第141話 この事件の黒幕についてお教えします
「皇帝陛下、《帝国七血族》、そしてお集まりの皆様方」
ドレスの裾を軽く持ち上げ、優雅に一礼いたします。
「改めてご挨拶を。《真紅》ノイン=フレイムローズ公爵の妹、フラウ=フレイムローズと申します」
人々は困惑しながら処刑台を、そこに立つ私を見上げていました。
「ある事実をお伝えするため、私はここへ参りました」
指を揃えて体の前で握り、
「兄、そしてアイラ=ブラックウィンドは──」
まっすぐな声で言います。
「無実です」
人々が驚いて口を開けるのが見えました。
ふむ、ここは大変見晴らしがよろしいですね。
「たわけたことを」
貴族席から体格のいい壮年の紳士が立ち上がりました。
あれは──《漆黒》の当主。
娘が犯した罪の責任を取り、近衛騎士団長を辞した男です。
「その二人は自ら罪を告白したのだぞ。今さら無実だと?」
「ああ。そのことなら、あまり意味はありませんでしょう?」
私は笑って答えます。
「婚約式の場でお兄様が罪を告白したとき、私たちは剣を突きつけられていたのですよ。罪を認めなければ私ともどもその場で処刑するつもりだったと、陛下御自身がおっしゃっていました」
「なっ……! 陛下が自白を強要したとでも言いたいのか!」
「そう聞こえまして? 私が申し上げたいのは、お兄様はやむを得ない状況のため、あらぬ罪を告白したということです。そして──」
祈るように両手を胸に抱きしめ、
「これから申し上げるのは、この暗殺事件の『黒幕』についてです」
そう告げると、広場はどよめきに包まれました。
《帝国七血族》の者たちも動揺した顔を見せています。その中で、ただ一人皇帝テリオスだけがうつろな目で宙を眺めていました。
場が少し落ち着くのを待ってから、私は口を開きました。
「証言によれば、アイラは真夜中に陛下の寝所に忍び込み、寝台のそばで剣を抜いたところを駆けつけた護衛に取り押さえられたそうです。しかし、私はこの証言に二つほど疑問を感じております」
手を掲げて指を一本立てます。
「第一に、なぜ彼女は寝所に入り込むことができたのか? 陛下の身辺は常に近衛騎士で固められています。陛下がお休みになる後宮は、この国でもっとも堅固な場所。選び抜かれた者しか中に入ることはできません」
もう一本指を立てます。
「第二に、なぜ陛下はご無事だったのか? 彼女は剣技の天才です。貴族学院で彼女の試合を見たことがある者なら、私と同じ証言するはずです。そのような相手に襲われたにも関わらず、陛下はまったくの無傷でした」
手を下ろし、私は広場を見渡しました。
「このことから、私はひとつの仮説を立てました。アイラに命令を下していたのは、お兄様ではなく……テリオス陛下だったのではないか。と」
言葉を切ります。
辺りは水を打ったように静まり、人々は口をつぐんでいます。
「いっ……いっ……」
沈黙のあと、《漆黒》の当主が額に青筋を浮かび上がらせ、すさまじい形相でこちらを睨みつけました。
「今すぐあの女を捕らえよ! よりにもよって陛下を愚弄するとは──」
「よい」
と。
テリオスが右手を上げました。
《漆黒》の当主が大口を開けたまま固まります。
「面白い話ではないか。最後まで聞かせよ」
……最初の賭けには成功したようですね。
ここで私を黙らせれば、貴族や民衆の心にわずかな疑念の種を残すことになる。それよりも、最後まで喋らせてから徹底的に潰したほうがいい。
そう考えるのではないかと思っていました。
「感謝いたします。陛下」
恭しく頭を下げ、再開します。
「それでは仮に、アイラが陛下の密命によって動いていたとしましょう。おそらくは諜報員として。では、陛下がもっとも警戒していた相手は誰でしょうか? ……きっとお兄様でしょう。陛下にとって、お兄様は頼もしい臣下であると同時に、気を許せば権力を奪われかねない存在」
ユリアスの誕生パーティーの夜を思い出します。
廊下の奥でお兄様と寄り添っていたアイラ。少なくともあのころから、彼女はお兄様の懐に潜り込んでいた。
「陛下はお兄様を疑っていらっしゃった。ですからアイラを接触させ、その忠誠心を試した」
アイラはお兄様の耳元でこう囁く。
『あなたのために皇帝陛下を殺してみせます』
もしお兄様がうなずけば、彼女はその言葉をテリオスの元へ持ち帰る。
「しかし、予期しない事態が……」
私は空を見上げて白い息を吐きました。
「起こったのだと、思います」
視線を戻すと、テリオスの《黄金》の瞳がありました。
深い深い穴のような瞳。
「お兄様に近づいたアイラはいつしか、個人的な感情を抱くようになっていた。それに気がついた陛下は彼女が寝返ったと思い、そして──」
瞳の奥を覗き込むように見つめます。
「断罪した」
テリオスはゆっくりと首を傾け、目を半分閉じます。
「この暗殺事件の黒幕はお兄様ではありません。陛下でもありません。なぜなら誰も、誰ひとり、誰かを殺そうとしていないから」
一度だけ。
シルバスティンでティルトを殺すように命じたのはおそらくテリオスです。
ティルトが死ねば、私はシルバスティン領主にならざるを得なかった。お兄様と王国のつながりを絶つために、それがもっともよい方法だと考えたのでしょう。
「どうかお考え直しください。陛下」
拳を握り、声を上げます。
「お兄様もアイラも、陛下を裏切ってなどいません。血を流す必要はどこにもありません」
テリオスは頬杖をついて目を閉じました。
……わかっています。
あの男にこんな言葉は響かない。
もし、あの男が気にするものがあるとすれば──
私は広場に集まった民衆に目を走らせました。
人々は好奇に目を輝かせながら成り行きを見守っています。彼らが見つめているのは私。処刑台に乗り込み、皇帝に物申す命知らずの女。
民衆を味方につけることが、この賭けに勝つ絶対条件。
あと一押し。
再び声を上げようとして──
「実にくだらぬな」
冷たい声にさえぎられました。
テリオスではありません。
その隣。
私は硬直して声の主を見つめます。
黄金の髪と瞳を持つ青年が、蔑むように私を見ていました。
「個人的な感情? それは自分のことだろう。フラウ=フレイムローズ。己の兄を愛する──薄汚い悪女め」
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