第2話‐③
「瑠璃。そういえば、あの子は元気かい?」
土曜日。朝ごはんを食べているとき、ふいに、ばあちゃんが尋ねた。
「光のこと? 元気だよ。今日も、このあと会う約束なの」
「そうなのかい。ずいぶん、仲が良いみたいじゃないか」
「まあね」
「お前は、あまり友だちを作りたがらなかったからね。それだけ、あの子が特別なんだろうと思ってね」
「そうかなあ」
玉ちゃんとか、あとは八石さんとか……仲が良い知り合いは、多くはないけれど、少なくもないと思う。けど、うちに友だちを呼んだりすることはなかったから、ばあちゃんにはそう感じられるのかもしれない。
ばあちゃんは、なんとなく、嬉しそうにしている。
「どこかに出かけるのかい? それともうちに連れてくるのかい?」
「光が行きたいところがあるんだって。そこに連れて行くの」
「へえ。どこなんだい?」
「『
ばあちゃんは眉をひそめた。
「なんだってそんな場所に行きたがるんだい? 物好きな子だねえ」
「ね」
砂浜に行くと、すでに光はそこで待っていた。
白いつば広の帽子と、裾の長いワンピースを着て、長い亜麻色の髪を風になびかせている。まるで海外のモデルさんみたいだ。
「瑠璃。おはよう」
制服でも、裸でもない光を見たのは、初めてだった。わたしは思わず、見とれてしまって、その場に立ち尽くしていた。光がこちらに歩み寄ってきて、目の前までやってきたところで、ようやく我に返った。
「おはよう。ごめん、待った?」
「うん」
「あ、そっか……」
待ち合わせの時間を、お昼、としか聞いていなかったので、いちおう十一時くらいにやってきたが、光はもう少し早く来ていたらしい。彼女はくるりと振り返り、砂浜を歩き出した。わたしも、慌てて後を追う。
時見町は、一方を海に、もう一方を山に挟まれた間に位置している。海沿いに線路と国道が通っていて、新しい住宅街や商業施設はその国道沿いに並んでいる。いっぽう山のほうにはお寺や墓地、それから古い家が多く、お年寄りが多く住んでいる。
『長り坂』とは、国道と直交する長い山道のことだ。長い上り坂、か、長い下り坂、が訛って、いつの間にかそう呼ばれるようになったらしい。一直線に山の頂上近くまで伸びていて、その先には古い神社がある。この町に暮らしている人なら、子どもの頃の遠足で一度は歩いたことがある道だ。
砂浜をずっと進んでいくと、やがて駅のすぐそばまでやってくる。申し訳程度に舗装された道を、線路沿いにずっと歩いていくと、やがて国道につながる。長り坂のスタート地点までは、ここから二十分ほど歩く。
ゴールデンウィークの初日ということもあって、いつもより自動車の交通量は多い。大きなトラックや自動車が、ひっきりなしに横を通り過ぎていく。わたしと光はその隣をゆっくりと歩いていく。春も盛りを過ぎて、あたたかく、風も穏やかだ。
「その服、すごく似合ってるね」
安いカーディガンとパンツで固めたわたしと比べると、文字通り月とスッポンだ。
光は帽子のつばを指でつまみながら、少し恥ずかしそうに目を伏せた。
「それにしても、『長り坂』の神社のことなんて、よく知ってるね」
「ランに、聞いたの。それで、行ってみたいと思っていて……」
「ラン……さんって、光のこと、お世話してくれてるっていう?」
「ランは、昔、この町で暮らしていたことがあるの。それで、話を聞いて……」
「へえ、そうなんだ」
「この服も、ランが、選んでくれたの。瑠璃と一緒に行くって、言ったら……」
「へ、へえ……」
しばらく歩いていくと、やがて長り坂のスタート地点へとたどり着く。いちおう舗装されているし、傾斜は緩やかだが、道の両側を木に囲まれていて、先まで見通すことはできない。
「ここから一本道だから。しばらく歩くけど、大丈夫? ……光?」
光はじいっと、道の先を見つめている。青い瞳がいっぱいに見開かれ、呼吸が深く、ゆっくりとしたものに変わっている。
「光? どうかした?」
わたしが声をかけると、光ははっと、まばたきをした。
「え? ……ごめんなさい」
「だいじょうぶ? 疲れた?」
「なんでもない……行こう」
光はゆっくりと歩き出す。
わたしはその隣に並んだが、少し心配だった。
「『長り坂』は、ここからずいぶん歩くよ。辛くなったら、すぐに言ってね」
そう、長り坂は、その名の通りずいぶん長い。大人の足でも、徒歩ならば一時間以上はかかる。それまでず~っと、緩やかな上り坂が続くのだ。子どもにこんな場所を徒歩で往復させる遠足は、今にして思ってもずいぶんな苦行だ。
わたしたちは木々に囲まれた坂道を少しずつ進んでいく。
しばらく歩いてなかったけれど、こんなに緑に囲まれた場所だとは思わなかった。空は青く、太陽はほとんど天頂まで上っているが、木漏れ日は木々や枝に透かされて緑に染められている。空気はひんやりとしていて、常に、あちこちからさわさわと木の葉がこすれる音が聞こえてくる。
光はゆっくり歩きながら、きょろきょろと周囲を見回している。なんとなく、光の気持ちが張り詰めているのを感じる。あんまり話しかけたりしたがっていない時だ。だからわたしは黙って、光の邪魔をしないように、静かに隣を歩く。
さらさら、ざわざわ……
それは少し、波の音にも似ていた。けれど、波はひんやりしているのに、森はあたたかい感じがする。遠足の時に歩かされた時には、疲れてしまってそれどころじゃなかったけれど、こんなに気分のいい場所だったとは知らなかった。休みの日に家でだらだらしているよりも、ここを歩いてみるのもいいかもしれない。
「はぁ、はぁ……」
見ると、光は少し呼吸を荒くしている。足取りも、心なしか重い。
「だいじょうぶ? 少し休もうか」
「平気……早く、上りたい、から……」
「まだ半分以上あるよ。先は長いから、ゆっくり行こう」
顔色はそんなに悪くないけれど、光は結構疲れているようだった。意外と体力はないのかもしれない。……八石さん、光はバスケ部には向いてないかも。
わたしたちはさび付いたガードレールに寄りかかって、体を休めた。わたしは鞄の中にいれていた水筒のお茶を少し飲んだ。光ほどじゃないけど、結構長いこと坂道を歩いているので、わたしもそれなりに疲れている。
「はい。飲む?」
光は手ぶらだ。鞄も何も持っていない。
光は首を横に振った。
「いらない……」
「そう? 大丈夫?」
「味のついた飲み物は……あんまり、好きじゃない」
確かに、この水筒の中に入っているのは、ティーバッグで出した麦茶だ。でも、それは光には話していないはずなのに、なぜわかったんだろう。
「ふう……」
「だいじょうぶ? 無理はしないでね」
「だいじょうぶ……もう、平気。行こう」
光は歩き出そうとしたが、坂道の傾斜でふらっとよろめく。
「あぶなっ――」
とっさに両肩をつかまえる。光は驚くほど軽くて、わたしでも簡単に支えることができた。
「あ、ありがとう……」
「もう、言わんこっちゃない。気を付けてね」
「うん……」
「もうちょっと休憩して、それから行こう。まだ時間はあるから、ね?」
光はしぶしぶ、といったふうにうなずいた。
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