第123話 皇太子と婚約、するはずでした




 二度目の婚約式の日がやってきました。

 見送りにはリオンとアシュリーの姿もあります。それに侍女のミア。教育係のじい。彼らの祝福を受け、別れを告げ、お兄様の手を取って馬車に乗り込みます。

 振り返ると、窓の向こうにバラの庭が見えました。その景色をじっと見つめる私の手を、お兄様がずっと握っていてくださいました。



「フラウ!」



 顔を合わせるなり、ユリアスは感極まったように私を抱きしめました。



「お久しぶりです。殿下」


「もうどこへも行かぬだろうな?」


「はい」


「私を選んでくれたのだな?」


「……はい」



 長い抱擁のあと、ようやく腕を解いて私をじっと見つめます。



「どうかなさいました?」


「いや。しばらく会わぬうちに……また美しくなったな」


「ふふ。そんなふうにおっしゃらずとも、もうどこへも行きませんよ」


「せ、世辞ではない」



 頬を赤らめてそっぽを向くユリアス。

 彼の手を取り、私は微笑みました。



「参りましょう。今度こそ陛下にお許しをいただきましょう」


「ああ」



 ユリアスと手を携え、お兄様に付き添われながら謁見へ進みます。

 この先が──

 私の最後の戦場。

 近衛兵が巨大な扉を開けます。心臓の高鳴りを感じながら、ふと気がつきました。

 先触れの声がない……?

 ユリアスは気にしていないのか、誇らしげな笑みを浮かべて力強く一歩踏み出します。

 広間にずらりと整列した近衛兵。その数が前回の倍以上はいるようです。それなのに、重臣たちの姿はどこにも見当たりません。

 ……どういうことでしょう?

 お兄様も険しい顔をなさっています。が、ここで引き返すわけにはまいりません。仮にそうしようと思っても、背後で閉じられた扉にはすでに二本の槍が交差しています。

 廷臣たちの談笑も、宮廷楽師の奏でる調べも、祝福の拍手もない──

 異様な静けさの中を進み、私たちは玉座の前にひざまずきました。

 列の先頭に立つ近衛騎士が槍の柄で床を打ちます。



「皇帝陛下のお成り!」



 皇帝テリオス。

 その心を奪うと決めた相手。

 体が震えそうになり、私は下を向きながら奥歯を嚙み締めました。何を怖気づいているのでしょう? 

 ……しっかりなさい、フラウ。

 この手でお兄様を救う。そう決めたのですから。

 やがて男が玉座につく気配がしました。



「面を上げよ」



 《黄金》の瞳と目が合います。

 冷たい、というより無機質。ぽっかりあいた金色の穴のような瞳。



「父上っ」



 傍らのユリアスがうわずった声を上げます。



「本日、改めてお許しをいただきに参りました。どうか私と──」



 その声がぶつ切りになりました。

 テリオスが右手を上げ、息子に口を閉じさせたのです。

 冷たい《黄金》の瞳がゆらりと動き、私たちのすぐそばに視線を据えます。



「ノイン=フレイムローズ」



 ────お兄様?



「は。皇帝陛下」


「お前は、余の無二の親友であったアハトの息子……。アハト同様に、いや、それ以上にすばらしい賢臣だ。お前が余の息子であれば、どんなによかったろうな」



 ユリアスの顔が引きつりました。

 一方、お兄様は表情を変えません。



「畏れながら。私など殿下の足元にも及びません」


「よいよい、謙遜はつまらぬ。お前が傑物だというのはみな知っていること」



 テリオスは手を振り、それからため息をつきました。



「なればこそ──残念だ」



 ガシャン!

 甲冑の音が鳴り響きます。

 急に動き出した近衛兵が私たちを取り囲み、一斉に抜剣しました。



「!」



 とっさにお兄様が私をかばいます。



「な……なんだ! 何をしている⁉」



 ユリアスも慌てて立ち上がりました。



「下がれ、愚か者! 剣をしまえ! 私の婚約式だぞ!」



 しかし、兵士たちはユリアスの言葉に応じません。じりじりとその輪を狭めてきます。



「陛下。これはどういうわけでしょうか」


「……わからぬか?」



 固い声で尋ねるお兄様に、テリオスはつまらなさそうに答えます。



「告発があったのだ。お前が余を殺そうとしている、とな」


「誰が──」



 と、再び近衛騎士が槍を打ちつけて叫びました。



「罪人をここへ!」



 鎖につながれた人間が奥の部屋から引きずり出されます。乱暴に突き飛ばされ、床に膝をついて。

 瘦せた体躯。ぼろぼろの服。

 黒い髪。黒い瞳。

 うつろな目をこちらに向けて、彼女は薄く笑いました。



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