第4話 海へ出て東を目指せ


 魔物の黒い血にまみれた上に、苦労して下山した三人は、道端で休憩を取っていた。


「私の聖剣の威力は想像を遥かに上回るものだった」

 イェルンは言った。

「これなら、戦場に出ても問題ないだろう」

「そうだね」

「そうですね」


 レクスとブラムも頷く。

 イェルンは話を続けた。


「聖地では今も人間軍が魔物軍と交戦中のはず。私たちももう出発して、現地の人間軍と合流しよう。この聖剣の力があれば、私が最も軍功を上げられる。そしてそれをティペル十字軍の、ひいてはティペル騎士団の手柄とするのだ」

「分かった」

「承知しました」


 そこで三人は、近くの川で体と服を丹念に洗ってから、更に南に向かって旅立った。


 聖地フィオレへ行くには船に乗る必要がある。


 人間の国の中央部の大きな山脈を越えて東へゆくよりは、南にある海に出て、そこから東方の魔物の国を目指した方が、早いし、危険も少ない。


 幸い、船賃はたっぷりあった。

 魔物の溜まり場で倒した魔物の数は、百匹は下らない。これらすべての心臓の石を、イェルンたちは丸一日かけて回収している。全てを売り払ったらかなりの金になった。


 十日ばかりかけて海辺の町に辿り着いた三人は、さっそく聖地フィオレへ向かってくれる船を探すことにした。

 ところがこれがなかなか見つからない。


「今は最盛期を過ぎてるよ。だいたいみんなもう行っちゃったから、船の便の数も少ない。しかもたった三人なんて珍しいから、専用の船を出すわけにもいかないし……」

 案内所の娘は言った。

 それからじろじろと三人の顔を見た。

「まあ、お客さんたちみたいな美形揃いなら、特別に案内してやってもいいけど?」

「何、本当か?」

「特に君」

 娘はイェルンを指差した。

「可愛い顔をしてるじゃないか。気に入ったよ。うん。実は乗せてくれる船があるんだ。特別に連れて行ったげる」

 イェルンはまたしてもモヤッとした気分になった。

「案内人殿。紹介してくれるのはありがたいが、その、可愛いからというのは……」

 どうせなら、かっこいいとか、凛々しいとか、逞しいとか言われたかった。

「何? 何か文句ある?」

「あ、いや……すまない。恩に着る」


 イェルンは黙るしかなかった。

 三人が紹介されたのは、さほど大きくはないが意外にもしっかりとした船だった。聖地に近い港までは船でも二十日ほどかかるというから、これくらい立派な帆船でないと航海も難しいのだろう。

 船賃を支払い、乗り込む。


 そこでは、持ち物の点検が行われていた。

 船内の安全確保のために、武器は係員に預けなければいけないという規則があるそうだ。

 イェルンは聖剣を消していたから何も言われなかったが、レクスとブラムは呼び止められた。


「武器を預かる代わりに、この番号札をお受け取りください。下船の際にお渡しいただければ、武器をお返しいたします」

「そうなのですか?」

「しょうがないな……」


 二人は渋々といった様子で剣を係員に預け、木でできた番号札を受け取った。


 他の客の乗船を待って、いざ、船旅の始まりである。


「これが海かぁ」


 甲板に出て、レクスは感慨深そうに言った。


「レクスさんは船旅は初めてですか?」

「そうだよ」

「僕は護衛の仕事で何度か乗りましたね」

「私も父上と兄上について旅に出たことがある」

「騎士団員として……ではないのですね」

「そうだ。私の騎士団での任務は、森の中で人を狙う魔物の討伐だったからな」


 イェルンは少し俯いた。

 もちろん、当時イェルンは魔物を少しも倒せなかった。いつも、イェルンに仕える従士か、腕のある先輩の騎士たちが、イェルンを助けてくれていた。

 実家では家長を継げない次男として生まれ育ち、十四になったら即座にティペル騎士団にやられてしまった。その騎士団でも役に立つことができず、イェルンは、自分の生まれた意味を考えては落ち込むことが多かった。

