色あせた写真
朝の公園は、犬を連れたお年寄りが二人、花壇の縁に座って話し込んでいるだけだった。この時間、仕事を持っている人達は通勤の最中なのだろう。
これでは、話をしてくれる人を見つけるのは難しそうだ。
「あれ?」
公園を通り過ぎようとした僕は、中年の女性がベンチやってきて、腰かけるのに気づいた。
かっちりしたスーツ姿で、髪を一つにまとめていて、弁護士か教師か、固い職業の人のようだった。
この人ならきっと面白い話を聞かせてもらえる。僕の勘が告げていた。
笑顔を浮かべ、僕は彼女の隣に座った。
「おはようございます。今日は、お仕事お休みですか」
彼女は咎めるような視線を向けた。
「あなた大学生? 学校は?」
「今日は一限がないので」
僕がそういうと、彼女は大きくため息をついた。
「大学生はいいわね。小中学生と違って、出たい授業だけ出ればいいんだから」
「ひょっとして、小学校か、中学校の先生ですか」
さっきのセリフの言い方から、なんとなくそう思ったのだ。
「よくわかったわね。小学校の先生をしているの。今日は 用事があって休みを取ったわけ。人と会って出かける予定なんだけど、早く来すぎちゃって」
(お、予想が当たった)
それに、小学校の先生とは嬉しい。言うまでもなく、学校の怪談は一大ジャンルだ。生徒から、面白い話を聞いているかもしれない。
「実は僕、怖い話を集めているんです。動画で公開して――」
お決まりの説明をすると、彼女は不快そうに顔をしかめた。
「動画ね。そんな物があるから、子供が平気でグロとかエロとかを見るんだわ。そういうのに触れるのにふさわしい年齢があるのに」
「はあ」
「でもいいわ、教えてあげる」
私、H美が小学校の頃、七月だったでしょうか。その頃の私と同じくらいの年齢の女の子と出会ったんです。
都会の人には分からないだろうけど、今にして思えばそのことがもう少し変なんです。
私の住んでいた田舎ではね、誰がどこに住んでいるかを皆知っているの。引っ越してきた人がいればすぐわかる。でも、私はその子が引っ越してきたところを見たことも聞いたこともなかったんです。
とにかく、その子と会ったのは、学校からの帰り道でした。木の下に、ぽつんと立っていたの。むこうから、「こんにちは」ってあいさつしてくれて。
それから、話しているうちに仲良くなって、約束はしなくても学校が終わるとその木のところで会って遊ぶようになりました。日が傾くまであちこち駆け回ったものだわ。
彼女の姿は今でもよく覚えてる。目がくりくりとしていてね、黒い髪を肩で切り揃えていて、流行の服を着ていたっけ。
名前はゆきちゃん、いや、あみちゃんだった。学校にいるときに探してみたけれど、見つからなかったから、きっと他の学校だったか、不登校児だったんでしょう。
ある日ね、二人で木に登っていた時、近所のおじさんに声をかけられてね。ポラロイドカメラで写真を撮ってもらったことがありました。もちろん焼き増しなんてすぐにできないから、同じポーズで二枚撮って、それぞれ持ち帰ったんです。
家に帰ってそれを母親に見せたら、お母さん、「あっ!」ってびっくりしてね。いきなり二階に駆けだして、押し入れの中をあさり始めました。
「これ、ゆきちゃんじゃないの?」って。
「ゆきちゃんじゃないよ、あみちゃんだよ」なんて言っている間に、母は箱の中から写真を見つけ出したのです。
それは古い洋風の部屋で撮られた写真で、小さいときの母が写っていました。
そして、その隣には、あみちゃんがいた。目がくりくりっとして、髪は肩までの、私が知っているのと同じあみちゃん。
私が驚いていると、母が顔をのぞきこんできた。
「本当にその子、あみちゃんっていった? ゆきちゃんじゃなくて?」
「うん、あみちゃんだよ」
「でも、私が子供の時に一緒に遊んでいたゆきちゃんみたいだけど」
そういって、母は写真の中の少女を指さしました。
私はびっくりしたけど、「まさか」って笑いました。
「あみちゃんだったら、お母さんと同じ歳になってなきゃおかしいでしょ?」って。
母は、「それはそうだけど」とぶつぶつ言っていました。
「きっと他人の空似(そらに)か、あみちゃんのお母さんかもしれない」って私が言ってようやく母は納得したの。
