第121話 お兄様はやっぱり最高です
「つまり」
月夜に響く声。
「この世界のことを本で読んでいた別世界の人間が転生し、フラウの体に憑依している。そういうことで合っているか?」
「は、はい……」
淡々と話すお兄様に、私のほうが混乱してしまいます。
「いつからだ?」
「え? ええと……殿下の誕生パーティーの三日前……倒れて目が覚めてから」
「あのときか」
どうして?
こんなにも冷静でいられるのですか?
「あの……」
「ん?」
「驚かないのですか?」
「驚いてはいる」
「私の頭がおかしくなったと思いません?」
「いや。むしろ、腑に落ちた」
お兄様はそう言って、こめかみの辺りを指でなぞりました。
「ある時点からお前は急に行動的になった。それでいて不思議な確信に満ちていた。……まるで未来が見えてでもいるように」
うなじに鳥肌が立ちます。
やはりこのお方は──
「なぜ私に話そうと思った?」
「え?」
「お前は賢い。その話の通りなら、未来を知る魂も手に入れた。だが、ここで私にその秘密を明かすのは、自ら切り札を捨てるようなものだ」
「………」
「私に嘘をつき続けることへの罪悪感か? いや、違うな。それだけなら『今』打ち明ける理由がない」
ああ。
お兄様。
やっぱりあなたは──
最高です。
ぞくぞくしながら、私は深く首を垂れました。
「おっしゃる通りです。私はある『お願い』があって、この秘密を打ち明けました。そうしなければきっと……聞き入れていただけないと思ったので」
「願い?」
「はい──」
顔を上げ、自分の胸に手を置きます。
「皇帝テリオスの暗殺をおやめいただきたいのです」
お兄様がわずかに目を見開きました。
「なぜだ」
「物語の因果を断ち切り、最悪の未来を回避するためです。その方法として、お兄様を罪から遠ざけることがもっとも有効だと考えました」
「未来……」
遠くを見るような目でお兄様は呟きました。
「その未来で、私は死ぬのか」
「!」
「お前が倒れて目覚めたあの日、私を見て驚いていたな。あれは私の死を知っていたからか」
「……はい」
『生きて……いらっしゃったんですね……?』
この世界に転生したとき、お兄様の姿を見てどれほどうれしかったか。
直にお会いできたことよりも、何よりも。
──お兄様が生きている。
そのことが本当にうれしかった。
「だが、皇帝を殺さずにこの国を手に入れることはできない」
氷のように冷たい声。
「私に諦めろと? それがお前の願いか?」
「いいえ。お兄様……」
「それにもう遅い。この手はすでに血で汚れている。今さら逃れることはできない」
ごくりと唾を飲み込みます。
私は胸に置いた手を握りしめました。
「それはお義父様とお母様のことですか?」
「……それも本に書いてあったか」
「はい」
「ならばわかるだろう。私はすでに罪人だ」
ええ。知っています。
お兄様は冷酷無比の悪役公爵。
当主の座に就くため、私の母もろとも自分の父を暗殺した。
「でも」
でも──
「私は覚えてます」
フラウの記憶は知っています。
物語には書かれていなかったことを。
「最後にお会いしたとき、お母様は……笑っていました」
物心ついたときからほとんど明るい顔を見せなかった母。
いつも寂しげに遠くを見つめてばかりいました。義父がそばにいるときなど怖いくらい無表情で。
そんな母が、あの朝だけは違いました。
旅行に出発する直前、私とリオンを抱きしめて弾けるように笑ったのです。
「お兄様は、お母様と何か相談をなさっていましたね」
いつかの夢で見た記憶。
「もしかして、お母様は──」
「フラウ」
低い声。
その声の響きに、思わず口を閉じます。
お兄様は小さく首を振りました。
「悪いが、その話はしたくない」
「……教えてくださらないのですか?」
「私はお前の母を殺した。それだけだ」
いいえ。それだけじゃない。
二人の間にはきっと『書かれなかった部分』があるはずです。
……ですが、今は。
「わかりました」
ぐっと飲み込んでうなずきます。
「それでも私は、お兄様の手をこれ以上汚したくありません。そして、その気持ちと同じくらい、お兄様の夢を叶えたいと思っています」
諦めろ、だなんて。
この口が言うはずもありません。
私はあなたの下僕。絶対の忠誠者。
「ですから、私が国を手に入れます」
「………お前が?」
ぴくりと眉を上げ、お兄様が静かに問います。
「どうやって?」
「命ではなく、心を奪うことで」
私は微笑みました。
鏡の中に向かって何度も練習したように。
大胆不敵に。悪女らしく。
「王宮に入り、皇帝テリオスの心を奪います。そして必ず、お兄様を一国の主にしてみせます」
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