春来れば

 例え俺が死んだとしても、父親は3年前に死に、母親も2年前に死んだ事から、ほぼ心残りは無い。


 仙台の大学卒業後、就職は東京の電子機器メーカーの東京本社勤めだった。これといった目標はなかったが、精勤していれば役職もついて、誰かと結婚するかだったが、そんな波は自ら起こさぬ限り生まれぬ事でもあった。


 そんな心持ちの折、両親も老いて弱って来たので、意を決して5年前に青森にUターンした。

 Uターンしたものの、都会のキャリアは片田舎にとっては、外国かの内容なので、何とは無しに幾つかものアルバイトに付いた。零細企業でも勤めれば良いかは、両親の病院の付き添いがままあるので時間の取れるアルバイトに励んだ。


 収入は1/3になったが、両親が市街地本町のテナントを持っている為、そこは両親に甘えて衣食費は免除になって、実質都会の暮らし向きと変わらないかだった。

 ただ片田舎でお金を使う店も無いので、思いついたらネットショッピングなのかで、青森の経済を回してるのか、俺とままなる。


 そう両親が死んでやや心残りは無いと言ったが、そのややは彼女三柴美登里に寄るところが大きい。美登里とは広報の臨時パートで、ねぶた祭りの案内係として出会った。

 年齢も同学年で、辿れば近所の公立中学の隣の隣の組だったらしい。話題は剃り込みの入ったチンピラ先生頑鉄の悪行の数々でそこそこ盛り上がり、帰り道は近所である事から、彼女の車にそれとなく乗せて貰ってより深く語らいだ。


 美登里は札幌からのUターン組で、同じ雪国ならば青森でも同じ暮らしぶりでは無いかと帰って来たらしい。訥に札幌のナイスガイにより出会えたんじゃ無いかも、彼女はにこやかにもう出会ったからと、しつこく同意を求めて、ああから、そういう事よの相槌を打たされる。


 両親が死んだ後は、俺の家で美登里と実質同棲生活に入っている。共に敢えて深く語らないものの、30歳前には結婚しておくべきかが、実りある人生かなだった。


 美登里は中々のキャリア持ちも、地元青森の需要と供給の社会問題から、現在は田丸中食工場に勤め、コンビニ弁当作りに励んでいる。

 互いに地道に積み立てはしても、すれ違いの生活を無くそうとの協議に入った。彼女は日中のシフトに、俺は深夜勤一辺倒だったが、昨年冬から意固地な善次店長と喧々諤々に協議して、折り合いのつかないシフト以外、明朝のシフトにほぼ入った。


 俺と美登里の二人で、ただ夕食と晩酌で寛げる事は何よりだ。

 そして今日も同じく、その日の出来事を、いや、うっかりまた車中凍死事故に出くわしたと漏らそうものなら、通勤のあれこれを心配されるのか。その為にも、無事今日を過ごしたい。

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