第69話 悪い子ですね
「診断を間違えていたよ」
私とエリオットは広場のベンチに座り、馬車を待っていました。
「あなたは間違っていなかった。だって、ティルトは元気になったじゃない?」
「一瞬だけね。ユルングルの《霊薬》は彼の体質に合っていた……それは今でも確信してるよ」
「………」
「でも」
肩をすくめ、エリオットは空を見上げます。
「心までは癒せない」
「……精神的なものが原因?」
「そう、なるんだろうね」
迎えの馬車が到着し、私たちは立ち上がって別れの挨拶を交わしました。
馬車に乗り込みかけたエリオットが、ふと振り返ってこちらを見ます。
「……君の役に立てなくてすまない」
「何を言ってるの? あなたは十分なことをしてくれたわ」
「結果が伴えばよかったんだけどねぇ」
……それでも。
エリオットが力を尽くしてくれたことは事実です。
「資金援助の件、必ずお兄様にお願いしておくわ」
「それはありがたい」
「認可についてはなんとも言えないけれど……」
認可状を発布できるのは皇族のみ。
私が皇太子妃となれば話は早いのですが、婚約できるかどうかすらわかりません。ニーナに妨害されることは確実でしょうし。
「そうだなぁ」
と、エリオットが手を伸ばしました。
その指が私の前髪を撫でます。
「君がやむを得ずシルバスティン家を継ぐことになったら、僕が婿になってあげてもいい」
「…………?」
は?
私が首をかしげている間に、エリオットはさもおかしそうに笑いながら馬車に乗り込みました。動き始める馬車をぽかんと見送ります。
「青春ねー……」
しんみり呟く声。
ベンチの後ろにある生垣を振り返ります。
隙間から覗く紫色の瞳。
「いつからいたのですか?」
「ずっと!」
元気よく叫び、生垣から飛び出したエリシャが私の横に着地しました。
「これからどうするの? フラウちゃん」
「どうするって?」
「次の作戦よ!」
「………ありません」
あるとすれば、私の悪評を広めて諸侯に嫌われるくらいでしょうか。
それでニーナが諦めてくれる保証はありませんし、滞在が残り二日となった今、とても間に合うとは思えませんが。
「でも、それじゃあ……」
「………」
ええ。
万事休すということです。
ただし、まったく手が残されていないわけではありません。
ですがそれを使えば、私は──
「フラウ様」
夜。
窓辺で物思いにふけっていた私に年配の侍女が声をかけてきました。
かつてここで暮らしていたときにも世話していたという例の侍女です。
「何かしら」
「ご伝言をお預かりしております」
「?」
視線で促すと、侍女は少しためらったあと意を決したように言いました。
「ご当主様からです」
……驚きましたね。
つと体をずらして向き直ります。
「彼はなんて?」
「……私は時折、ご当主様にご本を読んで差し上げることがあるのですが」
「ええ」
「今夜は……フラウ様に読んでほしい、と」
「………」
ティルトとはあの日から顔を合わせていません。見舞いを申し出ましたが、叔母に拒絶されました。
これは──最後のチャンスかもしれませんね。
「わかったわ」
私はうなずいて窓辺から滑り降りました。
叔母はこのことを知らないでしょう。知っていれば止めたはずです。
……母親に隠し事をするなんて、悪い子ですね。
侍女に背を向けてガウンを羽織らせながら、私はひっそりと微笑みました。
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