第70話 寝物語をいたしましょう
広い寝室は、その大半が夜の闇に沈んでいました。
サイドテーブルに置かれたランプだけがぼんやりと光をにじませています。
「ありがとう。レーネさん」
ベッドからティルトが静かに言います。
年配の侍女は主人に向かって深く頭を下げ、退室していきました。
「さあ、どうぞ」
ガウンの前を手で押さえながら、促されるままベッド脇の椅子に腰かけます。
「すみません。こんな遅くに」
ティルトはベッドのうえでぺこりとお辞儀しました。昼間は三つ編みにしている長い銀髪が解かれ、頬や首のそばをさらさらと流れています。
「気にしないで」
「名前で呼んでもいいですか?」
「もちろんよ。私も名前で呼ぶわね、ティルト」
「ありがとうございます。フラウ」
そういえば、従弟とこうして差し向かいで話をするのは初めてです。
今までは何かと邪魔な女がいましたからね。
「それで、私にどんな本を読んでほしいの?」
「………」
「童話? それとも騎士物語?」
「えっと、少し待っていてください」
そう言って、ひょいっと反対側へ飛び降ります。
彼はベッドの下で何やらゴソゴソしたあと、本を抱え上げてベッドに乗せました。
「まあ」
ずいぶんと分厚い本ですね。
「あと、これと、これと、それと」
ん?
え?
次から次へ、ティルトは何冊も本を並べていきます。どれも数百ページはあろうかという厚さ──最初に目についたのは農業に関する専門書、その隣は数学の研究書、政治学概論、古典文学、哲学書もあります。
「ティルト、あなたまさか──」
「はい。すべて読みました」
本をベッドにばらまくのをやめて、彼は真剣な顔で言いました。
「これをぜんぶ?」
「はい」
……信じられません。
量もさることながら、七歳の子供には到底理解できない内容ばかりです。
私ははっとティルトの瞳を見つめました。
似ている。
水銀のように揺らめく瞳を初めて見たとき、誰かに似ていると思いました。それが誰か急にわかったのです。
お母様。
「フィオナ伯母上も、読書がお好きだったと聞きました」
「……ええ。母は神童と呼ばれていたそうよ。小さなころから難解な書を読み漁って、教育係のじいと議論を交わしていたんですって」
「ふふ。僕もご一緒させていただきたかったなぁ」
無邪気に笑うティルト。
それにしても──たった七歳で。
「農業に政治……もしかして領地経営の知識を学んでいるの?」
「はい。これでもシルバスティンの領主ですから」
「驚いたわ。叔母上はあなたを誇りに思っているでしょうね」
「……いいえ。むしろその逆です」
口元の笑みが消え、ティルトはうつむきました。
ベッドに広げた本を一冊ずつ下ろしていきます。
「母上は、僕が領地経営について学ぶことをよく思っていません。この本もバレると取り上げられてしまうので、こうして隠してあるんです」
「どうして? 必要な知識でしょう?」
「………」
シルバスティン家の跡継ぎとして生まれた子。
その息子を当主の座から降ろそうとする母。
やはり、ティルトとニーナの関係には違和感があります。
「母上は──」
物思うように目を伏せ、ティルトは言いました。
「怖いんです。僕が、父上のようになるのが」
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