第116話 初めてヒロインに完敗しました




 私とエリシャは足音を忍ばせて図書室を抜け出し、外階段に並んで腰かけました。



「あなたの作戦って」



 街並みに沈んでいく夕日を見つめ、



「もしかして、これですか?」



 不本意にも火照てる頬を両手で押さえながら尋ねます。

 今彼女がどんな顔をしているか、隣を見る勇気がありません。



「えっへへ~」



 あ。やっぱり今すぐ殴りたくなってきましたね。



「ねえ、フラウちゃん」


「はい」


「ほんとはリオンくんと何があったの?」


「………」


「もしかして告白された?」


「……っ」


「やっぱり。そんな気がしたんだよねぇ」



 原作でエリシャに恋するはずだったリオン。

 お兄様の死で発狂した私を見て、本当は姉が好きだったことに気づくのだと前に聞かされました。

 でも、そのルートは変わった。

 私が弟を利用しようと不用意に近づきすぎたせいで、彼は自分の気持ち気づいてしまった。

 原作よりもずっと早く。



「おかしいと思ったんだ。リオンくんと仲直りするために、フラウちゃんが私を頼るなんて」


「あなたは、リオン推しだから……詳しいでしょう」


「それを言うならフラウちゃんはお姉ちゃんよ? ファンと家族。どー考えても家族のほうが詳しいに決まってるじゃない」


「そうとは限りませんよ」


「そうとは限らないかもね。でも」



 彼女の長い紫髪が風になびいて、膝を抱える私の腕にさらさらと触れます。



「きっとフラウちゃんは怖くなっちゃったんだな、って思ったの」


「怖い?」


「うん。リオンくんに想いを伝えられて、どうしていいかわからなくなって。だけどこのまま放っておいたらノイン様を告発しちゃうかも! ……ってそっちのほうに意識が傾いてって」



 エリシャは夕日に向かって両腕を広げ、それをぱたりと下ろしました。



「フラウちゃんはちょっと、渚先輩に引っ張られすぎだと思う」


「……え?」


「私たちの中には二つの記憶がある。エリシャ=カトリアーヌと夏野めぐみ。フラウちゃんと雨宮渚。でも、今の私たちが生きてるのはこの世界であって、ここが私たちの現実」


「それはそうですけれど。まさか、原作の存在を否定するつもり?」


「ううん。この世界が前世で読んだ物語と同じだってことは認める。けど、そこに書いてあったことがすべてじゃない。たとえばリオンくんが生まれたときのことは書いてなかったけど、フラウちゃんの頭の中にはその記憶がある。違う?」


「………」



 リオンが生まれたとき。

 私は四歳でしたが、覚えています。

 屋敷中が大騒ぎでした。姿の見えない母が心配で、獣のような叫び声がして。私は乳母の腕の中で震えていました。しばらくして部屋に呼ばれると、生まれたばかりのリオンと母がベッドに並んでいました。



『今日からお姉さんよ』



 母に声をかけられ、誇らしいような苦しいような気持ちになったものです。



「前に言ったよね。私たちの好きな物語をあんな暗いお話にさせないって。運命を決めつけられたりなんかしない。私たち、ここで生きてるんだもの」



 凛とした声が夕空に響き、気がつけば吸い寄せられるようにエリシャを見つめていました。



「だからね! フラウちゃんに、原作の中に書いてあったリオンくんじゃなくて、今のリオンくんをちゃんと見てほしいと思ったの」



 ……そう。

 そうですね。

 逃げていたのかもしれません。物語の筋書きを口実にして、リオンと向き合うことから。

 でも、この世界はやはり原作に忠実です。

 だってヒロインのあなたは──いつだって、こんなにも眩しい。



「ちょっと行ってきます」


「うん。私、校門のところで待ってるね」



 制服の裾を払って立ち上がり、再び図書室に足を踏み入れます。

 今度はゆったりと足音を響かせて。

 本とにらめっこしていた弟が、近づいてくる音に気づいて顔を上げました。



「姉……様?」



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