証拠のある山

 大学病院の待合室で、俺はぼーっと順番を待っていた。体の治療のため病院に来ているのに、こんな長い間座りっぱなしでは、逆に具合が悪くなってしまうのではないかと思う。

 持ってきた雑誌に読むとはなく目を落としていると、長イスが沈む感覚がして、誰かが俺のすぐ隣に座ったんだと分かった。

「あの」

 話しかけてきたのは青年だった。短い茶色の髪に、無地のTシャツ、それにジーンズと、どこにでもいるような青年だ。それこそ別れたらすぐに顔を忘れてしまいそうな。

「実は僕、Uチューブで怖い話の動画を作っているんですが……」

 もしネタになるような話があれば話してほしい、と彼は言った。

「ああ、そうなんだ」

 あの話をしてやろうかな。ふとそんな考えが頭に浮かんだ。

作り話だと思われるだけだし、本当なんだと必死に主張しても、すればするほどおかしな奴だと思われるのが分かっているから、滅多にしないあの話を。

 こいつなら、内心では信じなかったとしても、露骨に馬鹿にはしないだろう。なんとなく、そんな気がした。

 仮にするとしても、俺がいない所だ。話してくれと頼んだのは向こうなのだから、それぐらいの礼儀は守ってくれるだろう。

「実は……」

 俺は口を開いた。


 俺の近所には、小さな山があったんだ。山って言うより、ひどく木が茂った小高い丘、といったところか。

 俺はよく、一人でそこで遊んでいた。他の子たちは、坂道を駆け回るなんて疲れることはしないで、皆でゲームをしていたけど。

 俺には、新しいモンスターの居場所がどうとか、アイテムがどうとかよりも、道を歩くアリや、宙を舞う蝶の方が魅力的だったんだ。

 え? 意外? よく言われるよ。

 両親は友達と遊ばない俺を心配していたようだけど、口では何も言わなかった。

ただ「あの山は人気(ひとけ)がないから、日が暮れる前に帰ってきなさい」とは言っていたけれど。

 そうして一人で遊んでいるときに、猫を見つけてさ。俺は、そいつと遊んでたんだ。

 でも、しばらくしたら猫は急に俺に飽きたようで、走ってどこかへ行っちまった。

 夕暮れにはまだ早かったけど、なんだかつまんなくなった俺はもう帰ることにした。で、麓(ふもと)にむかって歩きだした。

 でもおかしいんだ。そこには何度も遊びに行っていたから、大体どのくらいで下の広い道まで出られるか見当がついていた。

 けれど、もうそろそろアスファルトの道路に出るはずって距離になっても、全然たどりつけないんだ。なんだか怖くなって、俺は走り出した。

 走って走って、息が苦しく、膝がガクガクで、もうこれ以上走れなくなったところで足を止めた。

そこで、草木が見られないものに変わっているのに気づいた。

 もちろん小さかったから、木の名前なんてあんまり知らないし、まあ今でも特に詳しくはないけど、周りに生えている木の葉っぱが、円いものだったのが細長いものに変わってているのくらいは分かる。

 それに、この辺にあるはずの小さい岩や、洞(うろ)のある木なんかもなくなっている。それから、ふわっといい匂いがした。

 前に、青い花が咲いていた。ちいさな泉みたいにまんまるく。

 こんな場所、見たことがなかった。こんな場所があるなら、山中(やまじゅう)を遊び回っていた自分が気づかないはずがない。

 迷子になったんだ、と言う恐怖と、一本道なのになんで? と言う疑問でいっぱいだった。

「ねえ」

 泣き出しそうになったとき、急に後から声をかけられ、俺は飛び上がった。

 知らない女の子がそこに立っていた。俺より少し小さい女の子。ピンクの半そでに、黒いスカート姿だった。

「だあれ?」

 その子は首をかしげた。

 俺が名乗ると、その子はユイナって名乗った。この辺りに住んでいるらしいけど、見たことはなかった。どこの小学校に通っているかも聞いたけど、それも聞いたことがない学校だった。

それでもそうやって話すうち、すごく仲が良くなってね。いつの間にか、迷子になっているのも忘れてたな。

その子は、家に飾る花束を作りたくてここに来たらしい。

 話ししながら、僕はその子が青い花を摘むのを見ていた。その子はちゃんとハサミまで持ってきていて、青い花だけじゃなく、その辺に生えている茎の太い雑草の花も摘み始めた。

 花束を作り終わり、ユイナは「もうすぐ帰らなきゃ」って言っていた。「またここに来て、私と一緒に遊んでくれる?」って。

 もちろん、その子と遊ぶのは楽しかったからな。俺は「うん」ってうなずいた。そして、次に遊ぶ約束と友情の印として木の幹に、二人でお互いの名前を彫ることにした。ユイナが持っていたハサミで。

