<外伝>完璧な后と愛せない王様 第4話




 なるほど。恋をすればよいのだな。

 アデルの部屋を出て自室に戻り、ひとまず方向性が定まったことに満足して眠りにつこうとした私はふと瞼を開いた。


 恋とは──

 具体的には何をすればよいのだ?


 いや、恋ならば経験がある。そこから類推すればよい。

 たとえばフィオナ=シルバスティン。彼女に惹かれた理由は簡単だ。

『絶対に手に入らぬとわかっていた』から。

 彼女の心が別の場所にあるのは明らかだった。アハトはそうは思っていなかったようだが。

 思えば昔から、私が惹かれるのは手に入らぬとわかりきっている女ばかりだった。我ながら妙な性分だ。

 だが、アデルは?

 彼女はすでに私の妻だ。

 最初から自分のものになっている相手に、どうやって恋をしたらいい?

 ………わからぬ。

 その日もほぼ一睡もせぬうちに夜が明けた。






「顔色がすぐれませんね」



 《漆黒》の騎士、ルイスは毎朝私の部屋を訪れる。

 彼は専属の近衛騎士であり、公務に出仕するときは常に行動を共にするからだ。

 いつものように部屋にやってきたルイスは、私の顔を見るなり眼帯に覆われていない左目をずいと近づけてきた。



「風邪を召されましたか?」


「体調は問題ない。が、今日の公務はすべて中止とする」


「なんと。いかがしました?」


「今日は」



 顔をそらしながら続ける。



「アデルと過ごすことにした」



 沈黙。

 そのまま数秒。

 怪訝に思い振り向くと、ルイスは驚いているのか笑っているのか、何やら不気味な表情を浮かべていた。



「なんだ?」


「い、いやぁそれはなんとも、仲睦まじいことで。素晴らしいですなぁ」


「………」


「しかしながら、一件だけ外せないご予定がありますが」


「わかっている」



 ため息交じりに呟く。

 私にとってもっとも不快な用事だ。皮肉なことに、それだけが外せない。



「ともかく、それまでは下がっていてよい」


「御意に」



 黒いマントの裾を払い、ルイスが足元にひざまずく。

 ……仲睦まじい、か。まだ初夜も済んでおらぬわ。

 ルイスを下がらせたあと、アデルと朝食を取るために中庭へ向かった。

 王宮の中庭は視界に収まらぬほど広く、数百種を超える植物が植えられている。頭上には快晴が広がり、鳥たちがゆったりと弧を描いて飛んでいた。

 蔦の絡むパーゴラの下、白いテーブルの置かれたテラスにアデルはいた。



「おはようございます。テリオス様」



 私に気がついて立ち上がる。

 改めて見ると小柄だ。それと、儚いほどに線が細い。昨夜の出来事が夢だったのではないかと思えるほど。



「よく眠れたか」


「はい。テリオス様は?」


「……うむ」



 曖昧にうなずいて席につく。

 食事をとりながら、アデルは取り留めのない話をした。こちらの気候がずいぶん暖かく感じるとか、召使たちはみな気が利いて親切だとか。

 今日の彼女は淡いグリーンに金糸の刺繍入りのドレスを身に着けていた。髪や瞳の色と調和して、たったいま絵画の中から抜け出してきたような雰囲気だ。



「今日は誰ぞ会う予定はあるのか?」


「わたくしがですか?」


「昨日は客を招いたと聞いた」


「ああ! とても楽しかったですわ。カトリアーヌ夫人は気さくな方ですね。すぐに打ち解けてしまいました」


「そうか」


「結婚式のお礼もできましたし、今日はゆっくりしようかと……テリオス様のご予定は?」


「夕方までは空いている」



 公務は立て込んでいるが、急を要する案件はない。

 現在の私にとってもっとも重要な問題はやはり世継ぎ──つまりアデルとの関係だ。



「何かしたいことはあるか?」



 きょとんとするアデル。



「一緒に……いてくださるのですか?」


「ああ」



 頬杖をついて彼女を見返す。



「別に構わぬだろう。夫婦なのだから」


「……そう……ですね」



 アデルの頬がほんのり赤く染まる。

 朝食を終えると二人で庭を散策し、アデルの希望で王宮の中を案内した。

 廊下の壁にかけられた肖像画をひとつひとつ指さし、歴代皇帝の名を教える。初代皇帝サイアスから現皇帝ロギウスまで。間もなく私の肖像もここに加わるだろう。



「こちらはテリオス様ですか?」



 家族の肖像を指さし、アデルが少し声を弾ませた。

 軍服を着た厳めしい顔つきの皇帝。その両脇にどこか所在ない顔をした少年たちが立っている。



「ああ。これは私が九つのときだ」


「反対側の男の子は?」


「兄上だ」


「まあ、お兄様がいらっしゃったのですね。知りませんでしたわ」


「無理もない。──ずいぶん昔に死んだ」



 はっとしたようにアデルが私を見る。



「ごめんなさい……辛いことを思い出させてしまって」


「辛い? いいや。別に何とも思わぬ」



 そう言うと、アデルは一瞬黙り込んだ。

 私の顔をじっと見つめる。それからまた口を開き、



「お兄様はどうして亡くなったのですか?」



 静かな声で尋ねる。

 ……ふむ。

 そうだな。彼女はどう思うのだろう。

 ふいに興味が沸いた。

 血と炎によって作られたこの国。そこで王となるべく育った私を。



「兄上は」



 フォルセイン神聖王国というあたたかな揺りかごの中で育った、彼女は。



「私が殺した」



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