第3話‐①

 翌日十時半。




「なんで返事してくれなかったの?」




 待ち合わせの駅でぷんすかと頬を膨らませている玉ちゃんに、わたしは平謝りしていた。




「ごめんって。メッセージ見て、返信しようと思ったら寝落ちしちゃって……」


「ぜんぜん既読つかないから、心配してたんだよ?」


「ごめんって……今日埋め合わせするから」


「ほんと?」


「ほんとほんと」




 すると、玉ちゃんはにっこりと笑った。




「じゃあ、許してあげる。さ、行こ?」







 この鉄道路線は、利用者がほとんどいない、けどなくなると困る人ばかりなので廃止もできないという、いわゆる赤字路線というやつだ。時見町の市街から離れた場所に暮らしている人は、電車以外の移動手段は車しかない。よって、運転のできない学生やお年寄りは、学校や病院に行くためにはこの電車を使わざるを得ないのだ。車体はぼろでブレーキのたびにやかましい音がするし、一番大きい中心街そばの駅でも、いまだに改札口で駅員がキップを切っている。それ以外の駅に至っては駅員すらいない無人駅がほとんどだ。


 わたしと玉ちゃんはそれぞれ定期券を車掌に見せて、改札を降りた。そこから歩いて十五分ほど大通りを歩いていくと、映画館にたどり着く。




「ねえ、なに観ようか? 瑠璃ちゃん、どんな映画が好き?」




 わたしたちはロビーの丸テーブルに向かい合って座り、パンフレットを広げた。知らないアニメの映画、海外のアクション映画、人気小説の実写化映画、それから古い映画のリバイバル上映……正直どれもあんまり興味ないけれど、せっかく来たのだから、少しでも面白そうなものを観るべきだろう。




「玉ちゃんは? 何か観たいのある?」


「え、う~ん……ど、どうしようかな。これなんか有名だよね、すごくヒットしてるっていうし……あと、これは原作小説は読んだよ。でも、映画の評判は、あんまりよくないみたい……」


「玉ちゃん、アニメとかも見るっけ?」


「あんまり……」


「じゃあ、これでいいんじゃない?」




 わたしたちは無難に、玉ちゃんが原作を読んだという、ミステリー作品の映画を観ることに決めた。上映時間までは一時間近くあるので、わたしたちは近くをぶらぶら歩いて時間をつぶすことにした。




「八石さんには感謝だね。五割引くらいでチケット買えたよ」


「う、うん。そうだね。えへへ……」




 玉ちゃんは顔を赤くして笑っている。




「どうしたの?」


「なんか……瑠璃ちゃんと一緒にお出かけできて、よかったなあって」


「いつものことじゃん。学校でもずっと一緒だし……」


「でも瑠璃ちゃん、このごろ、ずっと……」




 もじもじと口ごもる玉ちゃん。


 でも、なんとなく言いたいことは分かった。




「光のこと?」


「瑠璃ちゃん、ずっと春月さんのこと、気にしてるから……それに、春月さんも、瑠璃ちゃんのこと……わ、わたし、瑠璃ちゃんが、取られちゃうんじゃないかって思って……」


「あはは。なあに、取られちゃうって」


「な、なんで……笑うの?」


「だって、光は別にわたしのものじゃないし、わたしは玉ちゃんのものじゃないし……どっちか片方だけじゃないんだよ、どっちも、大切な友だちなの。玉ちゃんのこと、大好きだよ」




 すると、玉ちゃんは、うん、と小さく呟きながらも、どこか浮かない表情だった。




「でも、わたしには……瑠璃ちゃんだけなんだよ」







 雑貨屋さんでかわいい手帳や文房具をみたり、本屋で雑誌を立ち読みしたりしている間に、上映の時間が迫ってきた。わたしたちはカウンターでドリンクとポップコーンを買って劇場に入ると、隣どうしのシートに座った。席は半分くらい埋まっていて、それなりに賑わっていると言えるだろう。年齢層もまちまちだ。




「な、なんか緊張してきちゃうね……」




 玉ちゃんは意味もなく上着を直したり、眼鏡をつけたり外したりしながら、体を硬くしている。わたしはシートの柔らかさに背を預けながら、ウーロン茶のストローをすすった。




「なんで緊張することがあるのさ」


「だって、なんか……雰囲気がさ。においとか、照明とか……」




 確かに、壁は黒いし、照明は暗いし、不思議なにおいがする。劇場の中はとても静かで、少しの話し声もやたらと大きく聞こえる。




「な、なんか、玉ちゃんに言われたせいで、わたしも緊張してきちゃった……」


「えっ、ごめん」




 これから何かが始まるという、厳かな雰囲気。


 真っ白なスクリーンには何も映し出されていないけれど、じっと見ていると、なんだか落ち着かなくなってくる。


 やがて客席の照明が暗くなり、非常口のランプも消える。スクリーンにばっと、白い光が映し出された。




「あっ、始まるよ……!」







 映画の予告映像やコマーシャルが流れ、それからしばらくして本編が始まる。


 とにかく、音が大きくて、画面はまぶしい。


 演技をしている俳優や女優の声も、息遣いも、不自然なほど大きく増幅されて、スピーカーから流れ出てくる。真っ暗な劇場の中で煌々と灯るスクリーンはまぶしくて、目と耳がどうにかなりそうだった。


 正直、ストーリーはまったく頭に入ってこなかった。


 ただ、音と光の奔流に身を任せているうちに、映画は終わった。







「うーん、やっぱりイマイチだったなあ」




 ロビーで玉ちゃんはパンフレットを眺めながらため息をついた。




「アクションも物足りないし、それに、何で主人公の相棒を女性に変えたんだろう? 必要な改変とは思えないし、ロマンスっぽいシーンも唐突だったし……でも劇伴はよかったなあ、それにラストシーンも……ね、瑠璃ちゃんはどうだった?」


「ちょっと……酔っちゃったかも」


「え、大丈夫?」


「うん、平気。アクションシーンとかで、画面がこう……ぐわーって、大きく揺れたりするでしょ? それに、音もすごく大きいし……」


「あ、確かにね……弱い人は酔っちゃうかも」


「でも、平気だからね。大迫力だったね、面白かった」


「そっか……ちょっと、外の空気、吸いに行こうか」




 わたしたちはロビーを出て、駐車場の脇の自動販売機が設置してあるスペースで少し休憩をした。玉ちゃんはうきうきとしていて楽しそうにパンフレットとスマートフォンに交互に目を走らせている。




「玉ちゃん、意外と映画好きなんじゃない?」


「え、うん……そうかも」


「読書もいっぱいしてるし。これを機に、映画にハマっちゃったりして」


「ど、どうかな……でも、今回のが、たまたまかもしれないし……」


「まだチケットあるでしょ? 少し休憩したら、また見てみようよ。付き合うから」


「う、うん! でも、瑠璃ちゃんは大丈夫? 気分がよくないなら、無理しないでいいよ」


「平気だって。さっきの映画が特別だったんだよ、アクションシーンとか、いっぱいあったし。このチケットも、ずっと使えるわけじゃないんだから、有効活用しないとさ」




 玉ちゃんは心底ほっとしたようなため息をついた。


 それを見て、わたしもほっとした。




「じゃあさ、次は何にする?」




 それに、こんなに生き生きと目を輝かせている玉ちゃんを見るのは、初めてだった。それがなんだか、うれしいような、驚かされるような、不思議な気持ちだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る