みっちゃんの人形

その小さな店は、その町でコンビニのような役割をしているようだった。

入り口の横には昔ながらのアイスのケース、店内はヒンヤリしていて、少し湿っぽい。コンクリートの床にいくつか棚が置かれていて、賞味期限の近い小麦粉や塩、洗剤や石鹸、ちょっとした野菜が並べられている。

カウンターの丸いイスに中年の女性が座り、暇そうにスマートホンをいじっている。もう四十も過ぎているだろうか。ぽっちゃりした体型で、なんだか愛きょうがある。

入ってきた僕の気配に気づき、女性は顔を上げ、スマホをエプロンのポケットにしまい込んだ。

「いらっしゃい」

僕は目的の品物を探しているふりをしながら、なるべくさりげなく声をかける。

「この町はのんびりしていていいところですね。このお店、長いんですか」

「ええ、まあ。母親の代からやってるから」

世間話を持ちかけてくる客は珍しくないのか、たいして警戒もせずに女性は答えた。

「前は保母さんをやっていたんだけど、腰を痛めてしまって。仕方ないから家に帰って、店を継いだのよ」

「へえ。幼稚園も、お店も、たくさんの人と関わるから、色々なことがありそうだ。実は僕、動画配信をやっていまして。怖い話があれば教えて欲しいんですけど」

おばさんは、何かを言おうかどうか、しばらく考え込んでいるようだった。

「いいわ、教えてあげる。あなたの顔を見ていると、なんだか話したくなっちゃう」

そう言って、彼女は話し始めた。


私がある幼稚園に勤めていた時の事。少し、気がかりな子がいたの。

みっちゃんっていう女の子なんだけどね。他の子に比べて背が低くて、ひどくやせっぽちでね。なにか病気じゃないかと思ったんだけど、親御さんから特にそういった話はなかったし。

虐待かとも思ったけど、確信はなかったし……言い訳になるけど、当時は今ほどそういった問題に注目されていなかったから、下手に騒ぐとこっちが責められたのよ。家庭の事情に首を突っ込むなとか、なんとか。

結局、母親に『運動をさせて、栄養に気をつけて』とか当たり障りのないことしか言えなかった。

ある日、その子が園に日本人形を持ってきた。

今でもまだはっきり覚えてるわー、赤い地に紫の花のきれいな着物を着て、おかっぱ頭をして、細い目と小さい唇をした、典型的な奴よ。

「キヌちゃんっていうの」

そう言って、みっちゃんは日本人形を紹介してきた。とっても嬉しそうだったっけ。

でも、はっきり言って困った。

私的な人形とかぬいぐるみとかを、幼稚園に持ち込んだらいけないことになっているの。盗難だったり、他の子がそれを欲しがったり、トラブルのもとになるからね。

「お迎えの時間になるまで、キヌちゃんは先生達のお部屋で待っていてもらおうね」

そう言って、私は人形に手を伸ばした。

指が着物の肩に触れたときよ。ぞっとしたわ。本当に『ぞっ』ってしたの。指先から冷気が血管に乗って、肘のあたりまで登ってきた気がした。

 人形を奪われると思ったんでしょうね。それと同時に、みっちゃんが「いやあああっ!」って悲鳴をあげた。

その冷気と悲鳴に驚いて、私は手を引っ込めた。

もう異常なくらいみっちゃんは泣いちゃっていた。「キヌちゃんと一緒にいる」って。

お母さんは、困ったような笑みを浮かべていた。

「私が買ってあげたんだけど、思いのほか気に入っちゃったらしくて。家でも手放さないのよ。ごめんなさいね、悪いけどこれを取り上げないでくれませんか」

「でも、決まりですので……」

そう私が言いかけただけでも、みっちゃんは人形を抱えてよけい大泣きをしてしまった。

それを見て、私はなんだか薄気味悪いものを感じたわ。

子供がお気に入りのおもちゃを手放したくないって駄々をこねることはよくあるけど、ここまでひどいのは異常に思えた。

騒ぎを聞きつけて園長先生まで出てきてね。

「こんなに泣くんなら、仕方ないね」ってことになって。結局、特例で持っていってもいいってことになったの。たぶんそのうちに飽きるだろうから、って。

さすがにお遊戯とかお外遊びの時は、「大丈夫。どこにも行かないから、キヌちゃんには持っていてもらおうね」って説得して、教室の隅に置いておくことにしたの。小さな台を用意してね。