そういうふうに決着がつくと、今度は写真に写る二人の周りが気になってきました。
母と女の子が写っているのは、絨毯の上にテーブルが置かれた部屋。テーブルを挟んで向かい合った椅子に、それぞれが座っていました。
どこかのホテルの一室にしては壁紙が汚すぎるし、書棚が隅に写っていたから、普通の民家だったんでしょうね。本棚には、ぼやけてタイトルが読めない本が並んでいました。
その棚に、変なものが映っていたのよ。
土を入れた大きな水槽が飾られていたの。それには重そうな金属製のフタがしてあって、中にはバッタが飼われていました。
でもその大きさがおかしいのです。てのひらほどの大きさがあるの。
なんだかそれがひどく不気味に見えて。例えば、人間ほどの大きさの蟻が目の前にいたら、きっと恐ろしく感じるでしょう。たとえそれが檻か何かに入っていて、こちらに危害を加えないとわかっていたとしても。
常識を崩されたときの、本能的な恐怖。
「このバッタって……」
母に聞いてみると、「あら」と首を傾げられました。
「気味が悪い。ずいぶんと大きいバッタね。この写真、ゆきちゃんの家に遊びに行ったときに撮ったんだけど……こんなのいたかしら。覚えてないわ。きっと、作り物でしょう」
なんにせよ、大発見だと思ったわ。あみちゃんそっくりのゆきちゃんも、やたら大きなバッタも。
私は、母からその写真を借りました。自分ではそんなことありえない、といいましたが、あみちゃんが実はゆきちゃんだったらおもしろいな、と思ったんです。まるで、絵本の中の話みたい。永遠に歳をとらない、妖精みたいな女の子。
もしそんな子がいるのなら、その正体を暴いてみたい。そんなことを考えてしまったのです。
次の日、写真を持って、ドキドキしながらいつもあみちゃんと遊ぶ木の下に向かいました。あみちゃんに、写真を見せるのはやめました。もし、悪い妖精だったら、正体を知った私に何をするか分かりませんからね。
その日はいい天気だったんですけど、夕方から急に雨が降り出して。木の下で待っていたあみちゃんも、かけてきた私もずぶ濡れになってしまって。
雨がやんだ後、あみちゃんが家に誘ってくれたんです。すぐそこだし、タオルと温かい牛乳くらいなら出せるからって。
「お父さんもお母さんも、今ならいないから大丈夫だよ」ってあみちゃんは言ってましたっけ。
私は内心ドキドキしました。あの写真で、あみちゃんの家に興味があったから。あの写真にあった家と同じ家だったらどうしよう? あのバッタがいるかしら?
あみちゃんの家はなんてことない、普通の家でした。もっていた鍵で、あみちゃんが玄関の戸を開けてくれました。
家の造りは、洋風ではなく和風でした。玄関をくぐると、暗い廊下が濡れたように光っていて。
けれど、どこか異臭がしました。
タオルで体を拭いて、牛乳を台所の鍋で温めて、飲み終わった頃にはもう雨は止んでいました。けど、せっかくだから少しおうちで遊ぼうってことになったのです。
それから通されたのは、あみちゃんが遊ぶための部屋のようでした。人形やゲーム、テレビがなどで散らかっていたから。
その時、そこでジェンガで遊んだことをはっきり覚えています。
そのうち、トイレに行くと言ってあみちゃんが席を外しました。
そうしたら、今まで自分たちの会話で聞こえなかった音が聞こえてきたの。
かさ、かさかさって。
それはどうも、私たちが遊んでいる部屋じゃなくて、その隣から聞こえてくるみたいでした。
いけないと思いながら私はそっと廊下に出ました。
でも、両親がいないのだから、あみちゃんに見つからなければ平気なはず。
きしむ音におびえながら、黒い板張りの廊下を歩き、音をたどっていくと、ふすまの前にたどり着きました。思い切ってふすまを開けると、この家に入ったときから感じていた嫌な臭いが強くなりました。
ふすまのむこうは、一枚布団が敷かれてあるだけの、がらんとした部屋でした。
布団の周りには、何か、黒い粒がいっぱい落ちていました。そこから水分がしみだして、畳にシミを作っていました。
しゃがみこんでよく見てみると、それは何かの糞だった。うさぎか昆虫の物のような、パラパラと丸いもの。
