第2話-②

 しばらくは、朝、学校であいさつをし、夜に砂浜でまた出会うという生活が続いた。


 相変わらず学校ではしゃべらないけれど、夜は時々、おしゃべりをしてくれた。時にはじっと海のほうを向いたままで、びくともせずに黙っているときもあった。そういう時はわたしも無理に話しかけたりはせずに、少し離れたところで、同じ時間を過ごしたりした。


 たまに光がいない日もあった。


 そういう時はひとりで砂浜を歩いて、時間をつぶした。すると、波の音、風や砂の音が、いっそう大きく深く響いてくるような気がした。そのたびに、高揚するような、眠くなるような、奇妙な感覚におちいる。ものすごく大きなスクリーンで、ものすごく大きな音で、映画を観ているときのような――そんな感覚だ。







「羽山ちゃん。これ、いる?」




 五月に入り、ゴールデンウィークも間近に迫った、とある昼休み。八石さんがわたしに何かを差し出した。白い封筒に収められた、商品券のような見た目だ。




「なに、これ?」


「親戚のおじさんがくれたんだけどさ~、ほら、中心街の映画館あるでしょ? ゴールデンウィーク中に、映画が割引になるチケットなんだけど、わたしはゴールデンウィーク中は大会とかで忙しいから見に行けないんだよね~。どう? もしよかったら、倉守ちゃんとか、春月ちゃんとか誘ってさ」


「映画、かあ。玉ちゃん、どう?」


「えっ?」




 目の前でお弁当をもそもそ食べていた玉ちゃんが、ばっと顔をあげた。八石さんに話を振られないように必死でうつむいていたのだろう。




「映画?」


「せっかく、くれるっていうんだし。ゴールデンウィークのどこかで、見に行かない?」


「う、うん! そうだね。ありがとう、八石さん」


「いいっていいって! せっかくもらったものだし、使える人に使ってほしいからね」




 八石さんはけらけら笑って、それから、窓際の後ろの席に座る光のほうを見た。




「羽山ちゃん、なんだか最近、春月ちゃんと仲良いみたいじゃん?」


「え、うん。そうかも」


「そうかもって、もう~。謙遜することないじゃん。うらやましいなあ~」




 ぐいっと肩に腕を回して引き寄せてくる。




「わたしも、結構話しかけてるつもりなんだけどなあ。ウザがられてるのかな、やっぱり?」


「そういうんじゃないと思うよ。八石さんのこと、嫌ってるわけじゃないと思う」


「ほんと~? だったらいいけどなあ」


「瑠璃ちゃん、それ、春月さんに聞いたの?」




 玉ちゃんがお茶をぐいっと飲み干して尋ねた。




「まあ、直接はっきり聞いたわけじゃ、ないけど……なんとなく、そうなんじゃないかなあって、思っただけ」


「そうなんだ」


「春月ちゃん、なんだか羽山ちゃんと話してるときは、雰囲気が変わるもんね。表情も、話し方も。あんなの男子が見たら、一発で落ちちゃうよ、すっごくかわいいの、ね?」


「まあ、ね」


「せっかくだし、映画、誘ってみたらいいんじゃないかな?」




 八石さんはふふんと満足げに教室を出て行った。


 玉ちゃんはチケットをじっと見つめながら、もぐもぐとご飯を食べている。




「楽しみだなあ。映画なんて、小学校のころ以来だよ。瑠璃ちゃん、いつ見に行こうか?」


「まあ、いつでも大丈夫だよ。ほかの用事ないし」


「じゃあ、この日曜日にしない? ついでに、お買い物とかしようよ」


「いいね。じゃあ、日曜日ね」


「うん」




 わたしはスケジュール帳にしっかり予定を書き込んだ。すると、玉ちゃんがぽつり、とつぶやいた。




「春月さんも誘うの?」


「う~ん……どうしよう?」


「わ、わたしが決めることじゃ、ないでしょ。瑠璃ちゃんのほうが、春月さんとは仲良しなんだから……」




 わたしは苦笑した。光を誘うと言ったら、玉ちゃんは困ってしまうだろう。それに、光はうるさい場所が苦手だって言っていたし、映画館はそんなに行きたがらないと思う。




「ふたりで行こうよ。せっかくだし」


「う、うん! じゃあ約束ね」







 その日の夜。


 いつものように砂浜で立っていた光に、わたしは映画のことを話してみた。




「映画……?」


「うん。光は映画とか、観る?」


「小さいころに……何回か。あと、ランが、よく観てる。でも、そんなに、好きじゃない……」


「やっぱり、音が大きいから?」




 光はうなずく。




「それに……いっぱい、言葉を聞くのは、疲れるから」


「言葉を聞く?」


「言葉や、文字を、見たり聞いたりして、意味を考えなくちゃいけない。それは、とても、疲れる」




 確かに、一方的にいろいろなことをしゃべっているのを観るのは、よく考えたら大変なことかもしれない。普通にやっていることだけど、それはただ単に慣れているだけであって、実は結構すごいことなのかも。


 と、光は唐突にわたしの手を取った。ひんやりとした、白くて細い手が、わたしの手を包み込んでいる。あたたかい海の中に手をひたしているような感じ。光はそれを自分の胸のほうへ引き寄せた。




「話さなくても……こうすれば、わかる」




 ぎゅっと抱かれた手には、指の力と、やわらかい感触が伝わってくる。光は目を薄く、三日月のように細めて、かすかに微笑む。




「瑠璃のこと、わかる……よ」


「じゃあ、わたしも」




 光の手をほどく。そして、両手で光の右手を包んで、心臓のあたりまで引き寄せた。


 目を閉じる。


 体の前に、銀色を放つ小さな石があって、その光を抱きしめているような気持ち。からん、からーん、と、ガラスの器が触れあうような音がして、かすかに冷たい。冬に雪が積もって、あちこちで氷が白い煙をあげている。肌がじんとして、でもすぐにあたたかい水に融けて変わる――


 そんな感じがする。


 目を開くと、光もゆっくりと、閉じた瞼を開くのが見えた。




「なんか……わかった」




 光は微笑んだ。




「瑠璃」


「ん?」


「わたし、行ってみたいところがあるの。よかったら、一緒に行ってほしい。明日、お休みだから……どう?」




 明日は土曜日だ。玉ちゃんと映画に行くのは、日曜日。ちょうどバッティングしない。




「うん。いいよ」


「それじゃあ、明日……お昼に、待ち合わせしましょう」


「わかった。それじゃあ、また明日」

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