最終話 契約結婚のその後 (アイフォード視点)
「……え?」
呆然としたマーシェルの声が聞こえる。
……しかしその実、一番心を乱していたのは俺の方だった。
数秒前の自分を殴り倒したい衝動が胸によぎる。
なにが契約結婚だ。
契約もなにも、ただの俺の願望でしかない。
けれど、口にしてしまった手前、もうそれをなくすことはできなった。
「お前を客として扱うには、あまりにも不都合が増えすぎていてな」
俺はなんとか、顔が赤くならないように必死に意識しながら、いつも通り皮肉げに笑う。
そんな俺に、マーシェルが首をかしげる。
「不都合?」
「とぼけなくていい。クリスのことだ」
「……っ!」
その瞬間、明らかに挙動不審になったマーシェルに、自分を脇に置いてあきれてしまう。
何かあったと言っているようなその態度で、分からない訳がないだろうと。
しかし、今の俺にはそこをつつく余裕はなかった。
ただ、矛盾が出ないよう意識しながら、俺は言葉を続ける。
「このままではお前が本当に必要な時までに、邪魔が入りかねない。そんな面倒ごとのためにお前をこの屋敷に置いている訳ではないのは分かってるよな」
「……分かっています」
「だから、俺の妻になれ。誰も手出しされないように」
できる限り自分の内心が出ないよう、必死にいつも通りを装いながら、俺は告げる。
「もちろん契約だ。状況が変われば、もちろん解消してやる。俺の目的が達成するか、お前に手を出す人間がいなくなればな。だが、今はそのどちらも満たしていない。分かるよな?」
「……はい」
俺の言葉に、素直にうつむき素直に頷くマーシェル。
その姿を見ながら、俺は内心安堵に包まれていた。
なんとか違和感なく誤魔化せたと。
……しかし、その安堵と同時に胸に締め付けるような痛みも走る。
我ながら、馬鹿なことをしたと思わずにはいられなかった。
マーシェルは間違いなく俺のことを嫌っているだろう。
そんな相手とも契約結婚など苦痛でしかないだろうし、さらに俺を嫌う理由を増やすようなものなのだ。
冷静に判断していれば、そんな後悔が胸によぎり、しかし俺はそれを強引に胸の奥にしまい込んだ。
どうせ、この人生はマーシェルに捧げると決めているんだ。
だったら、徹底的に嫌われるくらいでちょうどいい。
いずれ、マーシェルが幸せになる踏み台になれれば本望。
そう自分に言い聞かせながら、俺はどうせならと口を開く。
「改めてよろしくな。俺の妻、マーシェル」
それは、いずれ契約を解消する時、マーシェルが罪悪感を覚えないための布石。
あえて嫌悪感を煽るための行為だった。
その俺の言葉に、さすがのマーシェルも顔を上げる。
そこに嫌悪が滲んだ顔があることを覚悟して。
「はい……!」
「っ!」
──だからこそ、マーシェルの顔に浮かんだ喜びを隠せない表情に、俺は衝撃を隠せなかった。
相変わらず、涙の溢れた赤い充血した目。
しかし、それは悲しみではなく、喜びが原因のものだった。
呆然とその涙を見ながら、俺はなぜマーシェルがこんな表情をしているのか理解できなかった。
俺はマーシェルの全てを歪ませ、守ることさえできなかったような人間で。
どうして、そんな人間に仮とはいえ嫁ぐのに、こんな表情ができるのか?
しかし、そんな疑問はすぐに頭から消え去った。
なにも分からず、けれど俺は一つあることだけは確信することができた。
今までの捨て身の笑顔でも、苦しみを隠すための笑顔でもない初めてみるマーシェルの表情。
「よろしくお願いします。旦那様……!」
──あふれる幸せを噛み締めるように笑うこの表情を、俺はこれから先、一生忘れることはないだろうと。
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