第109話 この手で未来を破りましょう
「お兄、様」
思わず呟いて、ばっと顔を伏せました。
どうして?
どうしてお兄様がここに?
もうヴィクター卿とお会いになったの?
いえ。それよりも──
メイド姿を見られてしまったのですが⁉
「あ、あのっ」
エプロンを握りしめて必死に言葉を探します。
「これには事情が──」
「改めて見るとなかなか似合っているな」
………………?
改めて、見ると?
「ええと……驚かないのですね」
「最初に見かけたときは驚いたが」
さ、最初?
それはもしかして。
以前フィーに会いにいらしたときの……?
「あのときは像の後ろに隠れてしまってよく見えなかったからな」
いやーーーーーーーーーーーーーーーーーーー‼
頭を抱えてその場にうずくまりたい衝動に襲われます。
でも、お兄様の前でそんな無様な真似はできません。
震える膝をどうにか支え、
「気づいていらっしゃったのですね……?」
引きつった声で尋ねます。
「お前の気が済むのなら構わないと思っていた。だが、もうその必要もない」
「必要、ない?」
「フィー嬢との婚約は先ほど破棄した」
「‼」
────婚約破棄。
本当に?
本当の本当の本当の本当の本当に?
「元々はエメル家との婚姻を通じ、王国にお前の婚約を認めさせるつもりだった。ヴィクター殿の協力でフォルセイン第一王子の内諾を得て進めていたが、今朝、屋敷に鳥が飛んできてな」
「鳥?」
「美しい鳥だった。王国の霊獣だろう」
お兄様はそう言って封筒を取り出しました。
「その鳥が運んできた手紙だ」
呆然としながら受け取ります。
『フレイムローズ公爵殿、そして我が愛する孫娘へ』
手紙はそんな一文から始まっていました。
流麗な手蹟。おそらく代筆でしょう。なんとなくですが、中性的な見た目の若い騎士が書いたもののような気がいたします。
末尾にはフォルセイン国王の署名。そして御璽がしっかりと押されています。
つまりこれは──正式な書簡。
読み終えた私はお兄様を見上げました。
「国王が、私と皇太子殿下の婚約を認めた……?」
「ああ。もうエメル家と手を組む必要はない。正式な婚前契約を今日結ぶ予定だったが、それも白紙になった。ヴィクター殿はご立腹だが」
お兄様の口元にわずかな笑みがにじみました。
「お前の悲しい顔を見るよりは余程いい」
「……お兄様」
「帰ろう。フラウ」
「……………はい!」
差し出された手に手を重ねます。
二人で階下へ降り、女中頭に「兄が迎えに来たので」と辞意を伝えました。普段厳めしい女中頭も、明らかに身分の高いお兄様に目を白黒させていました。
隠しておいたドレスはネリに贈ることにしましょう。改めてお礼の手紙も送りたいですし。
「フィー嬢には悪いことをした」
外に出て、お兄様がふと呟きました。
「振り回してしまったことですか?」
「それもあるが、彼女に頼まれた書類のことだ。あれはおそらく無効になる。結果的に期待させただけになってしまった」
「……その書類、もう無効になっていると思います」
「?」
不思議そうな顔のお兄様に私は微笑みました。
エメル邸を囲む広大な森の木々がさわさわと揺れ、吹き渡る風はみずみずしい匂いがしました。その風を深く吸い込み、お兄様の腕を抱きしめます。
私もゼトのように、この手で破かなければならないものがあります。
この物語の先。そこにあるページを。
冬が──来る前に。
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