつ交代で勤務しており、任期は決まっていない。一度ここへ送られたら帰れるのは死んだ時か、病ないし怪我によって任務継続が困難とされた場合のみ。
だから修道院の警備兵は荒れていることも多い。そう聞いていたが、院長の人柄ゆえかここの者達は落ち着いて見えた。
「今夜はこちらをお使いください。害意は無いというお言葉を疑うわけではないのですが、やはりまだ怖がっている子達も多いので」
案内してくれた隊長は四つの二段ベッドのうち一つを示す。他と違ってそれだけ上下段共に綺麗に整えられてある。
「上でも下でも、お好きな方へどうぞ。普段そこを使っている二人は今夜は夜番ですから遠慮いりません」
「なるほど、なら上にしようかの。二段ベッドは初めてじゃ」
「そうなんですか?」
「そもそも、ほとんど野宿だからな。ベッドで寝ること自体珍しい。なんなら今日も外で寝ようと思っとったし」
「いや、しかしそれは……」
「客を粗末に扱えんと言うんじゃろ? わかっとる。一晩くらい素直に厚意に甘えてやるわい」
「ありがとうございます」
ホッと胸を撫で下ろす隊長。アイムは早速荷物を下ろし、仰向けに寝転ぶ。そしていつものように両手を組んで枕にすると瞼を閉じた。
隊長の気配は動かない。
「あの……お湯も用意できますが?」
「いらん、これ以上は気を遣わんでよい。寝るからほっといてくれ」
「わかりました」
唯々諾々と従う隊長。昼に狼の姿を見せたことが効いている。最初からこの少年の姿で訪れていたら確実に侮られた。そうすると彼等との間で余計な諍いが起きていたかもしれない。
脅迫という行為は褒められたものではない。しかしニャーンにも言った通り時と場合によってはありなのだ。あの時の示威は事を穏便に進めるためのもの。
まあ、すでに効きそうにない相手もいるが。
「やはり来たか」
「良かった、まだ起きていらしたのね」
鋭い聴覚と嗅覚で気配を察し、上体を起こしたところで兵舎の入口が開く。院長のメリエラが入って来た。
「もう少しお話をしたかったもので、よろしいですか?」
「ああ、寝るには少し早い時間じゃ」
招いて隣のベッドに座らせる。メリエラは微笑みながら腰かけ、そしておもむろに頭を下げた。
「重ね重ね、あの子を無事連れて来てくれたことに感謝いたします。そして全ての信徒を代表し謝罪を。私達は貴方を誤解していました」
「構わん」
苦笑するアイム。彼自身、積極的に誤解を解こうとはしてこなかった。どうせ無駄だと決めつけ、第六大陸全体と距離を置いた。
しかし、そうではなかった。彼もまた省みる。面と向かって話せば、こうして理解してくれる人間はいたのだ。わかり合う努力を放棄していたのは双方同じ。お互い様だ。
「こちらからも謝ろう。ワシはここを誤解しとった。あやつは多くを語らんかったのだが、態度から察するにロクでもない場所だろうと、見もせずに決めつけておった」
実際に来てみると良いところだった。怪塵を操る力を見ても、誰も彼もが拍子抜けするほどあっさり受け入れてくれたし、子供達は皆が明るく、大切に育てられているのが良くわかる。
いや、そもそも当然の話だったのだ。ここで育ったからこそ、ニャーン・アクラタカのあの温厚な人格が形成された。
この院長からは、特に彼女と良く似た雰囲気を感じる。ニャーンが今のまま屈折せずに歳を重ねたなら、いずれこのような人物になるのかもしれない。
「これも感謝せねばなるまい。お主らがあやつをあのように育ててくれた。おかげで希望が見えた」
もしもニャーンが世の無情に絶望し憎悪を抱いて育っていたなら、彼女があの力に覚醒した時点で全て終わっていた。第五大陸以降、怪塵を操る力はさらなる成長を遂げている。今や本気の自分でも勝てないかもしれない。それほど恐ろしい力なのだ。
つまり、この修道院は間接的に世界を救ったのである。
けれどメリエラは頭を振る。
「嬉しいお言葉ですが、それを受け取るべきは私でなく先代院長とプラスタです」
「あの娘っこか?」
ニャーンの親友だという少女を思い出すアイム。メリエラは小さく頷き、過去に想いを馳せた。
「ニャーンがここへ来たのは五歳の時です。当時の院長は私でなく、もっと厳格なお方でした。子供達のことを思えばこその厳しさでしたが、幼子には恐ろしく見えたでしょう」
親に捨てられたという事実もあり、ニャーンはひどく臆病な子になった。誰に対しても心を開かず、それでいて見捨てられることを恐れる。そういう性格に。
「要領が悪く見えるのもそのせいです。失敗してしまうことを極端に恐れ、身体が強張る。思考も固くなり本来の力を発揮できない。あの子は本当はなんでもできる子です。なのに私達の過ちが枷を嵌めてしまった。先代もそのことを深く悔やんでいました」
けれど、ここへ来てから七年後──十二の時にニャーンは出会った。ようやく心を開くことのできる相手と。
「それが、あの娘だったのか」
「はい」
八歳の時、自らの意志で修道院に入った娘。炎の眼差しを持つ少女プラスタ・ローワンクリス。彼女の存在が心を閉ざす少女を変えた。
そして彼女自身もまた、変化した。
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