第6話‐②

「じゃあ、ここ座って」


「はい」




 金曜日の放課後、わたしは思い切って担任の室戸先生に相談してみた。そう――いわゆる進路相談だ。だめもとでいきなり頼んでみたら、別にいいよ~と軽い感じでオーケーをもらった。職員室のすぐそばの進路指導室がちょうど空いていたので、わたしは先生と向かい合って座った。


 先生は手にいろいろな資料を持っていて、それを机の上に広げる。




「さて、進路相談っていうことだけど……」


「はい」


「まず、羽山さんはいま、進路について、どのくらいまで考えてる? ほんと、ぼんやりした感じでもいいから」


「……、それも、まだ、わかんなくて、ぜんぜん」


「ふーむ、そっかぁ。まあ、まだ二年の一学期だしね。決まってなくても仕方ないよね」




 先生は椅子に深く座りなおした。




「けど羽山さん、成績は悪くないし、一年次の模試でも偏差値は平均より少し上くらいだから、もし何も決まってないなら、いったん大学に進学するのは全然ありだと思うよ」


「でも、進学っていっても、どこにすればいいのか……」


「決めかねるよねえ」


「先生は、どうやって決めたんですか?」


「僕ぅ?」




 先生はぱっと、表情を明るくして、グイっと身を乗り出した。




「いやぁ、生徒とこういう話をするの、楽しいなあ。将来のこととかさ」


「は、はぁ……」


「――って、言ってる先生がいたんだよね、僕が高校生のころ」




 そこでちょっと冗談めかしてくるあたりが、室戸先生の人気のゆえんだ。授業中もいつもこんな感じなので、寝る生徒がほとんどいない。




「僕も当時は、ぜんぜん将来のこととか、思いつかなくってさ。親に迷惑かけて四年間も大学に通うよりだったら、いっそ地元で適当に就職しようかな、とか考えてたんだ。でも、その時に進路の相談に乗ってくれたのが、その先生。三倍ぐらい歳離れてたけど、生徒と話をするのが楽しくて仕方ないって感じの人でさ。怒るとめちゃくちゃ怖かったし、テストもめちゃくちゃ難しかったけど、でも、すごく――楽しそうだったんだよね。僕の将来のことを、本気で親身になって考えてくれたって、そういう気がした。だから、この人みたいな先生になりたいって、そう思ったんだ。僕は教育学部に進学した。教師になりたいっていう、夢を見つけられたから」




 そう語る先生は、ほんとうに楽しそうだった。




「こうして、羽山さんと向きあってるこの時間が、僕のやりたかったことなんだ。だから今、すごく楽しい。でも羽山さんは、そういうことを、まだ見つけられていないんだよね」


「……、はい」


「うんうん。あ、でもさっきの話の流れで、きみも教員を目指せ、なんて言わないから安心して」


「それは……別に心配してないですけど……」


「あ、そっか」


「でも、先生は、高校生の時に、その……先生の先生と出会ったから、将来の進路を決められたんですよね」


「うん。まあね」


「でも、そういうのって、どこで……どうやって、見つければいいのか……」




 すると、先生はふう、と大きくため息を一つ。




「確実な方法はないよ。めぐり合わせもある。運もある。最初から恵まれていて、選択肢がたくさんある人もいれば、どうしようもないことで、将来を閉ざされてしまう人もいる。例えば、将来は親の仕事を継ぐっていう人もいる。それは、本人がそうしたいからかもしれないし、もしくは経済的な問題で、ほかの選択肢がないからかもしれない。人それぞれで、ゲームの初期装備も、スタート位置も、難易度設定も違うんだ」


「……、」


「だけど、選択肢を増やしていくことはできる。勉強もそう。成績が悪いよりもいい方が、選択肢は多い。成績のいいひとが偏差値の低い大学に行ったって良い、でも逆はできない。言葉もそう。日本語だけを知っている人と、英語もわかる人とでは、見える世界は何倍も違う。学校っていうのはそのための場所なんだ。僕みたいに、将来を決めるような出会いを見つけたり、勉強をして知識を深めたりね」




 でも、と先生は微笑む。




「もっといい方法もある。僕みたいな大人にはできないことだ――もうすぐ夏休みだよね。宿題はあるけれど、それ以上に時間がある。その時間を使って、知らない場所に行ってみるとか、本を一つ読んでみるとか――でも大切なのは、チャレンジすることだ。自分の知っていることばかり繰り返しても、新しい道は見つからない。手探りでもあてずっぽうでもいいから、自分の知らない未知の世界に、挑んでみること」


