第1話-⑦

「瑠璃。いったい何があったんだい、ちゃんと説明しなさい」




 ばあちゃんはいつも、日が昇るのと同時に目を覚ます。わたしはそれを知っていたので、寝ている春月さんをそっとベッドの上に横たえて一階に降り、ばあちゃんの前に立ちはだかった。どうせ春月さんの制服や、靴を見られるのも時間の問題だからだ。だったら自分から言い出したほうがいいだろう。


 わたしはところどころ事実をぼかしながら、ばあちゃんに説明した。たまたま近くに来ていたクラスメイトが、終電を逃してしまい、定期券以外にお金もないのでタクシーも呼べず、雷雨に打たれて困り果てていたところ、たまたま近くに住んでいるクラスメイト――わたしのことだ――のことを思い出し、携帯でこっそり連絡を入れて、雨宿りさせてほしいと頼んできた、という、こんな感じのストーリーだ。そのクラスメイト――春月さんのこと――には身寄りがなく一人暮らしだったので、家の人に電話をするわけにもいかなかった、ということにした。これは本当のことだ。




「なるほどね」


「勝手に家にあげたのは……ごめんなさい。でも、困ってるクラスメイトを放っておけないでしょ?」


「もちろんさ。瑠璃、困っている人を助けるのは、当然のことさ。お前は当然のことをした。けれど、立派なことさ」




 けど、とばあちゃんは唇を尖らせた。




「それなら、なんであたしを起こさなかったんだい」


「そ、それは……寝てるのを起こしたら、悪いかなって」


「変に気を回すもんじゃないよ。次からは、こういうことがあるようなら、まずは家主であるあたしに断ってからにしなさい。わかったかい?」


「はい」


「よし、それじゃあ、朝ごはんの支度をしようかね。その同級生の子の分も作らなくちゃね。お前も手伝いなさい」


「うん、わかった」







 停電のせいで冷蔵庫や冷凍庫もダメになっていて、冷凍していた魚や肉は腐ってしまっていた。けれど、水道やガスはちゃんと使えた。これなら炊飯器がなくても土鍋でお米を炊いたりできる。野菜も、床下の野菜室に置いてあるので無事だった。


 ばあちゃんはラジオの電源をつけて、てきぱきと準備を進めていく。ラジオは災害の時にも使える、手回し充電用のハンドルが付いていた。だから停電中にも問題なく機能する。




「しかし困ったね。冷蔵庫が使えないんじゃあ、肉や魚を買っても置いておけない」


「夜はどうする?」


「そんなの、ろうそくを使えばいいさ」




 土鍋を火にかけ、鍋に味噌をといてダシを入れる。わたしはその隣で野菜を洗って、包丁で切っていく。


 ちょうどその時、廊下から足音が聞こえてきた。古い家だから少しのことで床板や壁が軋むのだ。見ると、春月さんがぼんやりとこちらを見ている。




「おはよう、春月さん」




 ばあちゃんも、そっちのほうを振り返った。




「おはよう。昨日は災難だったね。うちの孫が失礼をしなかったかい?」




 無言。ちょっと、戸惑っているようにも見える。


 すると、ばあちゃんは少しだけ目を細めて、春月さんを見た。




「朝、目を覚まして、誰かと顔を合わせたら、挨拶をするもんだよ」


「ばあちゃん、そんな言い方……」




 すると、春月さんは――


 ぺこり、と、折り目正しく頭を下げた。




「おはよう……ございます」


「はい、おはよう」




 ばあちゃんはにっこりと、顔のしわを深くした。春月さんも顔をあげる。だらりと垂れ下がっていた亜麻色の髪の毛が、古びたうちの中で、朝日を浴びて輝いた。




「朝ごはん、食べていきなさい。もうすぐできるよ。――瑠璃、あとはいいから、あの子の相手をしてやりな」


「うん、わかった」




 水道で手を洗い、エプロンを外して、廊下に立ったままの春月さんのもとへ向かう。




「なんだか……改めて、変な感じ。うちに春月さんがいるなんて」


「変……?」


「あ……そういう意味じゃないよ、迷惑とか、そんなんじゃないから! ぜんぜん、気にしなくていいんだからね、わたしが無理を言って連れてきたわけだし……」




 春月さんはぽかんとしている。


 朝食ができるまでの間、少しだけ時間がある。ふだんはスマホをいじったりして時間をつぶすところだが、あいにく昨日からスマホは充電ができていない。テレビもつかないし、ゲームも何もない。




