歴史に刻み、名を残す
彼にはグレンと同じく不老となれる権利も与えられた。精霊との一体化が進めば不死にさえ到達できたかもしれない。
けれど自分一人で守れるものなど、たかがしれている。そう考えた彼は不老の体を拒絶して、その代わりに別の恩寵を願った。これから生まれるだろう子や孫に同じ力を与えて欲しいと。
精霊は首を横に振り、けれどもと続けた。
『あなたの力を分割して貸し与える。それなら許しましょう』
そうして彼の子孫は「回遊魚」となった。海でなく大陸の外周部を巡回し、いざという時のため避難所を整備しておく。そういう使命を背負った。複数の能力者が海上にいては争いの火種になる。だから人々も彼等の選択を尊重した。
海の民とて常に海にいるわけではない。海では手に入らない物資もあるからだ。時には耐え切れないほど強い嵐を避け、陸へ上がることもある。そんな時、彼等の整備した施設が命を守る。
祝福を分散させた分、個々の力は弱い。数人がかりでも怪物の足止めをするのがやっと。だとしても彼等がいなければ、第二大陸は今以上の魔境と化す。グレンのように強大な力は持たない。それでも、彼等はやはり英雄なのだ。
「ただ、この力はもうすぐ消えてしまうでしょう」
寝台に横たわる老人。痴呆が進み、自分が何者かすら忘れたニィグラ。彼を介護しつつ自らも年老いた女性が言う。彼女は長女で名はフィマユ。八人いた兄弟の三番目。
「私達には精霊の声は聞こえません。ですが、こうなる前の父が言っていました。精霊が愛してくれたのは、結局自分一人だったと。だから父が亡くなれば、私達の力も失われるはずです」
確証は無いが、父は確信しているようだったと彼女は言う。精霊は自らの意志で祝福を授ける相手を選ぶ。選ばれた者以外にその力を分け与えたことが特例。これ以上の逸脱は許されない。彼等にもまたルールがある。
「そうなれば、今の平和は失われる。また戦える祝福の持ち主が現れるまで、陸に上がることは困難になってしまう。
結果的に見ると、父の選んだ道は間違いだったのかもしれません。第一大陸のグレン様のように不老の道を選べば、より長く人々を守ることができた」
けれどと、茫洋とした表情で天井を見つめる父を見下ろし、微笑む。その表情には愛情や怨嗟、誇りや失望、様々な感情が入り混じっていた。
彼の身勝手で子や孫は使命に縛られた。安全な海でなく危険な陸で命がけの戦いを続けなければならない。
恨んだこともあった。今でも憎しみの火は消えていない。
だとしても、やはり彼を誇りに思う。
「この人は正しいことをしたかったのです。子や孫から誹られようとも。もちろん称賛を求める下心もあったのでしょう。だとしても大勢を救って来たことは事実。そして私達もその名誉を分け与えられた。もうすぐこの力は消える。けれど一族の名は歴史が続く限り語り継がれる」
「名前を……」
椅子に座って話を聞いていたニャーンは、深く感銘を受けた。歴史に名を残す、そんなことは考えたことも無い。けれどアイムと共に怪塵の除去を続け、彼のように英雄と呼ばれる日が来たなら、自分の名も語り継がれていくのだろう。
不思議な気分。想像してみても他人事にしか思えない。
それは、まだ実績が足りないからだと思う。自分自身を納得させられるだけの積み重ねが無い。
目の前の女性は今は穏やかに暮らしている。けれど昔はその実感を得られるだけの苦労を重ねて来た。自分もいつかそんな風になれるだろうか?
