<外伝>完璧な后と愛せない王様 第3話




 初夜を──

 断る?

 どういうことだ……?


 茫然としたまま自室に戻り、ひとりベッドに身を横たえる。天蓋を見上げて、さきほど起こった出来事に対し合理的な説明を見出そうとした。

 見つからぬうちに夜が明けた。

 彼女の元には初夜の『印』を確認する医官が向かったはずだ。『印』がないとわかれば、医官は彼女を諭すことになる。

 高貴なアデルにとって屈辱であろう。が、そもそも拒んだ彼女が悪い。これで目を覚ませばよいのだが。


 翌日は公務で忙しく、彼女と顔を合わせることも、この問題について検討を重ねる暇もなかった。

 アデルは婚儀に出席した貴婦人らを王宮に招いたらしい。フォルセインの詩や歌を披露し、カトリアーヌ侯爵夫人らにその教養を絶賛されたとか。

 賢く、美しい。

 完璧な次期皇后。

 ただし──

 昨夜のような態度を改めれば、の話だ。



「お断りします」



 二日目の夜。

 白金の髪を細い指で整えながら、彼女はにこりとして言った。

 ……毛の先ほども態度が変わっていない。



「アデル」


「はい」


「なぜ我々が結婚したと?」


「同盟の条件だから、でございましょう?」


「そうだ」



 アストレア帝国とフォルセイン神聖王国。

 二つの国は相互不可侵の同盟を結んだ。



「そなたの輿入れは同盟の証だ」


「ええ」


「ならば、なぜ私を拒む?」



 アデルはひとつ瞬きをした。



「先に拒んだのはテリオス様ではありませんか。わたくしを愛することはない。昨晩、はっきりとそうおっしゃいましたわ」



 アイ。

 またそれか。

 彼女がその言葉を口にするたび、迷宮を覗いているような気分になる。



「……そのような感情は不要だと言ったであろう」


「そんなことありませんわ。わたくしたち、これから夫婦として──っ」



 細い手首をつかむ。

 目を見開くアデルに構わず、力任せにその場に組み伏せた。半ば寝具に埋もれた格好のアデルが、きょとんとした顔で私を見上げる。

 このような形は好ましくない。

 だが、仕方ない。

 せめて最低限の望みには応えよう。



「アイしている」



 彼女の完璧な微笑が消えるのを、私は空虚な思いで眺めた。

 こんなものだ。結婚など。



「そう……」



 支配する者。される者。

 二人の人間がいれば、行きつく先は──



「いうんじゃ……」



 そのどちらかしか──



「ないっ‼」



 ぼすんっ!

 ふいに視界が反転する。



「⁉」



 なんだ?

 何が起こった?

 いつの間にか上下が入れ替わっている。

 つい先ほどまでアデルを組み伏せていたはずが、今やそうされているのは私のほうだった。彼女に腕を取られ、捩じられ、あっという間にひっくり返された──その事実に気がついて唖然とする。



「………」



 背中に彼女の太ももの感触があった。

 まさか、私にまたがっているのか……?

 この私に? いい度胸ではないか。

 うつ伏せで寝具に埋もれた鼻先をどうにか持ち上げ、ぐいと背後を振り返り、



「……え?」



 思わず頓狂な声が漏れた。

 さぞ勝ち誇っていることだろうと思ったが──

 なぜ。

 そなたは泣きそうな顔をしているのだ?



「アデル?」



 声をかけると、アデルはハッとしたように私の腕を離した。



「あの、こ、これはっ! ごめんなさい……!」



 解放され、起き上がって肩をほぐす。



「そなた、武術の心得があるのか」


「はい……フォルセイン柔術を習っておりました」


「なるほど。その方面まで完璧なのだな」


「?」



 小首をかしげるアデル。

 油断していたとはいえ、こんな華奢な少女に転がされるとは。

 フォルセイン柔術。体格差をものともしない不思議な技を使うと聞いたことはあるが……。



「テリオス様」



 彼女はうつむき、膝に置いた手を握りしめた。



「怒っていますか……?」


「いや」



 急にしおらしくなった彼女に、困惑しながら首を振る。



「怒るならばそなたのほうであろう」


「え?」


「そなたに対し、無理強いを働いた。まずそのことを詫びよう。それと……」



 先ほどの泣きそうな顔が頭をよぎる。



「形ばかりの言葉を口にしたことも」


「!」



 アデルが驚いたように顔を上げた。



「嫌だったのであろう?」


「……はい」


「だが、困ったな」



 肩をすくめる。

 詫びるのは構わないが、それだけでは何も解決しない。



「父上亡きあと、私はこの帝国を背負わなくてはならない。早急に地盤を固める必要がある。そのために、世継ぎが要る」


「それは……」


「もうひとつ」



 さて、どう言ったものか。

 適当な言葉が見つからぬ。結局はぎこちない物言いになった。



「私には、その……アイ、というのが、よくわからぬのだ」


「……わから、ない?」


「ああ」



 アイという言葉は知っている。その感情を尊ぶ人間がいるのも知っている。

 しかし、その感覚が昔から理解できなかった。

 特定の相手に深く傾倒すること──

 それにどんな意味があるのかわからない。



「そなたの望みを叶えてやりたいと思っている。だが、わからぬものを与えることはできない」


「あの、それでしたら……」



 ふわり。

 彼女の細い指が私の手を包んだ。



「まず、恋をいたしませんか?」


「恋?」


「はい」


「すでに結婚している私たちが、か?」


「夫婦で恋をしてはいけない、なんて法はありませんわ」



 そう言って、彼女は花のように笑う。

 やはりその笑顔は完璧で美しい。

 それが戻ってきたことに、私は少し安堵した。



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