第107話 これが最後の質問です




 話を聞き終え、私はぽつりと呟きました。



「それってやっぱり恋ですよね?」



 フィーは硬直したあと、慌てて椅子から立ち上がります。



「違います!」


「だって」


「違──」


「恋がきれいな感情だなんて、いったい誰が決めたんですか?」



 しん、と場が静まりました。

 私は小さく首を振ります。



「それを『執着』と呼びたいのなら、否定はいたしません」



 私のお兄様に対する気持ちも、決して美しいものとは言えませんし。



「ただ、私が知りたいのは感情の呼び名ではありません。知りたいのはその奥、その内側です」


「………」


「質問してもよろしいですか? これで最後にしますので」


「……ええ」


「もし、もう一度ゼト様と許婚になれるとしたら……どうしますか?」



 フィーは口を開きかけて、閉じました。

 うつむき、顔を歪めて息をつきます。

 それを何度も繰り返してから、彼女は絞り出すように答えました。



「………………なりたい。戻りたいわ」


「そうですか」



 私は微笑み、くるりと後ろを振り返りました。



「そちらはどうです?」


「え?」



 ぽかんとしたフィーの声。

 ひとまずそれを無視して、



「ゼト様?」



 部屋の奥に呼びかけます。

 分厚いカーテン。そのドレープが波打つように揺れ、中から男が現れました。



「…………よう」



 ゼト=アンバー。

 なんというか、この世の終わりのような顔をしていらっしゃいますね。



「なんで」



 フィーが動揺して声を震わせました。



「あなたがここにいるの……⁉」


「い、いや。こいつが悪いんだ。こいつが俺をそそのかして」


「まあ、ゼト様ったら。かくれんぼはこれが初めてではないでしょう?」


「貴様っ……!」



 ゼトが歯ぎしりします。



「秘密を知りたいならここに隠れていろと、貴様が言ったんだろうが!」


「聞いてたの?」



 呆然としながらフィーが尋ねました。



「……ずっと?」



 見つめ合う二人。

 と、その顔が同時に赤くなりました。

 ……本当にそっくりですね。



「ゼト様。さきほどの答えをお聞きしても?」


「は? 今それどころじゃ──」


「お嬢様のことがお嫌いなんですか?」


「嫌いなわけないだろ!」



 反射的に叫んだゼトが、慌てて口を閉じました。



「だそうです。つまり、お嬢様と同じですね」


「後で覚えてろよ……!」



 唸るゼトを放っておいてフィーの様子を窺うと、彼女は沈んだ顔をしていました。



「違う。さっきのは嘘よ」



 平板な声。



「許婚に戻りたいなんて思ってないわ。それと、二度と私に近づかないでと言ったでしょう、ゼト。早くこの部屋から出ていって。今すぐ」


「約束を破ったのは悪かったよ」


「出ていって!」


「俺も悪かったが、そんな頭ごなしに言うこともないだろうが!」



 犬歯をむき出しにしてゼトが言い返します。



「何なんだよ、お前。檻だか何だか知らないが、お前に閉じ込められてると思ったことなんか一度もないぞ。勝手にうしろめたくなって、勝手に俺を拒絶するのはよせ」


「あなたに私の気持ちなんてわからないわ!」


「ああ、そうだな。だがお前にだってわからないだろう。故郷や家族と引き離されたガキにとって、お前の存在がどれだけ救いだったか。お前にしつこく話しかけられて、仕方なく遊んでやって、挙句に喧嘩して。そういう時間が……どれだけ大切だったか」


「そうする以外なかったからよ。あなたは孤独だった。そして、私はあなたを孤独にした側の人間よ」


「は? 『側』ってなんだ? 俺を被後見人にしたのはフォルセイン王家とお前の父親であって、お前じゃない。なんでお前が責任を感じるんだ?」


「やめて。もういい。私に構わないで。あと少しで自由になれるのよ」


「……自由?」


「ローザ。その書類を彼に見せて」



 フィーが震える声で私に言います。

 私は自分の手の中にある書面を見下ろし、それをゼトに差し出しました。



「どうぞ」


「なんだ?」


「アストレア皇室とフォルセイン王家が調印した合意書です。ゼト様の被後見を解き、カフラーマ連合国への帰還を認める内容になっています」



 そう。

 これが──彼女が『一番』願っていたもの。

 お兄様が贈った、婚約に対する見返りの品です。



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