当番の順番
そこは小さな教会だった。祭壇の前に、質素な木のベンチのような信徒席が何列も並んでいる。魔よけに焚かれる香(こう)がしみ込んでいるのか、ろうそくに香料でも練り込んであるのか、いい香りがした。ステンドグラスから差し込む光が、まだらに床を染めている。
今は集会や儀式などは行なわれておらず、席には一人、女性がいるだけだった。年齢はもう三十ぐらいだろうか。何やら熱心に祈っている。どこかに出かける途中なのか、彼女の隣には分厚い布性のリュックが置いてあった。
戸口に立っていた僕は、彼女の祈りが終わるのを待って、ゆっくりと近づいていった。
「あの、実は僕、動画配信をやっているんですが……」
いつものセリフを言いながら、僕は彼女の隣に腰を下ろす。
「怖い話? それって私本人が体験したことじゃなくていいの?」
「もちろん!」
僕は微笑んでみせた。
怖い話なら、誰の体験談だって大歓迎だ。
あのね、あたしの母さんが、小学生だったときのお話よ。
その日、母さんは母さん――つまり私のおばあちゃん――とひどいケンカしたんだって。それでその夜、こっそり家を抜け出したんだって。パジャマの上からパーカー着てさ。
家出なんて大げさな物じゃなくて、あちこちあてもなく歩いただけみたいだけど。
気が付いたら、小学校に入り込んで、広い校庭を眺めてぼーっとしてたんですって。
そのうち、怒りで熱くなっていた頭も冷めてきて、帰ろうとしたんだけど、気まぐれにちょっと遊具で遊んでみたくなった。
ほら、あれよ、あれ。名前は知らないけどさ。球(たま)の形のジャングルジムみたいなのに、柱が通っていてくるくる回る奴。あれを一人で回して遊んでたら、フードの紐が柱のボルトだか隙間だかに絡まっちゃったんだって。
まずいって思ったんだけど、勢いがついて止まらなくて、どんどん首が絞まっていく。紐を引っ張ったんだけど、外れるどころか、勢いを緩めることもできなかったんだって。
だんだんと意識が遠のいてきた時、誰かの足音が聞こえたそうよ。薄れていく景色の中で、人影が近づいてくるのが見えた。顔ははっきり見えなかったけど、大柄な、髪の薄い、作業着を着た男だったって。
それで気づいたら、遊具の近くで倒れていたらしいの。フードの紐は、すっぱり切られていてね。絡まったからちぎれたってわけじゃなくて、誰かが切ってくれたみたいなの。で、母さんは気絶する前に見た男の人が助けてくれたんだろう、って思ったわけ。
それで、お礼を言いたかったから、その男を探し始めたんだって。夜中に、作業着で校庭にいたわけだから、きっと用務員さんだって見当をつけて。あ あ、今の子は知らないかな。昔は、住み込みの用務員さんが学校にいたのよ。
で、思い切って先生に事情を話して、用務員さんに会わせてもらったんだけど、用務員さん、助けた覚えはないって言うんだって。
最初はほら、夜の校庭で事故が起きたなんてことになったら、警備がどうのこうので用務員さんが怒られるから、すっとぼけていると思ったんだって。でも、よく思い返してみたら、助けてくれた用務員さんははげ頭だった。でも、この用務員さんはふさふさ。
「思い出したけど、助けてくれたのはおじさんと髪形が違ってたかも……」
て言ったら、
「ああ、じゃあ『幽霊用務員さん』かも知れない」
って言われたそうよ。
確かに、その話は母さんも聞いたことがあった。
体育館裏でいじめられっ子がいじめられていると、見慣れない用務員さんが現れた。用務員さんは黙って立っていただけだったけど、いじめっ子はいじめの現場を人に見られるのを嫌って逃げていった。
放課後、人がいない場所でケガをした子を、人がいる所まで連れて行った。
助けられた人がお礼を言いたくて捜しても、該当の用務員さんは学校にいない……
そんな話が語られているんだって。
その正体は結局分からない。何年も前に死んだ用務員さんが、まだ校内をうろついているとか……
内心、僕はがっかりした。
幽霊用務員なんて、全国どこにでもあるありきたりの話だ。
でもだからといって、せっかく話してくれた人を邪険にするわけにはいかないだろう。
「おもしろい話をありがとうございます」
ていねいに僕は頭を下げた。
場所を移動して、もっと怖い話を知っている人を探しにいこう。
「待って。あのね、まだこの話には続きがあるの」
少しあわてたように、彼女は言った。
僕は、上げかけていた腰をまた下ろした。
「最近、母さんが亡くなったの」
「それはご愁傷(しゅうしょう)様でした」
では、教会にいたのはお母さんの冥福を祈るためだったのだろうか。
でも、それが幽霊用務員とどんな関係があるんだ?
