第二大陸(2)
頑丈そうな石壁が割れた。そうしてできた隙間から赤い触手が次々中へ入り込んで来る。寝間着から先日買った海の民の服に着替えたニャーンは抜けそうな腰を杖でどうにか支えつつ全力で否定する。
「むりむりむりむり! むりですっ!!」
力強く断言。無理なものは無理に決まっている。何故なら無理なのだから。
【最優先攻撃対象を発見。最優先攻撃対象を発見】
──ここは第二大陸南部の要塞。千年前の大災害以前、戦争のため建てられた巨大な砦。それを後の人々が時間をかけて補修し、強化も施した建物の中。
今まさに、そこを怪物が襲っている。ニャーンにとっては初めて目の当たりにした本物。不定形の赤い塵の集合体が剥き出しの殺意をぶつけ迫り来る姿は想像を絶する恐ろしさだ。今は辛うじて渦巻く水流の壁がその突進を押し留めている。
アイムは肩に手を置き、彼女を前に押し出した。つまり怪物の方へ。
「はよ行け」
「ぎゃああああああああああああああああああああっ!?」
押されただけなのに物凄い悲鳴。顔をしかめる。まったく、いつもいつも意気地の無い娘だ。
「別に倒せとは言うとらん。お主まだ怪物と戦ったことは無かったじゃろ。だからここで慣れておけ。よく見ろ、グレンに比べりゃマシな相手じゃ」
今回のあれは小さい。普通の人間でも千人の兵がしっかり武装して果敢に立ち向かって行けばどうにか倒せる程度。初陣の相手として申し分無し。
しかしニャーンは必死に踏ん張り、これ以上先へは進ませまいとする。
「違いがわかりません!」
「お主、そりゃ流石に失礼じゃろ」
「ああっ、すいませんグレンさん! そういう意味では無く!」
「いいから早くしてくださいアイム様!」
「もう保ちません!」
叫んだのは水流を維持している者達。祝福されし者ではないが、その力の影響を受けて水を操れるようになった人間。世間からは「回遊魚」と呼ばれている。ここには六人いて力を合わせ怪物の侵攻を押し留めていた。
彼等は焦っているが、アイムは冷静に対応する。
「おう、すぐに始める」
「がんばってください!」
一瞬の隙をついて逃げ出そうとするニャーン。すぐに襟首を掴まれた。隙も慈悲もこの英雄には無い。
「アホウ、だからお主もやるんじゃ」
「無理ですってば!」
「そうか、ならそろそろお暇しよう」
「え?」
「お主がやらんならワシもあやつらを見捨てる。それでええんじゃな? ん?」
「ぐ、ぐぐぐ……」
逃げ出したい。逃げ出したいけど踏み止まる。今から二日前、船酔いで死にかけた彼女に回遊魚の皆は親切にしてくれた。そんな人達を見捨てて行けるはずもない。
もちろんアイムも本気で彼等を見捨てるつもりではない。わかっている。けれど、だとしてもそう言われたら後には退けない。
「鬼……悪魔……ユニティ……!」
「好きに呼べ。星獣が優先するは星の命。この星を生かすにゃ、お主の力が必要なんじゃ。ポンコツを一人前に鍛えるためならワシゃなんにでもなってやる」
彼女の覚悟が決まったのを悟り、回遊魚の面々を見るアイム。念の為もう一押しさせてもらう。
「おい、水流を消していいぞ。自分の身だけ守れ」
「いいんですか!?」
「よくな──むぐもがっ!」
ほれ見ろ、やっぱりまだ腰が引けてる。抗議したニャーンの口を手で塞ぎ、頷くアイム。彼の命令には逆らえない。回遊魚達は英雄を信じ水流を消した。
途端、触手が襲いかかる。
「んにゃあああああああああああああああああああああああっ!?」
涙目ながらも急いで怪塵を集め、翼を形成するニャーン。それを己の手足が如く自在に操り、次々に襲いかかる尖った触手を打ち弾く。この日のために防御は徹底的に仕込んだ。成果がしっかりと出ている。
「よしよし、その調子じゃ。やはり人間、追い込まれればなんでもできる」
ニャーンは正直鈍くさい。だがそれは反射神経の必要な状況にこれまで身を置いていなかったからだと思う。ビサックとの訓練後は確実に反応速度が上がっているし、このまま成長を続ければ人並み以上にはなるだろう。
なおかつ相手が怪物の場合、守りはいっそう堅くなる。周囲の怪塵の位置を把握できる超感覚があるからだ。不定形の怪物の攻撃は常人には酷く読みにくい。視覚に頼り過ぎてしまう。見えれば見えるほど、あの変幻自在な動きに惑わされる。だがニャーンにそれは無い。怪塵を操る力、その一部である超感覚が立体的に相手の動きを捉え、正確な狙いを教えてくれる。たとえ視界外から攻撃されても不意を突かれない限り彼女には通じない。
「し、死ぬ! 死んじゃう!」
ニャーンは正直チビりそうだった。怪物には人と同じような心は無い。けれど、能力が教えてくれる。敵の一撃一撃にこめられた殺意を。全く躊躇無く、油断せず、無感情かつ的確に命を奪いに来る。以前見た怪塵狂いの獣など比ではない。
怪物とは、恐ろしく合理的な殺意と暴力の塊だ。
だからこその人類の天敵。
「そう思うなら全身全霊で防げ。一瞬たりとも油断するな。油断さえしなければ、お主の守りは鉄壁じゃ。保証してやる」
満足気に頷き、自らも前に出るアイム。ニャーンに「攻撃」は期待していない。それは自分の役割。
「さーて、こっちもいよいよ出番が来たぞ!」
握っているのはニャーンに形成させた怪塵の棍。以前グレンと戦った時より少し長さを伸ばした。背丈と同じくらいになったそれを片手で掴み、豪快に振り回す。ヒュンヒュンと風を切って唸る相棒。