数日たったお外遊びの時よ。子供たちはキャッキャと歓声を上げて準備をしていた。

「キヌちゃんは、お部屋でお留守番ね」

私はそう言って、しぶるみっちゃんからキヌちゃんを受け取った。

異常な冷たさを感じたのは最初の一回だけだったけど、それでも人形に触るたび嫌な感じはした。なんだか、その瞳に見つめられているような。

ちょっと低めの台に置くために、人形を持ったまま少し腰を曲げたときよ。

視界の隅にある、開いたドア。そこから見える廊下の隅に、何か動くものが見えた。

誰かの素足。多分女性の。細い血管が浮かび上がっている肌は、すごく青白かった。薄く水色の絵の具を塗ったんじゃないかと思うくらい。どう見ても生きてる人間のものじゃない。そして、栄養不足でぼこぼこに波打った爪。

驚いて顔を上げた。見たと思った足は、もう消えていた。でも、床に足跡が残っていた。白く曇った裸足の足型が。とても冷たい、でなければ熱でもあるみたいに熱い人の足が、床に乗ったらこうなるだろうって感じ?

「先生! 早く!」

園児たちの声で、私は我に返った。

もう一度、廊下の床を見る。だけど、もう足跡は消えていた。

きっと、何かの身間違い。でなければ、気のせい。

私は自分で自分にそう言い聞かせた。

そして、気を取り直して私は園児の世話に戻ったの。


それからしばらくは変な事はなかった。

でも、だんだんとみっちゃんの様子がおかしくなっていったの。

痰が絡んだような咳をするようになってね。ひどいカゼでも引いたんじゃないかと思って、母親に病院に行くように勧めたんだけど、「大丈夫だ」って言うばかりで。

実の親にそう言われたら、こっちは何もできないからね。心配だったけれど、そのままにするしかなかった。

昼食が終わって、お昼寝の時だったわ。

みんな、小さな布団を敷いて横になっていた。もちろん、小さな子供のことだから、寝入るまではヒソヒソ話したり、クスクス笑ったり、賑やかよ。

けれど、それも静かになっていった。ヒソヒソ話が静かな寝息に変わったころ。まだ誰か笑っている子がいた。くすくす、くすくすって、衣擦れみたいにかすかな笑い声。

こっちはこれでも保母さんだから、園児の声はみんな覚えている。でもね、その声はどの子とも違うのよ。

知らない子が、皆の間にまぎれて込んで笑ってる。

膨らんだ小さな毛布が、市場に並べられた魚みたいにいくつも転がってる。いつもなら、もこもこ、ふわふわしたものがいっぱいあるのは、なんだか微笑ましいんだけどね。

一人ひとり、顔を確認していく。

そしたら、またくすくすっと笑い声がしたの。みっちゃんの近くで。

みっちゃんは、人形を抱えたまま眠っていた。人形がみっちゃんの方をむいていて、頬にキスをしようとしているように見えたっけ。

まさか、この人形が笑った?

そんなことってある? 

