第119話 ついでに噛ませ犬とも和解しておきます
さて。
弟と仲直りしたついでに、こちらとも話しておきましょうか。
エリシャと合流して無事に学院から戻った翌日。
「申し訳ありません。フラウお嬢様」
私はアシュリーの部屋を訪ねました。
「アシュリーお嬢様はご気分がすぐれず……」
「どいて」
押しとどめようとする侍女の隙をついて横を通り抜けます。
「あっ。いけません! フラウお嬢様!」
カーテンを閉め切った暗い寝室。
そこで──
カリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリカリ──
頭から布団をかぶったアシュリーが机に向かってひたすら書き物をしていました。
「お姉様?」
カリカリカリカリカリカリ──
うん、聞こえていないようですね。
失恋と謹慎処分のショックから閉じこもるようになって一か月余り。一体何をしているのかと思いましたが。
宝石やドレスで着飾ることが何より好きだった義姉。それが今や、寝間着姿にボサボサ頭で書き物机に噛りついています。
足元でくしゃっと音がしました。書き散らかした紙がそこら中に散乱しています。
ほとんどが乱暴に丸められているようですが。
ひとつ取って広げてみて、
「あー……」
元に戻します。
「詩人になるおつもりですか?」
近づいて声をかけると、アシュリーがびくっと震えて振り向きました。
不健康そうな土色の肌。ぎょろりとした目がゾンビのよう。
「フラ……ウ……?」
「外はよいお天気ですよ。また庭でお茶でもご一緒しませんか?」
「………」
「もちろん、毒入りのお茶は抜きで」
冗談めかして話しかけますが、アシュリーはおどおどと目を伏せ、かぶった布団を両手で掻き寄せます。
ふむ。すっかり腑抜けてしまいましたね。
私は大げさにため息をついてみせます。
「つまらないですね、そんな負け犬姿。あまりにもお姉様らしくて、逆にお姉様らしくありませんよ?」
「……ッ」
アシュリーが暗い目でこちらを睨みつけてきました。
「あ、少しは元気が出てきました?」
「……消えてよ」
地底から響くような声。
「……あんた、なんか……!」
「虫けら以下の生ゴミ、でしたっけ?」
「うるさい……うるさい、うるさい! どうせ私を馬鹿にしに来たんでしょう! 早く私の前から消えてよ! さっさと王宮に嫁いだら⁉」
アイラと似たようなことを言うんですね。
「本当は私が嫁ぐはずだったのに……! 皇太子様と結婚して、皇后になって、幸せになるはずだったのに! どうしてあんたじゃなくて、この私が屋敷に残らなきゃならないのよ? こんなの……こんなのって!」
「ええ。おかしいですよね」
思わず心の声がこぼれます。
「私もずっと、この屋敷でお兄様と暮らしていたかった」
「……は?」
アシュリーはいつだって正直で、剝き出しで──
羨ましいくらいに。
「でも、これがお兄様の望みだから」
アシュリーが驚いたように目を見開きます。
「あんた……まさか……?」
「お兄様の望みを叶えることが私の望みだから」
「でも、だって、それじゃ……」
「私を告発します?」
にこにこしながら尋ねると、アシュリーは唇を噛んでうつむきました。
「そんなこと……考えただけでお兄様に殺されるわ」
「あら。ずいぶん慎重なのですね」
「あんたはお兄様の恐ろしさを知らないのよ。あの人は……たぶん、お父様を……」
「!」
アシュリーが感づいているとは思いませんでした。
お兄様に対してビクビクしているのはそのせいだったのですね。
「あんただってヘマをしたら殺されるわよ」
「ええ」
「怖くないわけ?」
「怖い?」
「お兄様のことが」
「?」
怖いだなんて。
思い浮かべるだけで──
ほら。こんなふうに胸が蕩けてしまいそうになるのに。
「お兄様の手で殺されるだなんて……そんなの、幸せすぎます」
「……はっ。異常ね」
アシュリーが引きつった笑みを浮かべます。
私は首をかしげ、それから机のうえに山積みになった紙束に目を向けました。
「《黄金の君》宛ての暗黒ポエムを大量生産しているお姉様だって、けっこう異常だと思いますけれど?」
「ぐっ!」
「私たちって案外似たもの同士かもしれませんね。お姉様?」
「…………そうね」
あれ?
ここで同意されるとは思いませんでした。
「やっぱり頭の具合が……?」
「ああぁ、もうっ。私だってあんたなんかと一緒にされたくないわよ! されたくないけど!」
急にかぶっていた布団を払いのけ、びしっと指を突きつけて、
「でも! あんたのその覚悟だけは……認めてあげる」
顔を赤らめながらぼそっと呟くアシュリー。
…………え?
まさか。これって。
「お姉様が……デレ、た?」
「は? デレ、何ですって?」
「原作のクズリーファンに教えてさしあげたい……!」
「く、クズリー?」
「この部分だけでも読者にお届けしたい……デレリーは存在したんだって!」
「さっきから何言ってるのよ⁉」
本気で怯えだすアシュリーに迫りながら、私は久しぶりに声を上げて笑いました。
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