 それでも、自分には課せられたつとめがある。騎士としての誇りを忘れることなく、聖職者としての慈愛を胸に、常に前を向いて生きなければならない。

 そう思うことができたのは、ティペル騎士団の仲間たちのお陰だった。思えば短い期間だったが、彼らはいつもイェルンに親切にしてくれた。

 うまく戦えないイェルンを励まし、特訓に付き合ってくれた。騎士としてどう生きるべきか、聖職者としてどうあるべきかを教えてくれた。そして寝食を共にし、笑い合い、親睦を深めてくれた。決して、イェルンのことをつまはじきにはしなかった。

 きっと、イェルンが頭を打って気を失っていたあの時も、必死になってイェルンを探してくれていたことだろう。きっと、日が暮れそうになるまで、ずっと。イェルンの仲間たちは、そういう慈悲深い人間だった。

 それが、あんな、ひどい結末に。

 イェルンはぎゅっと拳を握り、歯を食いしばった。


 さて、イェルンたちは与えられた大部屋に入って行った。乗客はここで寝泊まりするのだという。


「ここは……。やたらと狭くないか?」

「そうかな? 俺は寝られれば何でもいい」

「うーん、ちょっぴり狭いですね」


 まあ、文句を言っても仕方がない。

 三人はまとまって一つの区画にお邪魔して、荷物の整理を始めた。


 しばらくは何事もなく日々が過ぎた。


 事件が起きたのは、船に乗ってから十日ほど過ぎた頃だった。

 朝、寝室に船員が飛び込んできて、大声でこう言った。


「緊急事態だ。全員甲板へ出ろ!」

「えっ?」

「急げ! 船長命令だ!」


 何だ何だと人々が起き出す。


「早くしろ!」


 船員は青筋を立てて怒鳴っている。


「何だ。彼はやたらと偉そうだが、どうしたというのだろう」

「本当に全員出なきゃ駄目なの? 俺たちも? 何のため?」

「分かりませんが……海の上では僕たちは無力。船長の言うことに従わなければ死ぬこともありえます」

「そう、だな……」


 三人は不審に思いながらも、さっさと身支度を整えて甲板に出た。

 乗客がみな出てきたので、甲板は人で埋め尽くされてしまった。


「これでは船の重さが偏りはしないか」

「そういうものなの?」

「何だか嫌な予感がしますね」


 その時、「そーれっ」と上から声がしたかと思うと、何かがイェルンたちの頭上に降ってきた。

「なっ!?」

 固くて重いものが頭に直撃し、イェルンは倒れた。訳が分からぬまま立ち上がろうしたが、何かが二重に被さっていてなかなかうまく動けない。


「網だ!」

 レクスが大声を上げた。

「まずい、捕まった!」

 彼はもがいていたが、網が絡まっていて思うように動けないでいた。

「捕まっただと……!? 私たちがか? 彼らは何故こんなことを……」

「騙されましたね」

 ブラムが言った。

「僕たちが案内されたのは、どうやら奴隷船だったようです」

「奴隷船……!?」

 イェルンはすっかり驚いて叫んだ。

「つまりそれは、私たちが奴隷として売られるということか!?」

「ええ。……恐らく僕たちはまだ、人間の国の東側の沖にいます」

「……そういうことか……!」


 人間の国の山脈の東側には豊かな土壌が広がっており、農作物がたくさん取れる。東側に土地を所有する貴族たちは、西側に多くの農産物を輸出して、富を蓄えている。

 一方、西側の土地は痩せていて、特に輸出できるようなものはない。代わって売られることになったのが、奴隷だ。東側の貴族たちは土地を耕させるために人手を欲しているから、西側からの奴隷は良い商品になっていた。