なんだか、ひどく怖くなってね。逃げ出したくなったけれど、ここまでして何もしないで帰るなんて、という意地の方が強かったんですね。
かさかさいう音は、押し入れの中から聞こえてきました。つま先立ちで糞をよけて、押し入れの前にいきました。震える手で思い切って押し入れを開けました。
その中には、大きな水槽がありました。熱帯魚店、今はアクアリウムショップっていうんでしょうか、そういう所で商品の魚が入っていそうな、水族館にありそうな、大きなもの。
水の代わりに薄く土が入れてありました。草もうわっていて、何かが飛び跳ねていました。手のひら大の、大きなバッタ。
バッタの跳躍力って凄いから、普通のガラスのフタじゃあダメなんでしょうね。水槽のフタは分厚い金属製でした。
カサカサいう音は、そのバッタが飛び跳ねる音だった。強くフタにぶつかるものだから、触覚や目が取れているものもいて……
もうここにはいられないと思いました。
あみちゃんが戻るのも持たないで、私は逃げ出したの。
それから私は、あみちゃんと会わなくなりました。待ち合わせ場所の木の下を、避けるようになりました。
同じ学校じゃなかったから、それでしばらくは顔を見ることはなかったんだけど――
ある日、偶然あみちゃんを見たの。
変なところから声がしたから、顔をむけたら、家と家との間の、人に見られにくい場所に、あみちゃんと、近所のおじさんがいたのです。あの、写真を撮ってくれたおじさん。その人は、ニヤニヤいやらしい笑みを浮かべて、あみちゃんの顔をのぞき込んでいました。なんだか、その様子が何かを企んでいるみたいに見えて…… 気味が悪くて……
私は逃げ出しました。何か悪いことが起きるってわかっていました。
二日後、近所の池で男の水死体が見つかったというニュースが流れた。
テレビのニュースでその顔見て、私はびっくりしました。あみちゃんと話していた、あのおじさんだった。
これは、ただの噂話ですが、おじさんのそばに、写真が一枚落ちていたそうです。ぼやけてはっきりとは見えなかったけれど、カマキリか何かの、昆虫の足が写っていたそうよ。それも、すごく巨大な。
「へえ、水辺で昆虫でも撮影しているうちに、事故でも遭ったんですかね」
僕が少しとぼけた返事をすると、H美先生は顔をそむけた。
「最後にあみちゃんに背を向けたとき、キチッと音がしたのね。何か、硬いものがこすれるような不快な音。そう、多分、私の聞き間違いだと思います。それからなにか、昆虫の羽音みたいな音と、おじさんのくぐもった悲鳴がしたような気がしたのだけれど」
女性は、気味悪そうに体を震わせた。
「昆虫って、色々ものがあるの。肉を食べるだけでなく、体液をすするのもいる。大きな昆虫が、人間の体液を吸って湖に捨てたのだとしたら? 干からびた死体に水が染み込んでいって、逆に普通に戻るんじゃないかしら。良からぬことをしようとした男が、あみちゃんに返り討ちにされた……なんてね」
そういうと、肩をすくめてみせる。
「あの大きなバッタは?」
「さあ。まさかあみちゃんの食糧だった、てことはないと思うけど」
語り終えると、女性は少し不安そうな顔になった。
「それでね、男の死体が見つかってから、気がついたことがあるのです。母親から写真を借りたって言ったでしょう? あみちゃんらしき人が写ってたっていう。あれ、なくしちゃったようで」
女はぶるっと体を震わせた。
「多分、あみちゃんの家でなくしたんだと思う。そこしか心当たりがないですから。でもね。自分の正体を隠していた人ならぬものが、自分の正体の手がかりになりそうな写真を持っている者を放っておくかしら」
犬が小さく鳴き、お年寄りたちはまたどこかへ散歩に行った。
時間になればここにも子供が来るだろう。その後で砂山を作ったり、滑り台をしたり。
僕の頭に、あるかもしれない未来の光景が浮かんだ。
遊ぶ子供たちの前に、よそから来た見知らぬ女の子がトコトコと駆け寄っていくのだ。黒い髪を肩までたらした、くりくりとした目を持つ、ブラウス姿の女の子。
そして笑顔で子供達に聞く。
「H美先生って知らない?」
まぁ、それは僕の勝手な想像だ。
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