<外伝>完璧な后と愛せない王様 第7話




 それからしばらく、アデルと二人きりで過ごす時間はあまり取れなかった。

 公務が立て込んでいたわけではないが、なんとなくそういった気分になれなかったのだ。

 わかっている。

 世継ぎをもうけるのは私の義務だ。

 ロギウスのためなどではなく、帝国に対しての。

 義務を果たすうえで、恋愛の真似事をするくらいどうということはない。

 ……わかっている。

 私が本気で恋をすることはない。というより、できない。せいぜい模倣するのが限界だ。

 だが、彼女とて──

 私とどれほどの違いがあるというのだろう?






「テリオス様」



 向かい合って駒を指しながら、今日も完璧に美しいアデルはほんの少し唇を噛んだ。



「なんだ」


「ひさしぶりに時間ができたとおっしゃいましたが、なぜチェスなのです?」


「チェスは嫌いか?」


「嫌いではありませんけれど……」



 そう言って形のいい眉を寄せ、コツリと駒を動かす。

 やはり手強い。

 腕を組んで考え込んでいると、アデルが再び口を開いた。



「あの……最近……」



 小さな声でぼそぼそと言う。



「お見えに……なりませんね」


「ん?」


「その……」


「夜のことか」


「……っ」



 赤くなって目を伏せるアデル。

 ふむ。

 あれほどきっぱり初夜を断ったわりに、そこは気にするらしい。



「そなたが先に恋をしたいと言ったのであろう。ゆえに遠慮しているのだ」



 本当ではないが嘘でもない言葉を口にして、私は慎重に一手を返す。



「それは……そうですが。でも、お休みになる前に、少しお話するくらい……」


「なるほど。そなたはそうして、目の前で私に我慢を強いたいというわけだな」


「‼」



 今度こそ真っ赤になったアデルがあわてて駒を動かした。

 私はすかさず開けた道に駒を進める。悪手に気づいたアデルが息を呑んだ。



「……!」



 挽回は難しいと悟ったのだろう。苦々しい顔で自らキングを倒す。



「ようやくそなたから一本取ったぞ」


「い、今のは、ずるいですわ……!」


「盤外も含めて勝負のうちであろう?」


「むぅぅ」



 まただ。

 時おり垣間見せる幼い表情。普段の落ち着いた様子からは想像もつかぬほど。

 ……おもしろい顔をする。

 思わず膨れた頬に触れてみたくなる。



「どうかなさいまして?」



 と、アデルが小首をかしげた。

 はっとして伸ばしかけた手を引っ込める。



「いや……。それほど悔しがるとは思わなかった」


「悔しいに決まっていますわ。だって、わたくし──」


「?」


「……なんでもありません」



 急にそっぽを向くアデル。

 へそを曲げてしまったかと思いつつ、駒を取って並べなおす。



「まあ、今日は許せ。私へのプレゼントだと思えばよい。一日早いが」


「え? ……あっ」



 するとアデルは顔を輝かせ、



「そうですわ。明日!」



 花のように微笑んだ。



「楽しみですわね」



 どうやら機嫌を損ねたわけではないらしい。私は軽くうなずき返す。

 楽しみ、か。

 楽しかったことなど一度もない。

 ──自分の誕生日など。






 救いがあるとすれば、独身ではなくなったということくらいか。

 幸いにして、もう令嬢たちと踊る必要はない。

 誕生日に毎年開かれる王宮舞踏会。

 広々としたダンスホールに着飾った上級貴族らが次々と現れ、優雅なワルツの調べに合わせて、明かりの下の男女がくるくると舞う。彼らの落とす影が折り重なり、床にさざ波模様を作る。



「まあ……! 妃殿下のお美しいこと」


「本当に。同じ人間とは思えませんわ」



 今宵もアデルは注目の的だ。

 ブルーとゴールドの華やかなドレスに身を包み、私の隣で完璧な笑みを浮かべて佇んでいる。その姿に目を奪われない者はいない。

 まったく、美しい妻がいるのは便利なものだ。容易く人々を惹きつけることができる……。

 などと考えていると、軽く袖を引かれた。

 アデルが後ろからこっそり袖をつまんでいる。



「どうした?」



 小声で尋ねると、彼女は顔を寄せて囁いた。



「テリオス様。わたくしたちはいつ踊るんですの」


「私たちが? なぜだ?」



 皇族の妻は招待客と踊るのが通例になっている。

 中でも、今回は特別だ。

 フォルセイン王国から輿入れしたばかりの初々しい姫。そして、次期皇后。彼女と踊る栄誉に浴したいと望む者は多い。

 我々の前に列をなす招待客は、誰がその最初の一人に選ばれるかとしきりに気を揉んでいるというのに。



「帝国のしきたりはわかっていますわ」



 挨拶の切れ目に、また小さく袖を引かれた。



「でも」



 周りに聞こえぬよう、そっと囁く声。



「……あなたと踊りたい」



 振り返って顔を見る。

 透き通った瞳と目が合った。

 彼女の手を取りたい、と瞬間的に思った。

 そんなことを思ったのは初めてだ。

 私と踊りたいという女は毎年大勢いた。そのような相手が近くにいると、決まって気分が悪くなったものだ。

 だが、今はそうならない。

 なぜ?



「──アデル」



 小さく名を呼ぶ。

 体の中がかすかに震えて、揺れる。彼女の瞳の中に倒れてしまいそうになる。

 同時に、首筋を鋭い冷たさが走った。



「……できない」



 声に出さず呟くと、アデルは何も言わず私から目をそらした。

 何事もなかったように挨拶を続ける。



「アハト」



 来客の中に燃えるような赤い髪を見つけ、私はすぐに声をかけた。



「お祝い申し上げます。殿下」


「よく来てくれた。アデルとはすでに顔を合わせていたな」


「はい。妃殿下もご機嫌麗しゅう」



《真紅》の公爵はすらりとした長身をかがめ、アデルの手の甲に口づける。



「細君はどうした?」


「申し訳ありません。身重のため、本日は置いてまいりました」


「そうか。それはめでたい」



 私は笑顔でうなずき、



「ならば、今宵のパートナーが必要だな」



 そう言うと周囲がざわめいた。

 アハトが目を上げてじっと私を見る。それから、再びその赤い瞳を伏せた。

 自分の胸に手を当てると、彼はその場にひざまずく。



「よろしければ──。私に、妃殿下と踊る栄誉をいただけますか」



 今度はアデルが私を見た。

 先ほどと違い、その瞳は不透明な色をしていた。

 私はうなずいてみせる。



「………」



 彼女はドレスの裾を軽く持ち上げ、美しい所作で進み出ると静かな声で言った。



「ええ。喜んで」



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