「未知の世界……」


「来年の夏休みは、きっとそれどころじゃないだろうから……やってみるなら、今年がチャンスだよ?」


「例えば、何をすればいいんですか?」


「それは羽山さん次第」


「ええ~」




 ここまで来て話が振りだしに戻された気分だ。先生もそう思ったのか、苦笑する。




「ほんと、些細なことでいいんだよ。図書館に行って、タイトルが面白そうな小説を読むとか……観たことない映画を観てみるとか」


「映画……」




 そういえば、玉ちゃんが映画好きになったのは、あのゴールデンウィークの出来事がきっかけだったっけ。八石さんに偶然渡されたチケットで、それまでさほど興味もなかったのに、観に行ったんだった。今では玉ちゃんはすっかりのめりこんで、大学でもそれを目指そうとしている。




「――『Life is like a box of chocolates』」


「え、チョコレート?」




 急につぶやかれたので、それが英語だと分かるのに一瞬時間がかかった。先生はいたずらっぽく微笑む。




「じゃあ、羽山さんに宿題。いまの英文について、調べてくること。提出期限は卒業式……なんちゃって。キザ過ぎかな」


「いや、先生……化学教師じゃないですか」


「じゃあ、アインシュタインの名言でも引用したほうがいい?」


「あははは。ぜんっぜんおもしろくない」




 でも、わたしはこの先生に相談してよかったと思った。







「でも、どういうことなんだろう?」




 ――『人生はチョコレートの箱のようだ』。先生の言葉を訳すと、こんな感じだろうか。チョコレートの箱?


 ということで、わたしは帰りにコンビニで、箱入りのチョコレートを買って、夕食のあとに開いてみる。指先でつまめるくらいのサイズのチョコレートが、身を寄せ合って箱の中に入っている。


 ふつうのチョコレートだ。


 つまんで食べてみる。甘くておいしい。外側の箱にも、なんにもおかしいところはない。表には商品名と写真、裏には成分表示がされている。ただの紙の箱。




「う~ん……?」




 ころころと、中でチョコレートが転がる紙の箱。


 これが人生?







「チョコレート……?」


「うん。先生に言われたの――食べる?」




 光は首を横に振った。


 ほっそりした肩や腕を見ていると、ふだん何を食べているんだろうという気になる。いやそもそも、ちゃんと食べたりしているのだろうか?




「おいしいの?」


「うん、おいしいよ。光は甘いのは嫌い?」


「味のついたもの……苦手なの」




 そういえば前にも、味のついた飲み物は好きじゃない、とか言っていた。


 光は憂鬱そうにつぶやく。




「口の中で、ものを食べると――目の前が、ちかちかしたり、いろんな色になったりするの」


「そっか。……でも、前にうちに来た時、ばあちゃんのご飯、食べたよね。もしかして、無理してた?」


「ううん……おいしかった。とっても」


「そっか。よかったぁ」




 てっきりばあちゃんの威圧感に屈して、無理やり食べていたのかと不安になった。光はこういうときにうそを言ったり、気を遣ってごまかしたりしない。


 わたしはチョコをもう一粒口の中に入れて、海を眺めた。




「Life is like a box of chocolates……」


「あ……」


「どうしたの?」


「その言葉……聞いたことがある。ランの持ってる映画の中で……」


「映画……」




 そうか、映画のセリフ……どうりで暗喩めいているわけだ。







『知ってる。「フォレスト・ガンプ」だね』




 翌朝、玉ちゃんに電話で聞いてみたら、ノータイムで解答がきた。




「どういう意味なのかなあ」


『開けてみるまで分からない、っていう意味のセリフだよ』


「開けてみるまで……?」


『うん。映画の冒頭に出てくるの、とっても有名なフレーズ。映画自体もすっごく壮大で、感動するよ、それにね、サウンドトラックがすごく良くって――』




 玉ちゃんのうんちくを電話越しに十分くらい聞いて、通話を終えてから、わたしは昨日食べきれなかった残りのチョコレートの箱を見つめた。




「開けてみるまで分からない、かぁ……」




 そんなことってあるかな、と箱を開けたら――


 チョコレートは暑さでどろどろに溶けていて、元の粒の形を保っていなかった。




「うわ……冷蔵庫にしまっておけばよかったな」




 でも捨てるのはもったいないので食べる。やわらかくて、味も変わってしまっていた。


 ぼやぼやしていたら脳みそ溶けちゃうぞって、そういう意味なのだろうか……

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