そのうち、日が暮れてきた。空が真っ赤に染まった時に、俺はようやく自分が迷子だというの思い出したんだ。

 とりあえず俺はまた麓に向かって走り出した。このまま帰れなかったら、と思うと怖かった。足元が見えないほどじゃなかったけれど、どんどん暗くなっていったしな。

 気づいたらまただんだんと木の種類が変わっていって、今度はきちんと知っている道に出られたんだ! 見慣れた道に出たときは、その場に座り込みそうになったよ。

 それからは、そんな風に変な場所に迷い込むことはなくなった。でも、まだ話はこれで終わりじゃない。

 最近、会社でちょっとした旅行があってさ。ハイキングをしていたら、青い花が咲いている場所があったんだよ。それが記憶にあるのとあまりに同じ景色だったから、まさかと思いながら近くの木を確認したんだ。

 そしたらあったよ! 幹に彫られた名前が二つ!


 俺の話を、青年は興味深そうに聞いていた。

 どこか淀(よど)んだ目が、俺のことを見つめている。

 そうだ、この話には、まだ話していないことがある。それは誰にも言わないと決めたことだった。墓場まで持っていこうと。

 けれど、気づいたら俺は口を開いていた。

 なんでかは分からない。心の奥底で、誰かに聞いてほしいと思っていたのか、それとも、青年の眼に、催眠効果でもあったのか。

「もう一つ、驚くべきことがあるんだよ」

 青年は、対して期待していない様子で続きを待っていた。

「あのな、実はあの花畑で、ユイナを殺したんだ」

「へえ」

 少し、青年の眉が動いた。なんだかそれだけで、この青年の興味を引けたと得意なってしまう。

「あの子が持っていたハサミは、兄さんから借りたものだって言ってた。柄の部分に、戦隊ヒーローの絵がプリントされている奴だった。

俺はそれがすごく欲しくなって、ちょうだいって言ったんだ。

 そしたらその子は借りたものだから駄目だって言ったんだ。結果、取り合いになった。その時に二人してひっくり返って、ハサミの刃が彼女の首に……」

 青年は、黙って話を聞いている。

「もちろん着ていた上着に返り血はあびた。だから、元の山に戻ってから、すぐ家に帰らず、上着を脱いで、泥につけたんだ。出来る限り湿っていて、ドロドロの物を。

母さんは上着を洗い桶に突っ込んだ。当然、泥は落ちても血のシミは残る。でもな、まさか自分の子供が血まみれになって帰ってくるなんて思わなかったんだろう、母さんは茶色く残った血のシミを、落とせないほどしみこんだ泥だと思ってすぐに捨てちゃったよ。

いや、ひょっとしたら、僕が何かしでかしたのに薄々気がついて、証拠を隠滅したのかもしれない。

しばらくは自分がやったことがいつバレるかとドキドキして、食べられないし眠れないし、辛かったな。

 その後、ニュースに殺人事件の被害者としてその子の写真が出た時は、持っていたカップを落っことしたよ。でも、それを見てこれなら捕まらないって安心もした。

事件が起きた場所は、県境を二つ超えたところの山だったから。切符の買い方もろくに知らない子供が、ほんの数時間でそんな所まで行って、会ったこともない女の子を殺すなんてありえない。だろ? 小さくても大人がそう思うことはちゃんとわかったからね。

 あ、このこと、動画で言ってもらっても構わないよ。どうせ完全に不可能犯罪なんだから。実際、犯人はまだ見つかっていない。今でもまだ未解決のままさ」

「そうですか」

 驚くべき俺の話を聞いても、彼は淡々としていた。

「ひょっとしたら、たくさんある未解決事件の中には、あなたのようなケースもあるのかもしれませんね」

 責めるでもなくそんな感想を述べる。

 なんとなく俺が身震いしたのは、その血も涙もないような青年の態度にびっくりしたわけではない。

なんだか、心の一部をそっと抜き取られたたような、変な喪失感に襲われたからだ。別に記憶をなくしたわけでもなく、話をした後と前と、自分は何も変わっていないはずなのに。

「今日は面白いお話をありがとうございました」

 青年は礼儀正しくお辞儀をして、名刺大のカードを渡してきた。

「今の話、もしかしたら動画にするかもしれません。これどうぞ」

 そこにはURLと、QRコードが印刷されている。

「あ、ああ、どうも」

 俺は軽く頭をさげた。

 去っていく青年の姿を見ながら、僕は手元のカードを折りたたんだ。

 多分このアドレスにアクセスする事はないだろう。ちゃんとした理由は無い。別に青年が気に障ったとか、怖い話が嫌いとかいうわけでもない。危険な物を裂ける本能のようなものだ。きっと。

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