第130話 誰が王子を殺したか




『エルインは自然が大好きだった。

 よく二人で森を歩いたわ。私が妊娠してからは、川魚やキノコを持ち帰って料理してくれた。それを食べながら、森で出会った霊獣たちのことを話して聞かせてくれるの。子供みたいに目をキラキラさせてね。

 その日、エルインは日が暮れても帰ってこなかった。 

 そんなことは初めてだった。村の人たちが総出で探してくれたわ。私は赤ん坊のあなたを抱きしめて、彼の無事を祈り続けた。見つかったのは四日後の朝。


 エルインは崖から落ちて死んでいた。


 そう聞かされたとき、私は何かの間違いだと思ったわ。

 崖から落ちた? あれほど森に慣れた人が?

 エルインは慎重な人だった。危険な場所には決して近づいたりしない。うっかり崖から足を滑らせるなんてありえない。

 エルインは──殺された。

 でも、誰に?

 そう考えたら急に怖くなったの。もし王族という理由で彼が殺されたのだとしたら、次に狙われるのはフラウかもしれない。

 考えれば考えるほど周りが信じられなくなった。

 今まで親切にしてくれた村の人たちも。

 何度も家の様子を見に来ていた騎士も。

 しきりに王宮へ招こうとする国王も。


 そして、私はあの国から逃げ出した。


 シルバスティンに戻った翌年、アハトが私を訪ねてきたわ。

 彼にはずっと罪悪感を抱いていた。彼を捨ててエルインと一緒になったのだもの。

「そのことで君を恨んだことは一度もない」アハトは私にそう言った。

「君のことを今も変わらず愛している」とも。

 求婚を断るのは難しかった。これ以上シルバスティン家の名に泥を塗るわけにはいかなかった。

 アハトに共感を覚えたのも理由のひとつ。彼は私がエルインを失ったのと同じ時期に最初の妻を亡くしていた。

 彼となら、愛する伴侶を失った悲しみを分かち合い、互いを慰めながら生きられるかもしれない。そう思ったの。


 それが途方もない間違いだったと気づくのに、十年かかったわ。


 最初から違和感はあった。

 結婚を承諾するとき、私はアハトに条件を出したの。

 フラウを絶対にフォルセイン王国に渡さないこと。実子と同等の立場を与え、そのように接すること。成人後はしかるべき身分の帝国貴族に嫁がせること。彼は快諾したわ。

 いざフレイムローズ家に移り住んでみると、アハトはあなたに対してほとんど興味を示さなかった。あなたを透明人間みたいに扱うこともあった。私はそのことで彼を責めたけれど、彼は何がいけないのかわからないみたいだった。「約束は守っているじゃないか」と。

 確かにそうだった。彼は実子と変わらぬ態度で接していただけ。ノインにも、アシュリーにも。彼は子供というものにそもそも興味がなかったの。

 私との間にリオンが産まれても、それは変わらなかった。口ではうれしいと言っても、あの子を抱こうとすらしなかった。泣いて喜んでくれたエルインを思い出して、私はどうしようもない孤独感に襲われたわ。

 そして次第に、アハトを受け入れることができなくなっていった。


 ある日、私の部屋にノインが訪ねてきて、内密に話がしたいと言われたの。私はあなたとリオンを乳母に任せて人払いをした。

 二人だけになると、ノインはいきなりこう尋ねてきた。


「父とフォルセイン王国で会ったことがありますか?」


 もちろん「ない」と答えたわ。「どうしてそんなことを聞くの?」と聞き返すと、彼は帳簿の写しのようなものを見せてくれた。そこには、過去にアハトがフォルセイン王国を訪れた記録が残っていたの。

 ──エルインが死んだのとまったく同じ時期だった。

 ぞっとしたわ。アハトがそのころフォルセインにいたなんて聞いたことがなかったもの。


「なぜこれを私に見せようと思ったの?」


 私はノインに尋ねた。すると、彼はこう答えた。


「あなたが父と結託して、母を殺したのではないかと思ったからです」


 つまり──

 ノインは再婚前から私がアハトと通じていて、邪魔な前妻を殺すよう仕向けたのではないかと考えていたの。「今の反応を見て、その考えは間違いだと思いなおしました」と落ち着いた様子で言ったわ。

 私はアハトから、前妻は自殺だったと聞いていた。心を病んだ末に毒をあおってこの世を去ったのだと。

 でも、ノインはそれを信じていなかった。


「母はしたたかな人でした。父に愛されなかったとしても、自ら命を絶つことはありえません」


 まっすぐな瞳でそう語る彼を見て、私は自分の中に眠っていた感情が動き出すのを感じた。

 そう。そうよ。

 事故死なんかじゃない。

 崖から足を滑らせたりなんて絶対しない。

 エルインは──殺された。


 そのときから、私とノインは秘密の協力者になったの』



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