「ああっ、そうだ。そういえば……」




 わたしは廊下を挟んで反対側の、大きな和室に向かった。春月さんもそのあとについてきた。







 和室の奥に鎮座する、大きな仏壇。


 若い男女の遺影が飾られている。――わたしの、お父さんとお母さんだ。




「いつもは、朝起きたらすぐお線香上げるんだけど……今日はバタバタしてて忘れてた」




 マッチを擦ってろうそくに火を点け、燭台にともす。そして、お線香に火をつけて、鉢に立てる。


 鉦を鳴らして、手を合わす。


 正直、お父さんとお母さんのことは、まったく覚えていない。わたしはまだ小さかったし、アルバムや記録ビデオみたいなものは、津波でぜんぶさらわれてしまった。だから、唯一の肉親であるばあちゃんから聞いた話でしか、わたしは二人のことを知らない。


 それでも、毎日ちゃんとお線香をあげるようにしている。


 わたしと、お父さんとお母さんが、親子であるための、大切な行為だ。


 目を開いて立ち上がると、春月さんがどこか戸惑ったようは表情で立っていた。




「あ、ごめんね。無理してついてくること、なかったんだけど……」


「なに……しているの?」


「え? ああ……お父さんとお母さんに、あいさつ」




 わたしはきょとんとしている春月さんに言った。




「ねえ、よかったら、春月さんもお線香、上げてくれないかな。無理にとは言わないけど」


「無理じゃ、ない」




 春月さんはゆっくりと、仏壇の前の座布団に座った。


 こういうのは気持ちだと思うけど、ばあちゃんから教えてもらった、一応の作法がある。




「まず、この湯飲みに水を灌ぐの。片方ずつ……それから、お線香を六本。ろうそくで火をつけて、二本ずつ、三か所に立てるの。左、右、手前。やけどしないようにね」




 春月さんはほっそりした白い指でお線香をつまみ、そっと鉢に立てていく。




「それで、鉦を鳴らすの。右手でもって、内側をこうやって叩くの、四回……」




 鉦の音は、すごくか細くて、鈴虫の声みたいだった。




「それで、手を合わせて……」




 春月さんは手を合わせて、軽くうつむいた。それまで余韻のように残っていた鈴の音が消えるのと同時に、春月さんは顔をあげた。


 ろうそくの火と、お線香の煙を、じっと見つめているようにみえた。




「ありがとう。春月さん」


「きれいだね……」




 何がきれいなのか、春月さんは言わなかった。







 朝食はご飯とお味噌汁、それからホウレンソウを湯がいたおひたしと、根菜の煮物だ。ばあちゃんは、しばらく使っていなかった三つ目の茶碗と箸を取り出して、椅子に座った春月さんの前に差し出した。




「いただきます」




 わたしたちが手を合わせるのを、春月さんはぽかんと見ていた。




「遠慮しないでいいんだよ。どんどん食べな」




 ばあちゃんがちょっとぶっきらぼうに言うと、春月さんはそっと手を合わせた。




「いただき……ます」




 両手で丁寧に箸をとり、きれいな持ち方でご飯をほんの少しつまんで、口に運ぶ。――そういえば、春月さんが何かを食べているのを見るのは、初めてだった。


 ばあちゃんは、春月さんの見た目のことや、家族のことなど、余計なことをあれこれ詮索したりはしなかった。春月さんも、あれこれとしゃべったりするわけでもなく、黙ったまま食事を続ける。


 会話はなかったけれど、気まずさもなかった。ひとえに、ばあちゃんの威厳というか、そういうものがあったからかもしれない。







 食事を終えて、お皿を洗って片付けを終えると、ばあちゃんが玄関先にどさっと大きな袋をふたつほど重ねていた。中には、わたしやばあちゃんの洗濯物が入っている。そして、小さな紙袋がひとつ。中には春月さんの制服と下着が入っている。




「ちょいと出かけてくるよ。これをクリーニングに出してこなくちゃね」


「こんなにいっぱい?」


「電気が止まってるんじゃ、洗濯機が使えないからね。あの子の制服がいつまでも洗えないんじゃかわいそうだろ?」


「そしたらクリーニング屋さんもやってないんじゃないの?」


「あすこは大丈夫さ、ディーゼルの発電機があるはずだからね。ついでに夜の分の買い物をしてこなくちゃ。瑠璃はここにいて、あの子の面倒を見てやりなさい」




 言うが早いか、ばあちゃんは袋を両手に軽々と抱えると、力強い足取りでさっそうと出かけていった。今どきこんな田舎で、車も持たずに暮らしていけるのは、あの足腰があってこそだろう。ああいう年の取り方をしたいものだ。


 さて……


 振り返ると、所在なさげにたたずむ春月さんがいる。




「どうしようか。うち、何も面白いものなんかないけど……」


「海……」


「え?」


「海に行きたい」

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