第110話 どうしても回避したいルートがあります




 気がつくと、街の広場に立っていました。

 すごく寒くて……凍えそうです。

 ちらちらと雪が舞い、震えながら吐く息はぽっかりと白い塊になって浮かびます。靴を履いていない足の裏に石畳のごつごつした感触と、切れそうなほどの冷たさが伝わってきます。

 広場は人でごった返していました。

 どちらを向いても人だかり。前も後ろも右も左も挟まれて身動きできません。まるで前世の満員電車のよう。

 集まった人々はみな一様に拳を突き上げ、興奮した声で叫んでいます。



「帝国万歳! 帝国万歳!」



 彼らが見つめる広場の中央には──

 処刑台。

 そこにお兄様が縛りつけられているのが見えました。



「皇帝陛下万歳! 皇帝陛下万歳!」


「……お兄様!」



 人波をかき分けて前に出ようとしますが、みっちりと詰まった肉の壁はびくともしません。無理にこじ開けようとして逆に弾き飛ばされました。

 ふらふら倒れそうになる私を見て人々が笑います。とても陽気に笑います。

 それから、また元のように叫びます。



「突き刺せ! 突き刺せ! 反逆者に正義の槍を!」



 わっと人々が沸きました。

 処刑人が台に上がったのです。



「やめて! お兄様を殺さないで!」



 私の声は人々の熱狂にかき消され、自分に耳にすら届きません。



「正義を! 正義を! 正義を! 正義を!」



 帝国兵に囲まれた黄金の台座。そこに座る皇帝がさっと右手を上げました。

 合図を受けた処刑人がおもむろにお兄様の前へ進み出ます。



「いやあああああああ‼」



 私は目を見開き、喉が張り裂けるほど叫びました。

 処刑人は巨大な槍を構え、そして──



『いけません』



 ほっそりした白い指が後ろから伸びてきて、私の両目を覆いました。



『見てはいけません』



 場違いなほど静かでやさしい声。



「……誰?」



 そこで目が覚めました。

 ドッドッドッと激しい心臓の音が体内に響きます。

 自分がどこにいるのかわかりません。そこがフレイムローズ邸の自室で、やわらかいベッドの上なのだと飲み込めるまで時間がかかりました。

 詰めていた息を吐き出します。

 大丈夫。暖炉の火はついていない。

 冬はまだ遠い。

 夢の余韻にぶるりと身震いして、私は寝具を両手で掻き寄せました。






 カトリアーヌ邸を訪れると、エリシャが玄関から飛び出してきました。



「フラウちゃぁーーーーーーーー」



 ばふっ。



「ーーーーーーーーーーーんっ!」 



 勢いよく抱きつかれます。

 相変わらずお元気そうですね。



「ごきげんよう、エリシャ」


「すーはーすーはー」


「何をしているのかしら?」


「ん……。髪の匂いを吸って、フラウちゃん成分を補給してるの」


「今すぐ離れてください」



 引きはがすと、エリシャが「うぇぅ」と情けない声を漏らしました。



「あとちょっとだけぇぇぇぇ」


「今日はあなたに相談があって来たのです。吸われるためではありません」


「そうだった! フラウちゃんに頼られるなんて、私ってばさすが親友って感じね!」



 打って変わって得意げなエリシャに案内され、明るい中庭のテラスに腰を落ち着けます。



「それで、どんな相談なの?」


「ええ。弟のことで」



 私がそう切り出した途端、エリシャは飲みかけの紅茶を口からだばっとこぼしました。



「リオン……きゅん⁉」



 相談する相手を間違えたかもしれません。

 しかし、他に相手がいないのも確かです。

 この物語の行先を知っているのは私と、同じく転生者であるエリシャしかいないのですから。



「もうすぐ婚約式です。その前に、リオンと和解しておきたいのですが」


「和解って、喧嘩したの?」


「ええ、まあ……」



 お兄様を告発するルートを阻止するため、私はリオンに『幸せな結婚をするのだ』と思い込ませようとしました。

 しかし、その試みは失敗に終わっています。

 あれ以来一度も口をきかないまま時が経ってしまいました。私がシルバスティンに行っている間にリオンは貴族学校の寮に入り、今では顔を合わせる機会すらありません。



「でもでも、リオンきゅんって告発ルートに入るのかなぁ? シルバスティンのニーナさんは無事生存してるし、私もユリアス様と婚約しないから暗殺者に狙われないでしょ?」


「告発材料はもうひとつありますよ」


「あ」



 フレイムローズ前当主夫妻の暗殺。

 原作でリオンが告発した中で、唯一すでに起こってしまっていることです。こればかりは変えようがありません。



『もし姉様に悲しい思いをさせたら……そのときは、兄上を絶対に許さない』



 リオンが最後に言い放った言葉と悲しい微笑を思い出します。

 あんなふうに思いつめたままの彼を放置しておくのは危険ですし、それにやっぱり……気がかりです。



「エリシャ。あなたならリオンのことをよく知っているでしょう? 登場シーンは何回読み込んだ?」


「んー百回はくだらないかなぁ」



 さすがはリオン推し。

 私がお兄様のシーンを読み返した回数はその十倍ほどですが。



「うーーん、仲直りの方法かぁ。うん。そっか。そうよね!」



 と、眉間にしわを寄せていたエリシャが目を輝かせました。



「私にいい考えがあるわ!」


「本当ですか?」


「うん! ところでフラウちゃん、コスプレってどぉ思う?」



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