第6話 私とワルツを踊りませんか?




 パーティーが好きかと聞かれれば、はっきり言って嫌いです。



「まさか、お前が喜んでパーティーについて来るとはな」



 道中の馬車で、お兄様はそんなふうに笑っていらっしゃいましたけれど。


 目がチカチカする派手なシャンデリア。

 繰り返される気の抜けたワルツ演奏。

 澄まし顔とお追従と笑い声の三点セット。

 なぜかよく知りもしない令息と踊らなければならないこと──


 お兄様の前ではうれしそうな素振りをしていますが、パーティーの「あるある」をいくつか思い浮かべただけで背筋に悪寒が走ります。

 フラウはもともと内気な性格で社交界は一、二回ほど足を運んだきり。そこに前世から生粋の引きこもりである私が乗り移ったのですから、どう頑張ってもパーティーが好ましく思えるはずもありません。

 でも──

 今宵のお兄様のお姿を見たら、そのようなことばかり言ってはいられませんね。

 黒地に金の装飾がちりばめられた夜会用の礼服。

 その麗しい装いが、ただでさえ眼福なお兄様のお姿をより一層きらびやかなものにしています。先日お贈りした懐中時計の鎖が胸ポケットから覗いているのも喜ばしいところ。今すぐ写真に収めてコレクションに加えたいのですが……この世界にカメラはないのでしょうか?

 そのような物思いにふけっているうち、目的地に到着しました。

 先に馬車を降りたお兄様が私に向かって手を差し伸べます。



「おいで。フラウ」



 今ここで死んでも悔いはない。

 そんな気持ちで、私はお兄様の手を取ります。

 会場にはすでに多くの人が集まっているのか、宮殿の外にいても笑い声が聞こえてきます。

 お兄様にエスコートしていただき長い階段を上りながら、私は気を引き締めました。前世も今世も人混みは得意ではありません。お兄様の前で緊張を出さないようにしなければ。

 が。

 会場に入った瞬間、私は思わずお兄様の腕を強く抱き寄せていました。



「どうした?」


「い、いえ……!」



 人、人、人。

 華やかな装いに身を包んだ紳士淑女たちの群れ。その顔が一斉にこちらを振り向き、ひたと私たちを見つめています。

 こ、こんなにたくさんの人から見られるなんて……!

 いえ。わかっています。

 視線を集めているのは、紅き公爵であるお兄様。

 でも……少なからぬ目が、私にも注がれているような……?



「ほほぅ。あのフレイムローズ卿が、今日は大変美しい姫君をお連れのようですな」


「まあ、なんてきれいなお嬢様……! ねえ、誰かあの方を知っていて?」


「見ろよ、あの輝く銀髪を。彼女こそ噂の《白銀の薔薇》ではないか?」



 そんな声が聞こえてきて、頬が熱くなるのを感じます。

 この目立つドレスのせいでしょうか?

