温かな定食
小さな食堂で、その女性は食事をとっていた。ようやく社会人になったという感じで、新しいスーツが初々(ういうい)しい。肩まである黒い髪を縛っている。きっと、学生の時は優等生だったのだろう。
彼女の前に置かれているのは、味噌汁に、白飯に、サンマに、漬物と言う典型的な焼き魚定食だ。
「あの……」
僕が話しかけると、彼女は箸を止めて「はい?」と愛想笑いをしてきた。
「あの、僕、怖い話を動画にしているんです。もし使えそうなネタがあれば、教えてほしいんですけど……」
僕がいつものセリフを言うと、彼女は静かに微笑みを浮かべた
「怖い話、ですか。食べながらでもいいですか? あと、私の話だって個人が特定できないようにしてくれるなら」
「それはもちろん」
「では」と彼女は咳払いをしてから、
「私は昔、育児放棄をされていたんですよ」
と結構重い話を、淡々と話し始めた。
父が誰なのか、私は知らないの。
母は、男に夢中で何日も私のことを放って遊び歩いてた。お金もろくに渡してくれなかった。そのわりには、私が他の人の世話になっているとひどく怒るのよ。人の家でおやつとか食事をもらっていると、連れて帰って、私を殴るの。
多分、虐待とかなんとか、通報されるのが嫌だったんでしょう。ひょっとしたら、あれでも私を愛していて、私が自分以外の他人に頼るのが嫌だったのかも。いや、それはないか。
とにかく、空腹には勝てないからね。給食のない土日のお昼頃になると、母に見つかるのをおびえながら、何か食べさせてくれそうな家の戸を叩いて回った。
でも、そんな子供なんて誰だっていやよね。お風呂にも入れてもらえなかったから、汚くて臭かったし。
そんなこんなで、私は近所からだんだんと嫌われていった。そのうち、誰も家に入れてくれなくなった。みんな私の顔を見るだけで、鼻先でドアを閉めるのよ。
仕方がないから、ある日、私は遠出して、何か食べ物くれる人を探すことにしたの。あまり行ったことのない所なら、顔も知られていないだろうって子供ながらに考えたのね。
商店街をうろうろしていたら、定食屋さんをみつけて。そうそう、ちょうどここみたいな、庶民的なお店よ。
店先に突っ立っていたら、おばさんが声をかけてくれた。
「お嬢さん、お腹空いてるの?」って。
手招きされるまま、店に入ると、中にはおじさんがいた。夫婦でやってる定食屋だったのね。壁にしみ込んだ油の匂いがした。
食べさせてくれたのは小さなコロッケだった。暖かくて、おいしかったわ。あの味は、今でもよく覚えてる。
おじさんとおばさんは、コロッケを食べる私を、優しく微笑んで見つめていた。
その次の夜、母が帰ってこなくて、夕飯が食べられなかった私は、そっとその定食屋の前まで行ってみた。もうお店は閉まっていたけれど、おばさんは私に気づくと明かりをつけて、戸を開け、私を招き入れ、残り物の肉じゃがをくれたわ。
おじさんも、それに文句を言わなかった。
嬉しかったけど、同時に悲しかったの。私に食べ物をくれた人はみんな、最初は笑顔だった。笑顔じゃなくても、私に気を使って、不愉快になんて思っていないって顔をむりにしてくれるの。
でもね、何度も食べ物をもらううち、だんだんと不機嫌になってくる。そして最後には明らかに嫌な顔になって、そして遠回しに「もう来ないでね」って言ってくる。
この優しいおばさんに、いつかそんな風にされるのが嫌だった。
でも、何回食べ物をもらいに行っても、おばさんもおじさんもずっと笑顔のままだった。私には、その表情が少し不思議に思えた。みんな私のことをジャマにするのに、なんでこの二人は優しくしてくれるのかなって。
そんなことを思いながら、私はお腹が空くたびに食堂にいった。
私がご飯をもらうのは、大体お昼の忙しい時間帯が終わったとき。人が少なくなった食堂の、テーブルの隅にぽつんと座ってね。
大抵は、お昼の残り。とんかつやコロッケのほかにも、唐揚げなんかも食べさせてくれた。
食べてる間、私は学校であったことをおばさんに話して聞かせたわ。
おばさんもおじさんも、嬉しそうにうなずいて聞いてくれてね。
私には、それがとっても嬉しかった。
でも、どういうわけか、仲良くなるうちに、おばさんもおじさんも、私の事を時々呼び間違えるようになったの。私の名前はM美っていうんだけど、「かっちゃん」って。