思い悩む少女にフィマユは経験に基づいた言葉を贈る。
「悩むことは大切。けれど囚われてはなりません。貴女が迷っても傷付いても時は無情に過ぎていく。潮の満ち引きは繰り返され昼夜も絶えず入れ替わる。それと同じです、運命は気長に待ってくれない。いつも唐突に訪れて選択を急かす。
でも心配はいりません。水が低きへ流れるように、人もまた未来に向かって引き寄せられる。時には身を任せればいい。流れに沿って進むだけ。最悪なのは立ち止まってしまうこと。行き先がわからずとも進み続けなさい。流れが淀めば水は濁る」
彼女の瞳はまっすぐにニャーンを射抜く。心の奥を見透かすような眼力。少女はなんら気負うことなくそれを受け入れた。
心にやましさが無い。
ああ、美しい。
「貴女のその澄んだ瞳、今まで見て来た中で一番綺麗。次に会う時にもまた同じ目でいて欲しい。苦労はあるでしょうけれど、それでも頑張って。皆、必ず役割を貰う。貴女にも貴女の使命があるし、全てのものはそれに従って流れ行く。つまりはなるようになるってこと。気楽に生きればいいわ、うちの父もそうだったもの」
それから彼女はニィグラや彼女自身が若かった頃の話をしてくれた。ニャーンは静かに耳を傾け、そして思った。
ここへ来て良かったと。
「お世話になりました」
「また来てね」
「はい!」
「やれやれ、やっと終わったか」
女の長話にゃ付き合っとれん。そう言って中座していたアイムが戻り、ほどなく二人は海上都市から旅立った。次の目的地は第三大陸。
老いたニィグラとフィマユは役目から解放され、今は安全圏で暮らしている。なによりニィグラの命は回遊魚の能力を保つための重要な楔。他の誰よりも長生きしなければならない。だから二十年前に陸を離れたそうだ。
『もっとも本人にとっては不服な処置でな、ああなってしまう前は会うたびに同じ愚痴を聞かされたものだ』
「そうなんですか、でも、その頃にも会ってみたかったな」
いつものように巨狼になったアイム。ニャーンはその背に座り、若かりし日のニィグラを想像する。長年人々を守って来た英雄、その口から直接教えを賜りたかった。もちろんフィマユの話も参考になったし勇気付けられたのだが。
そういえば彼にも感謝しなくては。
「ありがとうございます」
『何じゃやぶからぼうに』
「フィマユさんのお話を聞いたら心がスッキリしました。船酔いのこととか悪夢とか色々あって落ち込んでいたけど、もう大丈夫です」
先日の怪物との一戦後、連日悪夢を見るようになって寝不足だった。なんとか自力で身を守れたとはいえ怖いものは怖い。いつかはあんな恐ろしいものと戦うことにも慣れるのだろうか? 慣れたとして、それは良いこと? そんな答えの出ない疑問も頭の中でぐるぐる巡り続けた。
船酔いで迷惑をかけたことも気にしている。あれは食べ過ぎのせい。第一大陸でグレン達に認められ調子に乗っていたのかもしれない。アイムの忠告を聞かずに浮かれた行動を取ってしまった。思い返すと恥ずかしい。
だから多分、彼は励まそうとしてくれたんだと思う。そのためにわざわざカニーロまで戻って二人に引き合わせてくれた。
違う? ニャーンがじっと見つめていると、彼はフンと鼻を鳴らす。
『ワシゃ、あの二人の様子を見に戻っただけじゃ』
「えー、本当ですか?」
『んなことで嘘なぞつかんわ。それより服を着替えとけ、第三大陸は第二大陸よりずっと暑いぞ。そんなに肌を出してたらすぐ黒焦げになる』
「暑いなら薄着の方がいいのでは?」
『アホウ、遮るものの無い砂漠の日光を舐めるな。海上都市でも天気の良い日は日差しに注意しろと言われたじゃろ。第三は環境そのものの過酷さで言えば七大陸中でも一・二を争う。しっかり気を引き締めておけ』
「はい」
再び船での失態を思い出したニャーンは素直に従う。まずは第一大陸で貰った服の上に全身を包むゆったりした衣装を重ね着。あの大陸には世界中から様々な品が集まっており、第三大陸の一般的な衣類まで売られていた。
「あ、思ったより涼しい」
『亜麻布だからな、第六では羊毛が一般的だし珍しかろう』
「見た目の割にスースーして落ち着きません……」
ちなみに第一大陸から着ている服は木綿。第六大陸ではたしかに羊毛が広く用いられるのだが、僧服も木綿なのでニャーンとしてはさほど違和感が無い。
『頭にもしっかり巻いとけ』
「これは僧帽に似てるかも」
強烈な日差しから頭を守るためのもの。まず平べったい帽子を被り、その上からさらに布を巻く。これで教わった通りのはず。
「ふう……」
準備はできたが緊張もしてきた。ゆっくり深呼吸して息を整える。
「一面砂ばかりなんですよね? そんなところでどうやって生きてるんだろう……初めて行く場所は、やっぱり不安になります」
『それでええ、常に警戒を怠るな。恐怖心ってな屈しちゃいかんが、無くしてしまっても良いことは無い。適度に怖がるのが長生きのコツじゃ』
「ということは、ユニティも怖いんですか?」
『……あそこは特にな』
第三大陸が? どうして? 問い質すより先に陸地が見えて来た。第三大陸だ。いくら第二大陸から近いと言っても、この短時間で。彼は本当に脚が速い。
噂では、あそこにはアイムを熱狂的に信奉する人々が暮らしているという。大昔、旱魃から救ったことで慕われたとか。
そのアイムは、ニャーンからは見えないのをいいことに露骨に顔をしかめる。
『ワシにも苦手なもんはある。年寄りの長話や第四大陸の甘すぎる酒。中でも筆頭があの大陸の連中じゃ。先に行っておくが……気を強く保て』
「待ってください、どんなとこなんです!?」
『あんなところじゃ』
「ええっ!?」
仰天するニャーンの目に、海岸線にズラリと並ぶ無数のアイム像が映り込んだ。
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