第68話 当初の話と違うのですが?




 城へ戻ると、エリオットはすぐさま調薬に取り掛かりました。

 あの神秘的な光景が研究者魂に火をつけたのでしょう。

 一睡もせずユルングルの《霊薬》を完成させ、翌日にはティルトへの投薬がはじまりました。

 そして、一週間後の今日。



「叔母上」



 再び寝室に集まり、私は高らかに宣言します。



「薬が功を奏したようですね?」



 すとっ。

 ベッドから降り立ったのは幼い当主。

 気持ちよさそうに伸びをして、ぐるぐる腕を回し、最後ににこっと笑って母親を見上げます。



「わあ、体が軽い! 羽根みたいです」



 うれしそうな息子に、ニーナは戸惑うように問いかけます。



「本当に……なんともないの? 苦しくはない?」

「はいっ、母上。このとおりです!」



 ぴょこんとぴょこんと元気さをアピールするティルト。

 愛くるしい姿に「はぁ……♡」とエリシャが謎の吐息を漏らします。



「いやぁ、ユルングルの《霊薬》と相性ばっちりだったみたいだね。ここまでとは僕も思わなかったよ」


「あなたのおかげよ」



 私はエリオットを振り向きます。



「ありがとう」


「………え、あ、う、まあ」


「?」



 顔を赤らめて目をそらすエリオット。

 どうしたのでしょうか。急に人見知り癖が発動するなんて。



「……わたくしからも」



 息子を抱きしめていたニーナが声を上げました。



「お礼を言わせて。そして、先日の失礼な態度をお詫びしますわ……エリオット殿」


「あ、いえ。そんな」


「それにみなさん、フラウ。ティルトを助けてくれてありがとう。心から感謝します」



 声は震え、目には涙が浮かんでいます。

 ずっと高圧的だった叔母。どんなに張り詰めていたのでしょう。

 ──当主の母として。

 毅然と、周囲に弱みを見せぬよう、今まで振舞ってきたのでしょう。

 私と同じように。



「ティルト様のご快癒、お慶び申し上げますわ。叔母上」



 私は微笑みながら彼女を見つめました。



「ティルト様は健やかに、そして素晴らしい当主となられることでしょう。これで私も安心して殿下と結婚することが……」


「いいえ。それはだめ」



 ────

 ────?

 感動のシーンを無造作に両断され、思わず耳を疑います。

 声を発した張本人。

 叔母のニーナは、ついさっきまで涙ぐんでいたのが嘘のように、冷めきった銀の瞳でこちらを見据えていました。



「私は今も、あなたにこの家を継いでもらうつもりよ」


「何を……言っているのですか?」



 まったくもって意味がわかりません。

 これでは──話が違います。



「ティルト様が元気になったのですから、もう私は必要ないでしょう」


「それとこれとは話が別よ。ティルトは夫と似て、体だけでなく気も弱いの。諸侯たちと渡り合いながら領地を経営していくのには向かないわ」



 しれっと断言するニーナに、私は歯を食いしばります。



「叔母上がこれから教育なさればよい話でしょう」


「いいこと? 人には向き不向きというものがあるの。この子に領主は向いていない。あなたが家を継ぐべきよ」


「こじつけが過ぎます! 私はフレイムローズの人間ですよ!」


「分からず屋はシルバスティンの血ね! そういうところはフィオナお姉様にそっくり!」


「……やめてください!」



 睨みあう私たちの間で、ティルトが声を上げました。



「お願いです! 母上、落ち着いて……!」


「黙っていなさい!」



 一喝され、小さな肩がビクッと震えます。



「あなたのことは私が一番わかっています!」


「でも……」


「どうしてあなたのお父様が死んだか、もう忘れたの? 当主の器ではない者がその座を継ぐとどうなるか?」


「それは」


「わかったならお黙りなさい。あなたに当主なんて絶対無理!」


「フラウちゃん!」



 とっさに手を振り上げた私の前にエリシャが割り込みます。邪魔ですね。

 この女を一発殴ってさしあげないと気が済み──


 ヒューーーーーーーーーッ。


 唐突に、部屋に響く甲高い音。

 その場にいた全員が凍りつきました。

 視線が一斉にティルトへ集まります。

 喉の奥から甲高い音を鳴らす少年は、びっくりしたような顔で私たちを見返し、それからがっくりと体を折ってその場に膝をつきました。



「ティルト⁉」



 全身を震わせて激しく咳込む息子にニーナがすがりつきます。



「侍医を! 早く!」



 青くなったメイドたちが廊下を飛ぶように走っていきました。



「そんな……」



 ぞっとしたように呟くエリシャ。

 呆然と立ち尽くす私たちを振り返り、



「出ていって!」



 目を真っ赤に血走らせたニーナが絶叫しました。



「ここからすぐに出ていきなさい‼」



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