笑っていると言うことは、呼吸をしているということだからね。

私はそろそろと手を人形の口元に近づけていった。自分でもバカなことをしていると思ってた。つぼみのような赤い唇。小さな鼻……

小さな半月型の目の瞳が、ぐりんと動いた。横を向いたまま、眼だけが動いて私の方を見たの。

「ひっ」

思わず手を引っ込めた。

「い、今……」

改めて見ると、人形の瞳はちゃんと前をむいている。

胸を押さえて、激しくなった呼吸を抑える。

この人形は何かおかしい。もう、私の気のせいなんかじゃない。私はそこで確信したの。


それからみっちゃんは目に見えて弱ってきた。だんだん休みがちになって、登園しても顔色が悪い。

たぶん、あの人形に祟られているんだ。呪いのキヌ人形に。私には、もうそうとしか思えなかった。

「あの……みっちゃんが持っているあの人形なんですけど」

みっちゃんの母親がお迎えにきたとき、私は思い切って言ってみた。

それとなく、人形をお寺だか神社とかに持っていってくれるように頼むつもりだったの。

「もう、幼稚園に持ってこないほうがいいと思うんですけど……」

「は?」

 お母さんは、眉を吊り上げた。

 びっくりしたわ。みっちゃんのお母さん、こんなに怒りっぽい人じゃないもの。

「あの、あまり人形に依存しすぎるのも問題ですし、やはりけじめをつけた方が……」

「なんてこと言うの! あんなに気に入ってるのに、取り上げろっていうの!」

 みるみるお母さんの顔は真っ赤になっていった。

「あ、いえ……どうしてもというならいいのですが」

 驚きと、怒鳴られる恐怖で、私はしどろもどろになった。

「あ、ええと、それから、どうもみっちゃん、具合が悪そうなんです。できれば病院に診せてあげて……」

「構わないでください!」

涙をまで浮かべて、母親は反論した。ちょっと怖いくらいの勢いだったわ。ちょっと、異常なくらいよ。

あの様子では、母親を説得して人形供養どころじゃないと思ったわ。だから、私が守ってあげないといけないと思ったの。

でも、私はオカルトのことなんて分からないからね。空き時間を利用して、とりあえずインターネットや図書館で日本人形のことを調べてみた。もし、みっちゃんの持っているものが有名な呪いの人形だったら、どっかに記録があるんじゃないかと思って。お菊人形や人形供養をやっているお寺のサイトとかもチェックした。

家に帰って、夜寝る前の時間にそんなの見ているんだから、いい気分はしなかったわ。

結局、みっちゃんが持っている人形の事はわからなかった。何とかしてあげたいけど、どうしていいかわからない。その時は本当に辛かったし、焦ったわ。

そんな精神状態で、遅くまで調べ物して、眠って……


目を覚ましたら、狭い部屋の隅に置かれた、硬いベッドの上で寝ていた。現実に、じゃなく夢でね。

薄暗くて、壁の一面は鉄格子になっていた。ベッドの横の白い壁には、かきむしった跡がある。爪で削れた傷とか、指先の皮膚が破れて着いた血の跡。

夢の中の私は、無実の罪でとらわれた女性になってた。本当なら、今頃愛する人と結婚していたはずなのに、もう三年もここに閉じ込められていたの。

悔しくて、私はまた壁をかきむしった悔しい自分は何もしていないのになんで私が指から血が滲んで五本の筋がつく。

悔しい。

恨みが腸(はらわた)を焼き尽くしそうだ怒りのあまり心拍数が上がり心臓がひきしぼられるように痛み意識が真っ赤に染まり消えていく。


そこで私は目が覚めた。汗びっしょりだった。周りが見慣れた自分の部屋だと知って、心の底からホッとしたわ。

もう喉がカラカラで、水を飲もうとして立ち上がったとき、手首にかすかな痛みを感じたの。

パジャマの袖に、真黒な、真黒な髪が一本、刺さっていた。私のとは髪質が違う。ほら、私のは茶色でしょ?

あの人形の髪だ。なんだかねえ、それがはっきり分かったの。

お風呂にも入ったし、着替えもしているから、パジャマにつくなんてあるわけないのに。

私は慌ててそれを引き抜いた。

気味が悪かったけれど、人形の呪いの正体がわかったわ。

夢でみた、無実の罪で捕まった人。おそらくこの人形は、彼女の髪が使われている。

夢の最後、あの人の意識がだんだん薄れていくのを感じた。あの囚人は、おそらくああやって、絶望して死んだんだ。壁をかきむしりながら。


どうして囚人の髪の毛が人形に使われるようになったのか、なんて聞かないでね。私にだってわからないんだから。

人形を供養してあげないとって思ったわ。身体測定とかなんとかみっちゃんをごまかして、キヌちゃんの大きさを測って、人形用の婚礼衣装を買ってみた。

あの女の囚人の、一番の願いは恋人との結婚だった。でも、三年間も閉じ込められていて、式を挙げることもなく亡くなった。その恋人が誰かなんて調べようがなかったし、せめて婚礼衣装を着せてあげれば、少しは恨みも晴れるんじゃないかと思ったの。


急がないといけないと思ったわ。そのころになると、みっちゃんは幼稚園に来てもぐったりしていて生気がなくなっていた。大好きなお絵かきの時間になっても、手も動かさずにクレヨンを持ったままぼーっとしているのよ。

