第117話 弟が本性を現したのですが




「久しぶりね」


「どうしてここに……?」



 リオンが唖然として言います。



「それに、なんで制服を着てるんですか?」


「そこには触れないでくれるかしら」


「え? う、うん」



 戸惑う弟を見つめながら、さっと椅子を向かい側に腰を下ろします。



「今日はあなたと話をするために来ました」


「……はい」


「それで」


「うん」


「………」


「姉様?」



 急に言葉が出てこなくなくなってしまいました。

 正直に話すというのは、こんなにも難しいことなのですね。



「リオン」


「はい」


「私は──」


「はい」


「あなたに嫉妬していました」


「……はい?」


「あなたが生まれてからずっと」


「ええ?」



 心の底から不思議そうなリオン。



「どうして? 姉様は完璧じゃないですか」


「完璧?」


「きれいだし、賢いし、気品があるし。僕なんかと違って完璧ですよ、姉様は」



 どんな幻想を私に抱いているのでしょうか……。

 ああ、でも。

 私は確かにそのように振舞ってきたのでした。



「もしあなたの目にそんなふうに映っていたなら、きっと家庭環境のおかげね」



 毛虫を見るような目つきの義姉アシュリー。目を向けることさえなかった義父アハト。

 あの二人にとって、《真紅》の血をひかない私はいつでも処分できるゴミ同然でした。

 お母様やお兄様と引き離されないために、私はフレイムローズ家にとって価値ある人間でいなければならなかった。少しでも自分をよく見せようと、死に物狂いで努力してきました。



「でも、本当の私は」



 ──弟が生まれて。

 その瞳が美しいルビー色をしているのを見て、自分の中にどす黒い感情が沸き上がるのを感じました。



「卑屈でちっぽけな人間よ。私は、あなたが羨ましかった。何もしなくても家族でいられるその瞳が妬ましかった。違う色で生まれればよかったのにって、馬鹿みたいなことを何度も思ったわ。……その程度の人間」


「姉様……」


「がっかりした?」


「いえ」



 リオンはなぜかうれしそうに首を振りました。



「さっき同級生が言ってたことがわかりました。今の姉様のほうが、もっと好きだ」


「……っ」



 無邪気な顔してものすごく恥ずかしいことを言いますね……!



「わからないわ。どうしてそんなふうに笑えるの?」


「?」


「私、あなたを殺そうとしたのよ」



 かすかに手が震えるのを感じます。

 ──幼いころから感じていた嫉妬。

 ──前世の知識がもたらした恐怖。

 その二つがねじれて固まり、パニックに陥った私は細い首に手をかけた。その感触は今も生々しく残っています。

 それなのに、屈託のない笑顔で弟は言います。



「じゃあ、姉様は兄上に殺されそうになったらどうしますか?」


「え……?」


「兄上を恨みますか?」


「……いいえ」


「兄上を拒みますか?」


「………いいえ」


「それと同じです。僕もあのとき、姉様になら殺されてもいいって思ったから」



 くすくす笑って唇に人差し指を当て、



「ああ。ついでに言うと、誰かのせいで姉様が死刑になるかもしれない状況なら、僕、姉様よりも迷わずそいつを殺す自信がありますよ」



 底抜けに明るい声で言います。



「あ、これは例えばの話ですけどね! 実際にそうなったら僕もちょっとくらい迷うかもしれないし……」



 ぷくっと頬を膨らませるリオン。



「それに姉様は、結局僕を殺せなかったじゃないですか」



 ──変わった。

 変わってしまったと、思っていました。

 でも、それは私の思い込みだったのかもしれません。私は今まで彼の本性なんて考えたこともなかった。

 何も知らない。純粋で。無垢で。天使みたいな私の弟。

 表面をさらって作り上げた虚像。自分の見たいように見ていた姿。



「そう……あなたもなのね」



 腹の底からくつくつと衝動がこみ上げてきて、私はこらえきれず笑い出していました。

 さすがはフレイムローズ家の一員。

 悪役公爵と悪役令嬢の弟。



「こちら側?」


「いいの。何でもないわ」


「えー?」



 リオンは口を尖らせ、くるんと曲がった前髪を指で引っ張りました。



「とにかく、あんなふうに姉様を追いつめるべきじゃなかったって反省してます。ただ、あのときは……兄上と姉様が……キス、してた、から」


「ええ」


「なんていうか……すごく……嫉妬しちゃって」


「そう」


「そう、って」


「かわいいわね」


「もぉ! 姉様ってば! だんだんいつもの調子に戻ってきましたね……?」



 目をすがめつつ、でもちょっぴりうれしそうなリオン。



「ねえ、リオン」


「はい、姉様」


「もし私に悲しい思いをさせたら、お兄様を許さないと言ったわね」


「はい。言いました」


「私もです。もしお兄様を危険に晒そうとしたら、あなたを許しません。今度こそ迷わず、完璧に殺します。必ずこの手で殺してあげます。あなたは私の……かわいい弟だから」



 リオンは目をぱちくりさせたあと、頬を紅潮させて大きくうなずきました。



「はい! 僕の大好きな姉様!」



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