第17話 カラの異変

問題の遺跡の地下深く。

立ち上がれるまでに回復したラシウスは、地底湖に身を沈めていた。

大地に清められた水は透明度が高く仄かに甘い。

冷たすぎるのが難点だが、体にも心にも溜まった汚れが落ちるのは爽快だった。


「傷が…思ったよりも残っていない」


今思い返しても、ゼナに突き落とされたのは即死の高さだった。

本来なら身体中の骨がやられ、衝撃で皮膚も酷く裂傷していたはずだ。

では何故五体満足で助かったのか。

思い当たるのは妖刀しかないが、呪符に巻かれたアレにそこまで力は出せないはずだ。


「もしかして君が助けてくれたのか、カラ」


ラシウスのそばで、水面からぷっくり顔を出したカラが感情のない濁り目で見つめてくる。

相変わらず返事はないが、この静かすぎる地下でカラが居ると居ないとでは大きな違いがあっただろう。

己の正気を保つ作用も相まり、ラシウスは彼にしては珍しくよく話しかけていた。


「君は不思議だな。こうして見ているととても人殺しの人喰いには見えないのに」


実際カラは至って穏やかで、いつも手に持つ長剣さえなければ危険にも見えない。

ラシウスが黙り込むと話が終わったと判断したのか、カラは先に地底湖から出た。

ぶるぶると頭と体を振り、脱ぎ捨ててあったボロ雑巾のような服を辿々しく着る。

そしていつもの長剣を手に取ろうとしたが、その側に転がっていた妖刀に目を止めた。


「それには触らない方がいい」


水辺から声をかけると、大きな目が振り返る。


「それはただの刀じゃない。触れば僕のように取り憑かれるぞ」


カラは首を傾げるとその場にしゃがみ込み、まじまじと柄に巻かれた呪符を眺めた。


「興味があるのか?」


地底湖から上がると水を擦り落とし、簡易な服だけを着直す。

カラはまだ刀を見ている。


「それにはあやかしが取り憑いている。今は呪符が効いて眠っているけどね。俺が十二の時、何も知らずにこいつを押し付けられた」


怪しく光る紫がかった銀色の瞳。

嘲笑う美しい顔が脳裏をかすめた途端に、言葉が一瞬途切れた。


「…あの、性悪狐め」


絞るようにこぼれた悪態にカラが顔を上げる。

ラシウスはハッとすると妖刀を手に取り腰紐に挿した。


「カラ、君は悪魔の子かもしれないが、きっと俺もそう変わらない。俺たちはどこか似ているのかもしれないな」


胸の内がぽつりぽつくりと声に乗る。

こんな事は初めてだ。

ひと揺らぎもしない地底湖の水面と、カラの瞳。

相手が言葉を理解出来ないからこそ、何のてらいもなく本音がこぼれるのかも知れなかった。

ラシウスはカラを連れて寝ぐらに戻ると、陽の光さえろくに届かない大穴の空いた天井を見上げた。


「そういえば最近ゼナの姿がないな。あいつはいつもどうやって出入りしてるんだ?」


自力ではとても這い上がれる高さでも広さでもないが、ゼナはいつも適当な食料をこさえては悠々と現れる。

どこかに抜け道でもあるのだろうか。

薄暗く横穴だらけの遺跡を見回していたが、隣でカラがふと顔を上げ動かなくなった。


「カラ?」


同じ瓦礫の先を見上げても特に変わった事はない。


「一体どうし…」


ラシウスはぎくりと声を飲んだ。

今まで一切表情が動かなかったカラが、にたりと笑みを浮かべている。

それはどこか作り物めいた仮面のような顔で、小さな彼の雰囲気をがらりと変えた。


「カラ…」


呼びかけてももう振り返らない。

カラは剣を引き摺りながら遺跡の奥へと消えて行った。

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