「まずいぞ。奴隷として囚われてしまっては、聖地に行くどころではなくなる!」


 そう言っている内にも、網に囚われてもがいている人が無理矢理引っ張り出されて縄で縛られて繋がれてゆく。


「出でよ、聖剣」


 イェルンは寝転がった体勢のまま言った。パッ、と手の中に剣が出現する。


「いけません、イェルンくん!」


 ブラムが叫んだ。


「何故だ。このままではみんな……」

「やるなら陸に降りてからにしてください!」

「む……そうか」


 海の上では船員が圧倒的に有利。そして、仮に倒せたとしても意味がない。船を動かせる人を殺してしまっては、こちらも動けないからだ。


 イェルンは船員に見つかる前にと、急いで聖剣を消した。周囲の乗客たちが目を丸くしてイェルンを見ていた。


「坊や、その剣は一体……」

「安心しろ。後で必ずみなを助ける」


 イェルンたちも引き摺り出されて、後ろ手を縛られ、一列に繋がれて並ばされた。

 船は舵を切り、陸へと近づいていく。やがて港に入って、停船した。

 縄で繋がれた哀れな奴隷たちは、棍棒で脅されながらぞろぞろと下船した。

 全員が降りたところで、イェルンは改めて聖剣を出した。


「聖剣よ。この縄を何とかしてくれ!」


 聖剣はふわっと浮き上がると、イェルンの手を縛っていた縄を断ち切った。自由の身となったイェルンは、レクスとブラムを助け、次いで他の人の縄を切り始めた。


「そこ! 何をしている!」


 すかさず船員が駆けつけて、棍棒を振りかざした。


「来たな、悪党め!」


 イェルンは剣で棍棒を受け止めて……そのまま押し切られて転んでしまった。

 そして、剣は消えてしまった。


「あれっ」


 イェルンはボコッと背中を殴られた。


「うっ」


「イェルン!」

「イェルンくん!」


 レクスとブラムが駆けつけようとするのを、他の商人たちが阻んだ。

 イェルンは痛みに耐えながら、状況を二人に伝えた。


「すまない、二人とも。あの聖剣は、人間を斬れないようだ」

「ウソーッ!!」

「それは困りましたね……」


 さて、とイェルンを殴った船員が近づいてくる。


「なぁんで商品ごときが武器を持ってたんだぁ?」


 船員はかがみ込んでイェルンの顔を見た。


「ははっ。こりゃまた可愛らしい商品じゃねえか」

「むっ。可愛くなどない!」

「しかもチビで弱っちい。おめぇは労働用でなく、観賞用奴隷で決まりだな。高く売れるぞぉ」

「……?」


 イェルンは怪訝な顔をした。


「奴隷を観賞して何になる?」

「安心しな。ここにはコーレインっつう物好きな貴族様がいてなあ。おめぇはきっと可愛がってもらえるぜ」

「? 奴隷を可愛がるのか?」


「ちょ、ちょちょちょっと待って!」


 レクスが商人たちの制止を力尽くで振り切って駆けつけてきた。


「少年をそういう目に遭わせるのは良くない! 良くないよ!」

「ええ、全くもって不愉快ですね」


 ブラムもまた商人たちの手を掻い潜ってこちらへ来た。


「何だぁ? おめぇらも商品だろうが。分を弁えな!」

「そうだ。おめぇらにはこいつがお似合いだぜっ!」


 横から現れた商人が鞭を振りかぶる。


「危ない、二人とも!」


 叫んだイェルンは、船員に頭をはたかれた。


「おい、あんまり騒ぐなよ。商品に傷はつけたくないんだ」


 レクスとブラムはというと、鞭の一撃を難なく避けた。流れるような勢いで、レクスは拳を、ブラムは蹴りを、商人に食らわせる。


「ぐっ!」


 何だ何だ、と騒ぎが大きくなった。奴隷商人たちが続々と集まってくる。


「ひゃあああ!」


 レクスが早速悲鳴を上げた。