「それはよかったね、かっちゃん」
「かっちゃん、そんなことしてはいけないわ」
「私はM美よ」って言うと、「あらごめんなさい」って謝ってくれるんだけどね。
「悪かったわね。うちには勝也(かつや)って男の子がいるのよ。M美ちゃんと背丈が似てるからつい、ね」
私は不思議そうな顔をしていたのか、おばさんは説明してくれた。
そう言われれば、お水をもらうとき、ガラスのではなくプラスチックのカップが出てきたことがあったわ。青くて、特撮ヒーローの絵が入っている奴。
「男の子? でも会ったことないよ?」
「ええ、今ちょっと風邪を引いて寝ているの」
その口調はなんだか不自然に聞こえたけれど、こういった場合、しつこく聞くとぶたれるってことを、母親から学んでいたわ。まさか、おばさんはぶったりしないだろうけど、嫌がられるだろうって。
「ふーん」
私は、食堂の奥にある厨房に目をやった。
あの厨房の奥に、おばさん達が暮らすための居住スペースがある。それはおばさん達の行動から見当がついていた。おばさん達も、別に隠してなかったしね。
あそこを通っていけば、ベッドで寝ている男の子がいるんだな、ってなんとなく思った。そして、ずるい、とも。
私は母さんに殴られるのに、まともにご飯ももらえないのに、かっちゃんはこんなやさしいおばさんと暮らしているんだって。
かっちゃんになりたかった。
「だから奥へ行っちゃだめよ。風邪がうつるかもしれないから。それに、厨房には包丁も火もあるし」
「うん!」
そう約束したし、私もそれは守るつもりだったんだけどね。おばさんを困らせることをしたくなかったし。
でも、母親が来たのよ。
その日、その食堂に向かう途中、商店街の向こうから歩いてくる母の茶色い髪と、派手な服に気づいたの。買い物があったのか、私を探していたのかわからない。でも、そんなことはどっちでもよかった。もし私がここにいることが知れたら、連れ戻される。そして、殴られる。
私は食堂の中へ駆け込んだ。ちょうど昼頃で、店内に一杯いるお客さんがいっせいに私を見た。
「あら、M美ちゃん、悪いけど、今お客さんがいっぱいで……」
言いかけたおばさんの横を通り過ぎて、私は厨房の中に入り込んだ。
火を使っているからか、空気がむわっと暑かったのを覚えているわ。
「おいおい」
何かを炒めていたおじさんが驚いた声を上げた。
「ここに入っちゃだめだって……」
「でも、母さんが!」
食堂の引き戸にはめられたすりガラスの向こうに、人影が映った。
厨房の横に扉を見つけ、私は飛び込んだ。
ここまで入り込んだことがないから、先に何があるかわからなかったけど母に捕まるよりはマシだと思った。
「M美! いるんでしょ!」
って母のどなり声が聞こえたときは体がすくんで転びそうになったわ。
後ろから、母とおばさんの言い争う声が聞こえてくる。机を手で叩く、バンバンという音も聞こえた。
厨房を出ると、木の廊下が伸びていた。見たこともない大きな鍋や包丁が並んでいる場所から、どこの家にもあるような場所に出ると、なんだか世界がいっぺんに変わったみたいだった。
廊下には、いくつかドアが並んでいる。
食堂の方で、食器が割れる音がした。誰か仲裁に入ったのか、お客さんらしき男の人が、何か怒鳴っている。
もう、とにかくその音から離れたくて、一番奥のドアに飛び込んだ。私は、すぐに咳き込んだわ。胃がひっくり返りそうなひどい臭いがしていた。
そこは子供部屋のようだった。壁紙は空色。ブルーを基調にしたクローゼットや、机や、おもちゃ箱。棚にはロボットやペンギンのぬいぐるみ。説明されなくても、かっちゃんの部屋だってわかった。
部屋の隅に置かれたベッドの、頭側の壁には、幾何学模様のポスターが貼ってあった。まだ子供だったからね、かわいい動物でも、きれいな風景でも、かっこいいキャラの写真でもないポスターを貼って何がいいんだろう、なんて思ったわ。
そしてサイドボードに置かれた、銀の燭台に、赤い液体の入った器。銀縁の鏡。
そしてベッドの上には白い繭(まゆ)のような物が乗ってた。
こんな大きなチョウチョがいるのかなって近づいてみて、私は悲鳴をあげた。