 銀髪がよく映える紺地に真珠とダイヤをちりばめられ、肩と背中の部分が大きく開いた形のドレス。以前のフラウなら間違いなく着なかったでしょう。

 皇太子攻略のため、冷静な観点から選んだ衣装なのですが……。

 それ以外の人からどんなふうに見られるかなんて、まったく考えていませんでした。

 お兄様の腕につかまりながら、気持ちを落ち着けるために深呼吸します。

 隣から「ふっ」と声がして、



「お兄様?」



 見上げると、お兄様は手袋をはめた手で口元を隠しているご様子。



「もしかして……笑っていらっしゃいます?」


「……ん」



 曖昧な返事をなさるお兄様。

 しかし手を下ろすと、そこにはいつもの落ち着いた表情があるだけです。



「いや。このところ様子が変わったと思っていたが、そういうところはあまり変わっていないな」


「も、申し訳ありません……!」


「なぜ謝る?」


「い、いえ……」



 これはなんという失態。

 せっかく先日の晩餐会で印象を変えられたというのに、我ながら情けないところをお見せしてしまいました。

 しがみついていた腕の力を抜き、私はすっと背筋を伸ばします。肩を落として顔をまっすぐ上げ、この場にいるどんな令嬢よりも悠然として見えるように。



「参りましょう、お兄様」



 しっかりしなくては。今夜は、私がお兄様を守るのですから。

 優雅な足取りで進んでいくと、人々は私たちに道を開けるように左右に分かれていきます。

 その先に──

 たたずむのは今宵の主役。

 帝国の《黄金》。



「おめでとうございます。皇太子殿下」


「よく来てくれた。フレイムローズ卿」



 ユリアス=アストレア皇太子殿下。

 輝く黄金の髪に、満月のような黄金の瞳。わずかにあどけなさを残しながらも成長の兆しを見せる凛々しい顔立ち。

 この世界の主要人物は美形ぞろいではありますが、その中でもトップクラス。かつ正統派の美青年と言えるでしょう。

 私の好みはお兄様のように鋭くキリッとしたお顔ですけれど、ユリアスの容姿が優れていることは否定いたしません。さすがは物語のメインヒーローといったところ。

 ……さあ、攻略スタートとまいりましょうか。



「隣にいるのはどちらのご令嬢かな?」


「我が妹のフラウです。殿下のお目にかけるのは初めてかと」



 お兄様の紹介を受け、私は深く一礼いたします。



「拝謁を賜り光栄です、皇太子殿下。フラウ=フレイムローズと申します」



 剥き出しの肌がシャンデリアの明かりを受けて、存分に白く光るように──長く深いお辞儀。

 それからゆっくり顔を上げると、ユリアスが少し目を瞠っているのがわかります。耳たぶのあたりがほんのり赤くなっているのも。

 わかりやすくて結構ですね。



『攻略情報・その一。皇太子は肌の露出に弱い』



「し、知らなかったな。卿にこんな妹がいただなんて」


「ふふ。こんなって、どんな妹ですか? 皇太子殿下?」



 私がいたずらっぽく問いかけると、



「……私をからかうのか?」



 にやりと笑って答えるユリアス。



『攻略情報・その二。皇太子は気さくな態度の者を好む』



 彼は皇帝陛下の一粒種。生まれたときから次期皇帝として扱われてきました。

 親しく話しかけることのできる人物はほとんどおらず、上に立つ者の孤独を常に味わっています。

 だからこそ、このような態度が好ましいのですよね。



「卿の妹なら、赤い髪と瞳だろうと思っていたが」


「それでしたら、姉のアシュリーがそうです。申し訳ありません、髪を赤く染めてお目通りするべきでした」


「いや、その銀髪を染めるのはもったいない。それに……瞳も珍しいな。オパールという宝石によく似ている」


「ありがとうございます。お気に召したなら、殿下に差し上げますわ」


「そなたの瞳をか? おもしろいことを言う」



 つかみは上々ですね。

 上機嫌なユリアスに、お兄様も満足そうな表情をなさっています。私を連れてきて正解だと思っていらっしゃることでしょう。

 心の中でほくほくしていますと、



「殿下。よろしければ少しの間、我が妹をご一緒させていただけませんか?」



 …………え?

 お兄様の言葉に固まってしまいます。



「ああ。構わないが」


「ありがとうございます。またのちほどお目にかかります、殿下」



 そう言って頭を下げ、私から離れていくお兄様。

 え。

 まっ……待って!

 待ってください‼

 私から離れてはだめです!

 この会場には悪魔のような令嬢たちがうじゃうじゃと……!

 ああっ、ほらさっそく、変な女がお兄様に話しかけています。

 あれはゼイン家のオーリア嬢。

 両親と一緒のようですが、十四の娘をあんなごってごてに飾りつけて……。

 あんな趣味の悪い首飾りで、私のお兄様がなびくとでも?

 それにしてもお兄様との距離が近すぎますね。

 笑いながらお兄様の袖に触れたりして……。

 あー許せません。オーリア、あなたの顔は覚えました。



「フラウ?」



 今度はエメル家のフィー嬢とお話しになっています。

 フィー嬢はさすが大司教の孫娘だけあって、慎ましい態度と距離感ですね。先ほどの下品な娘と違って多少は好感が持てます。

 しかしあと数センチでもお兄様に近づいたら、あなたもリストに名前を載せてさしあげます。

 リストに一度でも名前が載ったら……わかっていますね?



「おーい?」



 あぁぁ! こんな遠くでなんか見ていられません!

 やはり私がお兄様のおそばにいなければ──‼

 と、急に手を引かれて我に返ります。



「どうしたんだ?」



 ……ユリアスのことをすっかり忘れていました。



「殿下、えっと、その」


「音楽がはじまったら、急にそっぽを向いて黙り込んだりして。実はけっこう恥ずかしがり屋なのかな」


「え?」



 ぽかんとする私を見て、ユリアスがくすくす笑います。

 そういえば、いつのまにかワルツ演奏が流れていますね。

 ワルツ……と言えばダンス。

 そして今、ユリアスは私の手を握っていて。

 あれ、おかしいですね。原作では最初にヒロインと踊るはずなのですが。



「フラウ」


「は……い」


「私と──」



 ユリアスが微笑みながら言いかけた瞬間、



「あ、ユリアス様ぁ!」



 間延びした声が真横から響いて、



「やっと見つけ……ってひゃぁぁーーーーーー⁉」



 甲高い悲鳴とともに、こちらへ倒れ込んでくる人影が私を押しつぶしました。

 むにゅっと。



「………!」



 い、息が。

 やわらかくてあたたかい、巨大なマシュマロのようなものを顔に押しつけられています。なかなか気持ちのいい感触ですが、呼吸できないのはあまりにも致命的。

 手足をばたつかせ、だんだん命の危険を感じはじめたところで、倒れ込んできた人物がようやく身を起こしました。



「ごごごめんなさいっ。あなた大丈夫⁉」



 ぷはっと息を吸って顔を上げると、そこには美しい藤色の滝。

 それが長い紫の髪だと気がつくと同時、私の全身に電流のようなものが走りました。

 紫色──《紫苑》。

 私を押し倒した少女はきらきらと輝く瞳で私を見つめています。

 その愛らしい、いえ誰もが愛さずにはいられない笑顔。

 後光のように燦燦と放たれる無垢なオーラ。

 水鳥を思わせる優美で長い手足に、たわわに実った果実のごとき豊満な胸。これが私を押しつぶした凶器ですが。

 知っています。

 私は、あなたをよく知っています。



「あれっ? あなたは……」



 彼女もまた、私を見て何やらびっくりしたように呟きました。

 それから「ほんとごめんなさいっ」と言いながら私の手をつかんで助け起こします。

 二人で立ち上がり、両手をつないだ状態で(なぜか離していただけないので)私たちはしばし見つめ合いました。



「あのっ」



 彼女はそう言いながら、あっけにとられて立ち尽くすユリアスの目の前で、私とつないだ手にぎゅっと力を込めます。



「私と、ワルツを踊りませんか⁉」


「…………………は?」



 私の口から間の抜けた声が漏れます。

 ええと……。

 なぜか、物語のヒロインからダンスを申し込まれたようなのですが。



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