第7話 どうもヒロインの様子がおかしいのですが




 は?

 え?

 わけがわかりません。

 とっさに頭を駆け巡るのは原作シナリオ──

 《最弱の噛ませ犬》アシュリーが皇太子に挨拶しかけたそのとき、駆け寄ってくる天真爛漫な一人の美少女。その姿に人々の視線はたちまち釘付けとなり、皇太子はアシュリーの横をすり抜けて彼女の手を取り、ひざまずいてダンスを申し込みます。「私とワルツを踊っていただけますか?」は、もちろん皇太子のセリフ。

 そして二人は手に手を取り、目の前できぃきぃわめく噛ませ犬などそっちのけで、呼吸ぴったりの華麗なダンスを……

 と、このような筋書きだったはず。

 それが、なぜ。



「私と…………ワルツを?」


「はいっ!」



 私の手を握ったまま大きくうなずく少女。



「こうしてお会いするのは初めてですね。私、エリシャ=カトリアーヌと申します!」



 だから知っていますって。

 あなたは誰よりも有名な──

 この物語のヒロインなのですから。



「ええ……初めまして。私はフラウ=フレイムローズと申します。それで、エリシャお嬢様」


「まあ! どうか気軽にエリシャと呼んでくださいな」


「では、エリシャさん。どうして私にダンスを申し込まれたのですか? そもそもダンスというのは、紳士が淑女に申し込むものであって──」


「だって‼」



 むにっ!

 大きく盛り上がった胸のむっちりとした弾力を直に感じます。なぜって、抱え込まれて谷間に埋まっておりますので。私の手。

 思わず自分の胸と見比べてしまいます。何なのでしょう、この格差は。



「だってこの会場、思ったより人が多くて……すぐお父様とはぐれてしまって……ユリアス様はなかなか見つからないし……うぅっ……なんだか知らない殿方がやたらと声をかけてきて……それも次々……」


「自慢ですか?」


「違いますよっ!」



 まぁ気持ちはわからなくもないですが。

 そういえば、初期のエリシャは男性不信の傾向がありましたね。まだ年端もいかないうちから言い寄ってくる男たち。一度は誘拐までされかけたとか。それがトラウマとなり、社交界では誰とも踊ろうとしない《鉄壁の花》と呼ばれていました。

 しかし皇太子ユリアスには不思議と心を惹かれ、初めてダンスの申し込みに応じる……のではなかったかしら?



「というわけでフラウちゃん、私と一緒に踊ってくださいな♪」


「ちゃん……? い、いえ。だからどうしてそうなるんです?」


「ユリアス様ぁ! 私たち、一緒に踊っても構いませんよね?」


「え? あ……ああ」



 急に声をかけられ、ユリアスはびっくりしたようにうなずきます。

 今の今までどこを見ていたかは明らかですね。急にあさっての方角を向いた彼の目が完全に泳いでいますし。



『攻略情報・その三。皇太子は豊かな胸に弱い』



 そんなだから、原作ファンに《色ボケ皇太子》と呼ばれるのですよ……?



「いや、うん、まぁ、おもしろそうな余興じゃないか。二人で踊ってくるといい」


「ふふふ、殿下の許可が下りましたよ。さ、まいりましょう!」


「ええっ……?」



 首をかしげたまま、エリシャに引っ張られる形で広間の中央へ躍り出ました。

 周囲の人々もあっけにとられたようにこちらを見ています。それはそうでしょう。公爵令嬢と侯爵令嬢がペアで踊るなど前代未聞。あるいはユリアス同様、何やら余興が始まったようだとわくわくしているご様子ですね。私はモブキャラを楽しませるためにこんな場所に来たわけではないのですけれど……。

 私が楽しませたいのは、ただ一人。 

 広い会場の中にいるその人を、私の目はいともたやすく見つけ出します。

 鮮やかな赤い髪。まっすぐで鋭い紅の瞳。

 ……お兄様。



「フラウちゃん?」



 今度はエリシャが首をかしげました。

 私がよそ見をしていたせいでしょう。咳払いして、彼女が私の視線をたどる前に向き直ります。



「それより、まだ質問に答えていただけていませんね」


「ほぇ?」


「どうしてあなたは私をダンスに誘ったのですか?」


「それは……二人きりでお話がしたかったから」


「……私と?」


「はいっ」



 エリシャは微笑み、私の手に指を絡ませて抱きついてきました。私も仕方なく彼女の腰に手を回します。

 抱き合ってステップを踏みながら、エリシャは私の耳に唇を寄せてささやきます。



「実は私、びっくりしちゃったんです」


「?」


「ユリアス様があなたとお話していたから」



 鳥のさえずりのように美しいエリシャの声。

 しかし今は、その声に似つかわしくない、固く鋭い響きが混じっています。



「予想外でした。私を差し置いて、ユリアス様と仲良くなるなんて」



 ……なるほど。

 ようやく事態が呑み込めてきました。つまりこの余興は、私とユリアスを引き離すための口実だったというわけですね。

 原作でも似たような場面がありました。悪役令嬢フラウが皇太子に急接近したことで、エリシャの中に初めて嫉妬という感情が芽生え……とかそんなシーンが。

 それにしても、私に直接打ち明けるなんて。

 これではまるで──宣戦布告。

 いずれそうなることはわかっていましたが、こうもあっさりエリシャを敵に回してしまうとは。



「フラウちゃん。あなたに……これだけは言っておきたいんです」



 ですが、仕方ありません。

 私たちがライバルになるのは決まっていたこと。

 私は悪役令嬢。

 そして、あなたはヒロインなのですから。



「私を」



 それにしてもずいぶん早い段階で──



「あなたの、一番のお友達にしてください!」



 ……………。

 ……………?

 聞き間違いでしょうか。



「きゃぁぁぁっ。ついにっ……ついに言ってしまいました。ずっとずっと会いたかった《白銀の薔薇》! 憧れのフラウちゃんっ。ようやく、会えた……! それなのに! 私を差し置いてユリアス様とお話するなんて!」



 ……は?



「しかもすぅぅぅごく楽しそうに! 私、ユリアス様がうらやましくて! 妬ましくて! 私だってフラウちゃんとお話したいのに……! もうっ。殿下は卑怯者です!」



 え、そっち?



「あ、でも、最初のダンス相手は私ですからね。つまり私の勝ちということです。そうですよね? ね? フラウちゃん⁉」



 いえ、あの、そんなギラギラした目つきで迫られましても。

 ええと、この小説、百合要素なんてありましたっけ……?



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