第148話 あなたは私だけのもの




 もふ。

 もふ、もふ、もふっ。

 何とはなしに真っ白な羽を撫でます。よい触り心地……。

 ここは遥か空の上。

 神鳥の力で風の寒さにさらされることもなく、快適そのものです。

 ふかふかの羽毛を弄ぶ私の隣で、お兄様は眼下に広がる景色を眺めていました。



「フォルセイン王国に入ったな」



 はっと振り返ります。

 国境の砦が遠ざかっていくのが見えました。



「………」


「どうした?」


「……申し訳ありません。お兄様」



 私は砦を見つめたまま呟きました。



「私の力が足りないせいで……たくさんのものを、捨てることになってしまいました」



 家も、爵位も、祖国も──

 お兄様はすべて手放さなければならなかった。

 私がもっとよい選択をしていたら、失わずに済んだかもしれない。

 お兄様は不思議そうに私を見ます。

 その眼差しに耐えきれず、私は下を向きました。

 きっとお兄様は、こんな私でも許してくださるのでしょう。

 それでも──私は──



「………ふっ」


「?」



 顔を上げます。

 なぜかお兄様が下を向いていらっしゃいました。眉間に拳を当て、肩を小刻みに震わせています。



「お兄様……?」



 震えが止まりました。ふう、と息をつくお兄様。



「お前は、本当に」



 お兄様の唇には残り香のような淡い笑みが滲んでいました。



「欲深い」


「え……?」


「あれだけのことを成し遂げて、まだ足りないとは」


「──でも」


「フラウ。あれを見ろ」



 急に話を逸らされ、困惑しながら地上を見ます。

 ──白。

 まぶしいほどの白一色。

 そこには、どこまでも続く雪原が広がっていました。



「きれい……」



 晴れ間から差す光を浴び、雪の表面がキラキラと輝いています。



「もうこんなに積もっているのですね」


「フォルセインは雪深いと聞く。これからさらに積もるのだろう」


「雪はお好きですか?」


「帝都ではめったに積もらないからな。美しい眺めだ」



 穏やかな目をするお兄様。その横顔に見とれてしまいます。

 雪原よりも……すばらしい眺め。

 幸せな気分に浸っていると、



「初めてお前を見たとき、雪の妖精みたいだと思った」



 お兄様がぽつりと言いました。



「! はい……そう言ってくださいました」


「覚えているのか?」


「もちろんです」



 初めてお会いした日を忘れるはずがありません。



「あのとき」



 するりと私の髪に指を滑らせ、お兄様は懐かしむように言います。



「この世にこれほど美しい生き物がいるのだと、驚いた」


「……………ふぇ?」



 思わず変な声が出てしまいました。



「成長すると、お前はさらに美しくなった。これ以上そばにいては……だめだと思わせるほどに」



 急速に顔が赤く染まっているであろう私と、



「なぜ妹なのだろう。と」



 切ない微笑みを浮かべるお兄様。



「だからせめて、帝国で一番幸せにしようと思った。お前の望むものすべてを与えられるように、国を手に入れようと思った。地位はそのための道具に過ぎない。今は……それも不要だ」


「不要……?」


「フォルセイン王国には余計な法律がないからな」



 どきん、と心臓が跳ねます。



「それ……は」


「ああ」


「私たち……自由……ということですか……?」


「そうなるな」


「それじゃあ」



 ひたすらに上昇し続ける自分の熱に浮かされながら呟きます。



「本当に……私、だけの…………?」



 それ以上言えずにいると、お兄様が私の手を取りました。

 薬指にそっと口づけます。



「ああ。私のすべてはお前のものだ」



 私──

 だけのもの。

 この手も、指も、唇も。

 血に濡れたような真紅の瞳も。

 すべて。



「お兄様」



 眩暈のような幸福感に包まれながら呼ぶと、瞼が閉じ、赤い瞳が隠れました。そして小さく頭を左右に振ります。

 違う……?

 少し考えて、もう一度呼びかけました。



「……ノイン様?」



 赤い瞳が現れます。しかし、再び隠れてしまいました。

 これも違う……?

 さんざん迷った挙句、



「…………………………ノイン」



 ぎこちない声で呟くと、瞼がゆっくりと開きました。



「フラウ」



 そのとき、もう、いいのだと。

 今までずっと言いたくて、言えなかった。

 その言葉を──

 口にしてもいいのだと気がついて。

 私たちは同時に口に開きました。



「愛してる」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る