「先生?」

私が見つめているのに気づくと、みっちゃんは首をかしげた。

「先生、大丈夫? 頭痛い?」

どうやらみっちゃんを心配して暗くなっている私を、具合が悪いんだと気遣ってくれたようだった。なんて優しい子なんだろうって感激したよ。

その日の外遊びの時間、私はスキを見て人形の前にその婚礼衣装を置いた。

ほら、外の園児がいるところでそんなことしたら、騒ぎになるからね。「何それ、貸して!」とか「みっちゃんだけずるい! 私にもプレゼント!」とかさ。

それに、外で遊ぶ元気もなくなっていて、そのころにはみっちゃんは一人教室で休んでることになったの。

一人っきりにできないから、私がみっちゃんの面倒を見て、ほかの保母さんが外で子供を見ていたから、ちょうどよかった。

「それ、キヨちゃんへのプレゼント?」

みっちゃんがそれを見て聞いてきた。

「そうよ。あげるの。でもみんなには内緒よ?」

私はキヨちゃんに手を合わせ、「成仏してください」と心の中で祈った。

ふっと、人形の雰囲気が柔らかくなった。

うまく言えないんだけど、そう、何か、生き物のような気配のある人形が、ちゃんと子供の想いや好意を入れる器に戻ったという感じ。もっと単純な言い方をすれば、ただの物に戻った感じよ。


「それで、そのみっちゃんは元気に?」

「いいえ」

イスに座ったまま、おばさんはエプロンで口元をおおって首を振った。涙がポロポロとこぼれ落ちる。

「あの子は、それからすぐに死んだわ」

「だって、人形の呪いは解けたんですよね?」

「それが悪かったのよ!」

おばさんはエプロンから手を離し、両手を左右の頬にあてた。そのまま爪を立てるようにして頬をなでおろす。赤い筋が残るくらいに。血が出るんじゃないかと僕は心配になった。

「私が呪いを解いたのがいけなかったの! お葬式の時、錯乱した母親が言っていたわ。『せっかく呪いの人形を手に入れたのに』って」

 僕は少し混乱した。

「え? じゃあ、その母親は呪いの人形と知っていながら、自分の娘に?」

 それに、今までのおばさんの言葉だと、呪いを解いたからみっちゃんが死んでしまった、というように聞こえる。

 興奮していたおばさんは、僕の質問に答えず、記憶にあるみっちゃんの母親が口走った言葉を叫び続けている。

「『やっぱり人形の呪いなんて嘘だったんだ! あの子はもう余命が一年もなかった』」

 そこでようやく、僕はこの残酷な話のオチが読めた気がした。

 人形を手に入れる前から、みっちゃんは病にかかっていたのだ。たぶん、三年も生きながらえることができないほど重い病に。

 母親が、どうして担当の保母であるおばさんに、それを伝えなかったのかはわからない。

子供は敏感に大人の雰囲気を感じ取る。変な同情が向けられないように、園長先生だけに伝え、誰にも言わないよう頼んでいたのかもしれない。

「『あの人形は、三年で死ぬ呪いがかかっていたはずなのに!』。みっちゃんのお母さんの話を聞いて、私はあの夢のことを思い出した。

無実の罪で投獄された女性が死んだのは、つかまってから三年後。だから、あの人形には、手に入れたら三年後に死ぬ呪いがかかっていたの!」

「逆にいえば、その人形を持ってさえいれば、三年の間は決して死なないということ……」

だからこそ、みっちゃんの母親はあの人形を手に入れたのだ。少しでも、わが子の延命をしようとして。

人形をみっちゃんから離そうとしたり、お祓いを勧めたりしたら怒ったのも、その呪いがなくなるのを恐れていたからか。

「私は殺してしまった! あの人形の呪いを解かなければ、みっちゃんは少なくとも三年は生きていられた!」

 なんだかかわいそうになるくらい、おばさんは取り乱している。

「でも、あなたはそんなことになるなんて思いもしなかった。逆にみっちゃんを助けようとしたんだ。少なくとも、みっちゃんはあなたを恨んでいないと思います」

しばらくその女性は泣いていたが、やがて照れくさそうに微笑んだ。

「なんだか不思議ね。このことは誰にも話をしたことなかったのに。神父さんにでも懺悔したみたいな気分だわ」

「そんな上等なものじゃないですよ」

 ぼくは皮肉気にいうと、棒付きの小さな飴を買った。

(呪いを使って、三年間の延命、ねえ)

 我が子のために、呪いまで逆手に取ろうとするなんて。母の愛は偉大、というわけだろうか。呪いで延命したところで、その間幸せに暮らせるものだろうか。答えの出ない問いをもてあそぶ。

くわえた飴の棒をひょこひょこと動かしながら、僕は店を出ていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る