「数が多い! しかも全員、鞭やら棍棒やら持ってるし!」

「ええ、僕たちだけで捌き切れるか……っ」


 さあ、とイェルンは黒髪を掴まれて乱暴に立たされた。再び縄で縛られる。

 レクスとブラムは敵の攻撃から逃げるのに手一杯で、見ていることしかできないでいる。


「イェルン! 奴隷なんて、そんな……! 俺が、俺が助けてやらなくちゃいけなかったのに!」

「いけませんね。イェルンくんがそのような目に遭っては、あまりにも不愉快だ。何とかして助けて差し上げたいところですが……」


 その時だった。

 二人の目の前に、パッと眩い光が二つ現れた。


「!?」


 商人たちが驚いて退く。

 光の中から、声が聞こえてきた。


「汝、レクス、そしてブラムよ。勇者を救わんとする、従者としてのその志、見事なり。汝らを誠の勇者の従者と認め、神の力を授けよう!」


 二つの光は形を変え始めた。

 剣の形を取り始める。イェルンのものよりも小ぶりな、美しい銀色に輝く剣。

 

「は?」

「え?」


 レクスとブラムはあっけにとられてその様子を見ていた。そんな二人の手に、聖剣が綺麗に収まった。


「誠の勇者の従者……って何?」

「はて……」

「もしかして、神様のする判定って、結構ガバガバだったりする?」

「知りませんが、好都合な展開ですね。面白い。恐らくこれなら、人間を斬れます!」


 ブラムは躊躇いなく鞘から剣を抜くと、商人たちに襲いかかった。


「グワアアア!」

「ギャアアア!」


 血飛沫が上がった。ブラムは群がった商人たちの方へ突っ込んで行った。


「ひええ! 俺、人間なんか斬ったことないよぉぉぉ!!」


 レクスは半泣きになりながら、ブラムとは反対の方向、奴隷たちを見張る船員たちの方へ向かって行った。剣を一振りして船員の喉を次々と掻き切る。


 こうして、奴隷商人たちはあっという間に倒れて行った。奴隷貿易の港は、血の海と化した。

 残された奴隷たちは、呆然として立ちすくんでいた。


「はい、片付きました」

「イェルン、無事?」


 レクスがイェルンの縄を切ってくれた。


「ああ、ありがとう。お陰様で無事だ」

「怪我は大丈夫?」

「問題ない」

「良かったあ」


 レクスは安心したように笑ったが、その顔色は真っ白だった。


「レクスこそ大丈夫か? 具合が悪そうだ」

「俺? 俺は平気。気にしないで」


 声も震えていた。恐らく人間をたくさん殺したことに自分でも動揺しているのだろう。敵は悪の奴隷商人だというのに、どこまでも優しい男だ。

 イェルンは手を伸ばして、レクスの頭を撫でた。


「よくやってくれた。お陰で助かった。私も、他の人たちも」

「うん……」


 レクスは座り込んだ。イェルンもその場にしゃがんで、レクスの様子を伺った。……少しだけ、顔色がマシになった気がする。

 ブラムもやってきて、一緒に地面に座った。


「やれやれ、災難でしたね。……さて、どうしましょうか、イェルンくん」

「うむ」


 イェルンは気を取り直した。


「海路で聖地に行く計画は失敗してしまった。ここからは陸路で行くしかあるまい。幸い、山脈は通り過ぎている。あとは少し遠回りになるが、歩けば辿り着けるだろう」

「そうですね。お二人とも、出発できそうですか? それとも少し休みますか?」

「私は問題ない。だがレクスが……」

「ううん、俺も大丈夫。っていうか、早くこの凄惨な現場から離れたいっていうか……」

「なるほど」

「では、出立だな」


 イェルンは立ち上がった。


「行こう。聖地フィオレまで!」

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