第142話 婚約破棄を言い渡されました




 ……ユリアス。

 一度目の婚約式が中断したとき、彼は不安に駆られたように私に尋ねました。



『信じてよいのだな?』



 そして今、彼はこう思っているでしょう。

 信じるべきではなかったと。



「二度と姿を見せるなと言ったはずだが……まあよい。この際だ。はっきり言ってやろうではないか」



 すっと私を指さし、



「お前との婚約を破棄する」



 彼は宣言しました。



「正式な婚約ではなかったが、指輪を贈ったからな。あれはもう捨てたか?」


「いいえ。殿下」


「では捨てよ」


「殿下がおっしゃるなら、そういたします」


「ふん、今さらしおらしい態度はよせ。お前の正体はわかっている」



 ユリアスは首を振り、それから広場に向かって腕を広げました。



「聞け、民よ! そこに立っているのは、己の身を挺して罪人を救わんとする聖女などではない。同じ家で育った兄を愛する、おぞましい禁忌を犯した悪女だ!」



 ざわめきが起こります。



「近親恋愛は死刑。公爵令嬢ともあろう者が、我が国の法を知らぬはずはあるまいな?」


「………」



 私は目を閉じました。

 まるで、お気に入りだったおもちゃを叩きつけて壊そうとする子供。

 彼にとって、私は寂しさを埋めるためのおもちゃでした。

 私は進んでその役を引き受ける代わり、彼の弱さにつけ込んで、騙した。いつかその責めを受けることになるだろうと覚悟しながら。

 でも。

 今はまだ──受けるわけにはいかない。



「殿下」



 わざと声を震わせ、涙を浮かべながら私は言いました。



「そのようなことをおっしゃるほど……私が憎いのですか?」



 家族愛か、恋情か。

 それを決めるのは主観です。

 であれば、印象を操るだけ。



「それとも、お兄様が憎いのですか? この事件が起きるまでお兄様は……皇帝陛下のお気に入りでした……」



 場の空気が再び変わるのがわかりました。

 これでいい。

 ユリアスが冷たく当たるほど、私に同情する人は増えていく。

 しかし──

 次に彼が発したのは、意外なほどやさしい声でした。



「そうか。あれは私の思い違いだった……そうなのだな?」



 憐れむようにうなずいて、



「ならばこの場で宣誓するがいい」


「宣誓……?」


「神と、父上に」



 ユリアスは微笑みながら言いました。



「そして、この場にいるすべての者に向かって誓え。『私は兄を男として愛したことはない』と」



 ─────────

 それが。

 あなたの望みですか。



「………」



 いいでしょう。

 それで気が済むのなら。

 そんな嘘をつくくらい。



「さあ。どうした?」



 私にとっては、なんでも、ない。



「わ──」



 はず、なのに。



「私は──」



 声が……うまく出ません。

 唾を飲み込み、息を吸って。



「私は──お兄様を──」



 居並ぶ群衆はじれったそうに体を揺すり、唇を曲げています。

 彼らの目が怒りをため込み、充血していくのがわかります。

 言わなければ。

 こんな嘘はもう何度もついてきた。

 言わなければ。早く。

 流れが──変わってしまう──前に──



「お兄様を────」



 その瞬間。



「異議あーーーーーーーーーーーーーーーーり‼」



 声が響きました。

 力強く澄み切った声。

 人々の視線がその声に吸い寄せられ、貴族席のほうを向きます。



「本件とは無関係な質問ですっっっ‼」



 その先で、紫髪の少女が拳を握って叫んでいました。



「なっ……?」



 ユリアスがぽかんと呟きます。

 彼女は得意げに鼻を膨らませ、



「ふっふー。一度言ってみたかったのよね」



 相変わらず訳のわからないことを言います。

 父親の制止をかわしてひらりと地面に降りたエリシャは、兵士たちに「はいはいちょっとどいてくださーい」などと言いながら道を開けさせ、堂々と処刑台に登ってきました。



「フラウちゃん!」



 ぱっと両腕を広げ、満面の笑みを浮かべた彼女に抱きしめられます。



「エリシャ」



 久方ぶりに巨大なマシュマロのような胸に埋もれ、私は思わずほっと息をつきました。



「そなたまで……私を裏切るのか?」



 ユリアスが憤りの声を上げます。

 それに対し、エリシャはきりっとした顔で振り向きました。



「お言葉ですけど。私は最初からフラウちゃんの味方。この世界に来たときから、ずっと」



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