裸の男の子よ。男の子が、大きなビニールでぐるぐる巻きにされてるの。大きな生肉を保存するみたいに。
その子の太ももの肉は、切り取られていた。両方とも。人型のクッキーの足をネズミがかじったみたいにね。
そして私は……たぶん、悲鳴をあげたんだと思う。
そこから先は、あまり覚えていないの。私の悲鳴を聞いて、母がやってきたのだとは思うのだれど。
それから、私はどこかに座っていて、その横をいろんな人が行ったり来たりしていたみたいだった。
だいぶ頭がはっきりした時、私は病院のベッドの上にいた。
警察が話を聞きにきたけど、一、二回だけだった。まだ小さかったから手加減してくれたんでしょう。話せることも少なかったし。
それからなんのかんので、お婆さんの家に引き取られることになったんだけど……それは今、関係ないわね。
遠い場所に引っ越したから、周りの住人にあれこれ聞かれることはなかった。もちろん、大人同士で「ひどい事件よね~」みたいな噂話はあったけどね。まさか、私があの定食屋から保護された当事者だとは思わなかったんでしょうね。
それでも、色々な情報は入ってくるの。
かっちゃんは、私が死体を見つけた何週間も前になくなってたみたいなの。階段から足を滑らせて……
おそらくおばさんもおじさんも、そのことが受け入れられなかったのね。
火葬して、骨にするのは忍びなかったのよ。だから、亡くなったことを誰にも告げず、遺体を残しておいたのね。
私は、何日も何日も、すぐそこに死体がある家に通っていたのよ。
話しながら箸(はし)を進めていた彼女は、さんま定食をほとんど食べ終わっていた。
皿の上にさんまの骨が載っている。腹のあたりだけ少し肉が残っていて、できそこないの骨格標本のようだった。
そういえば、昔彼女が語ったようなニュースが確かにあった。
子供を想うが故に、死体を隠していた夫婦。「気持ちは分かる」とか「気持ちが悪い」とか、「本当に子供のためを思うなら、きちんと埋葬するべきだ」とか色々意見が出ていたような。
「それでね、枕元に変なポスターが貼ってあったっていったでしょ?」
そういえば、そんなことを言っていた気がする。
「たしか、幾何学模様だったって……」
「それは、魔方陣だったの。小さい時は変な模様だとしか思わなかったけど」
「へえ」
そんなこと、ニュースでは言っていなかった。
「魂をね、呼び戻す術があるんですって」
この言葉の意味がわかっているかを探るように、彼女は上目遣いで僕を見つめた
「それにはね、同じ位の歳の子を用意する必要がある。その子に、死んだ子の肉をすべて食べさせるの」
淡々と、というよりいっそ気だるげに、彼女は言った。
「それから、特定の日時に祈りながら用意した子を殺す。体に傷のつかないよう、窒息死か毒殺で。そうすると死んだ子の魂はその犠牲者に乗り移る」
ビニールに包まれた男の子の死体は、太ももの部分が切り取られていたという。
「それじゃあ……」
女性は、ゆがんだ笑みを浮かべた。
「そう、おじさんとおばさんは、かっちゃんを私に食べさせていたの。コロッケや、肉じゃがなんかに混ぜて。焼肉にハムカツとかにもね。ほら、放置子は普通の子違って、飢えてるし、手なずけやすいし、もってこいだったんでしょう」
彼女は皿の上の魚の骨を眺めた。
「あれから、肉がダメになったわ。こうやって、魚なら食べられるけど。それに、夜になるとたまに男の子の声が聞こえるような気がする。どこでもない、この体から。まぁ、本当にそんな魔術があるとして、最後までいかなかったんだから、気のせいなんだろうけど」
そう言って彼女は席を立つと、隣に置いてあったハンドバッグを手に取った。
ファスナーが開けっ放しで、一瞬中身が見える。ハンカチやスマホ、たぶん化粧品が入っているのだろうポーチに混じって、新幹線のおもちゃが入っていた。中指くらいの、何かのおまけのような。
そのハンドバックから財布を取り出しながら、彼女はカウンターにむかった。
自分が小さく鼻歌を歌っていることに、彼女は気がついているだろうか。
一昔前に流行った、戦隊物の特撮テレビのオープニングの曲を。
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