「それでね、今、例の小学校に姪っ子が通っているの。姪が言うには、今でも、幽霊用務員さんの話が語り継がれているんだけど……内容が、私が聞いたのと少し変わってる」
「変わっている?」
彼女は笑った。面白いでしょう、というような笑み。だけど、その笑みには何かぞっとさせるものがあった。降りかかった不幸を自虐的に嗤(わら)っているような。
「それがね。昔の話だと中年の男性だったのが、初老の女性になってるんだって。小太りで頬にシミがあって、目が大きくて、唇が薄い」
随分と細かい描写だ。時代が時代なので、ひょっとしたらその『幽霊用務員』を捉えた画像でもあるのかもしれない。スマホか何かで。
「それが亡くなった母親とそっくりなの! 死んだ私の母さんとね」
その言葉をどう捉えていいのか、僕にはわからなかった。つまり、今はこの人の母親の幽霊が用務員をやっている?
「多分、当番制なんじゃないかと思うのよ」
寂しそうに彼女は微笑んだ。
「あの用務員さんに一度命を助けられた人が亡くなったら、次の用務員さんになるんだと思うの。おそらく、お礼をしろってことなんだろうね。自分が仕事を引き継ぐことで」
「じゃあ、あなたのお母さんは……」
「そう。まだ天国には行けないで、学校を守ってるんだろうねえ」
だとしたら、この人の母親は相当長い間働き続けるハメになるだろう。
彼女の母親が、仕事から解放されるのは『救った子供が亡くなった』とき。
一つの学校で、子供の命にかかわる危機なんて、そんなに頻繁に起こることではないだろう。いじめをかばうとか、ケガ人を人がいる所に連れていくのとはわけが違う。
そして、運よく子供の命を危機から救ったとして、今度はさらにその子が亡くなるまで待たなければならない。
下手したら、死してなお何十年と働き続けるはめになる。
「それじゃあ、私はこの辺で」
そう言うと、彼女はバックを持って立ち上がった。
中に何が入っているのか、重い金属がぶつかり合う音がした。
次の日、僕はちょっとしたニュースを目にした。
昔ながらの喫茶店で軽食を取っていたとき、備え付けられていた新聞に、興味深い記事があったのだ。
要約すると、こんな感じだった。
とある小学校の、遊具のボルトが緩められ、子供が大怪我をしたらしい。
遊んでいた児童は、誰かが応急処置をしたおかげで、重症ではあるものの死にはしなかったし、命に別状はない。警察では、詳しい事情を聞くために応急処置をした人間を探しているが、一向に居場所がつかめないということだ。
なお、遊具のボルトは最近点検をしたばかりで、その時は何も異変はなかった。恐ろしいことに、点検後、何者かに外されたのだろう、ということだ。悪質ないたずらとみて、警察は犯人行方を追っている。
『まだ天国には行けないで、学校を守ってるんだろうねえ』
新聞をもとに戻すとき、ふとその言葉が頭をよぎった。
幽霊用務員の遺族からすれば、できるだけ早く、肉親を成仏させてあげたいだろう。
あのバックの中には何が入っていたのだろうか。重い金属が触れ合う音がしたけれど。たとえば、ボルトを緩めるのにピッタリな工具が何種類か入っているような。
今回助けられた子が、天寿を全うしたころ、また子供達の間で語り継がれる幽霊用務員の容貌は変わるのかも知れない。
いや、そもそも、その子は天寿を全うできるのか?
幽霊用務員が、一番手っ取り早く仕事から解放されるのは、助けた子がすぐに死んでしまった場合だ。たとえば病死とか、
事故死、
とか。
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