「ははは、こりゃいい! 軽くて頑丈! おまけに適度なしなりがあって己の腕が伸びたかのようじゃ!」
事実リーチは素手の倍。武器を得たことは実にありがたい。これまで持たなかったのは彼の力や怪塵との激突に耐えられるそれが無かっただけ。人の姿のまま戦うなら、やはり道具は使うべきである。器用な手先を活かしてこその人体。
「威力のほど、確かめさせてもらう!」
アイムはニャーンの横を駆け抜け、瞬く間に敵の懐へ飛び込んだ。そして攻撃のために伸ばされ脆くなった部分から叩き、切り離し、拡散させる。
敵も当然反撃する。四方八方から襲いかかる触手。しかし尋常ならざる速度で走り回る彼を一向に捉えられない。緩急のついた不規則な動きに惑わされる。
【目標、喪失──発見──喪失──脅威度上昇、さらに上昇、さらに、さらに──】
脳内に直接響く無機質な声。怪物の思考。形勢不利と悟った敵は球体になった。表面が硬化して魚鱗のように幾重にも重なる。そして前進。守りを固めた状態で屋内に強行突入するつもりだ。逃げ場の無い閉鎖空間の方が有利だから。
「まずい! アイム様、中に入られたら!」
「わかっとる!」
こういう状況になると怪物は自爆戦法を用いる。閉鎖空間に自らを押し込んで即時爆発。逃げ場を失った人間はそれだけで全滅する。たとえ爆発で死なずとも同時に屋内の酸素を全て燃焼させ窒息に追い込む。
怪物はその巨体をすでに完全に潜り込ませてしまった。内部で巨大なエネルギーが膨れ上がる気配。
だが、アイムは慌てず前に出た。石畳を踏み抜くほどの脚力。それを推力に変え、関節の回転によってさらに加速させながら突き出した棍の先端へ乗せる。空気が破裂する音と共に白い衝撃波が発生し、怪物の胴体に巨大な風穴を空けた。
直後、その風穴からエネルギーが後方に向かって溢れ出し暴発する。着地した彼の頭の上を掠め、建物の壁を吹き飛ばしながら外へ放出された。
【脅、威──】
声が途絶える。だが拡散はしない。ダメージによる一時的な機能不全。怪物化は今なお保たれたまま。数秒後には復活する。
「ボサッとするな、集めろ!」
「は、はい!」
そうだった、防御に専念していたニャーンは空気中に散った赤い塵を吸い寄せ回遊魚達の周囲に壁を作る。
(やっぱり、怪物は操れないみたい)
怪塵狂いの獣がそうだったように、怪物化した怪塵も本体と繋がっている限り彼女の力には干渉されない。けれど切り離された分はこちらの支配下に置ける。怪物を再構築する塵と彼女に吸い寄せられる塵。二つの流れがその場に生じた。
「怪塵が彼女に!?」
「相手を弱らせると同時に、こっちの守りが強化されるのか!」
「もう少し、もう少しですニャーンさん!」
「うむ、その調子じゃ!」
ニャーンの成長を促すため、あえて攻撃の手を緩めるアイム。
怪物が再起動する。
【新たな脅威を発見。最優先で消去】
次の瞬間、それは己を大量の礫に変え、アイムでなく回遊魚でもなくニャーンを狙った。自らを崩壊させながらの最後の攻撃。大人の拳ほどもある尖った飛礫が無数に襲いかかり、壁や床に突き刺さる。怪塵で形成した盾さえ撃ち抜かれ、いくつかは致命の威力を保ったままニャーンの眼前まで迫った。
しかし翼が弾く。狼の姿になったアイム、その強靭な獣毛に触れてイメージを刷り込み形成できるようになった最強の盾が、またしても彼女を守り抜いた。
そうして戦いは終結する。
「や、やった……」
その場にへたり込むニャーン。もちろん、あたり一面に散った怪塵を吸い寄せ、支配下に置くことは忘れない。
何度見ても信じ難い光景。赤い塵が虚空に弧を描いて集まって行く。人の少女の命ずるままに。
「すごい……」
「奇跡だわ……」
回遊魚達が感動する傍ら、アイムは彼女へ近付いて行った。
「ご苦労。初陣にしちゃ、まあまあの出来じゃ」
こちらはこちらで凄まじい。あれだけ動いたくせに息切れ一つしていない。逆に呼吸の荒いニャーンは汗を滴らせながら返事する。
「あり……がとう、ございます……」
「なんじゃ、随分疲れとるな? もしやその力、体力の消耗が激しいのか?」
「いえ……」
いくら使っても疲れはしない。今のニャーンにとって怪塵を操ることは呼吸同然。意識しなくても自然にできる。
疲れは精神的なもの。千年生きた大英雄にはわからない。人間など容易く引き裂く怪物に狙われ、平気でなんていられるものか。本当に一瞬でも気を抜いていたら今頃あの世にいたはずである。こんな会話もできなかった。
「怖かったんです……」
「そうか、頑張ったな」
笑顔で背中を叩くアイム。彼としては軽くやったつもりだったが、ニャーンは顔から床に突っ伏した。
痛い。おかげで恐怖は完全に消し飛び、怒りと悲しみが取って代わる。
「なにするんですかあ!?」
泣き出してしまう彼女。やっちまったと慌てるアイム。
「すまんすまん。詫びに美味いもんを食わせる、許せ」
「絶対ですよ!? 絶対ですからね!!」
そんな二人を見て頷き合う回遊魚の面々。
「信じよう」
「ああ」
怪塵を操る少女。大英雄が見出した光。
その存在に、彼等もやはり希望を見た。
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