第3話 魔物の溜まり場にて

 この世界には魔物の国と人間の国がある。

 大陸の大半を占めるのは魔物の国で、人間の国は西側の隅っこにある。

 両者の仲は大変悪かった。何しろ、魔物は人間を食うことがあるのだ。

 それでも人間たちは果敢に魔物の領地を奪おうとする。なぜなら魔物の領地には、人間たちを守護する神が降り立ったという、伝説の聖地フィオレがあるからだ。

 ここを魔物に占拠されていては教会の沽券にかかわる。教会に主導されて、人間たちは神のために聖地を目指し、魔物と戦争を繰り広げる。こうして数々の十字軍や騎士団が結成されてきた。

 だが、未だに一度も人間側が勝ったことはない。魔物軍は、強力だった。


 それほどの相手を倒すべく、たった三人で結成されたティペル十字軍。果たしてその戦力は如何ほどのものか。


「俺とブラムみたいな、ちょっと強いだけの一般人がいたところで、大した戦力にはならない」


 数匹の魔物を狩った後、森の中で小休憩を取りながら、レクスは言った。


「やっぱり主力はその聖剣だ。それが大群相手に通用するのかどうかを試さない限り、迂闊に聖地には行けないよ」

「しかし、どうやって試すのだ?」

「それなら、うってつけの場所がありますよ」


 ブラムが穏やかに微笑んだ。


「ほう。どんな所だ? 聞かせてくれ」


 イェルンは身を乗り出した。ブラムは静かに語り出す。


「魔物の溜まり場、と呼ばれる、山の中にある窪地です。その名の通り、非常に多くの魔物が巣食っています。しかもその中には、物言う魔物がいるそうですよ。生け捕りにしたら褒賞を出すと、コーレイン公爵が言っています」


 へえーっとイェルンとレクスは聞き入った。


「コーレイン家か。面識はないが噂は聞いている」

「俺、知らない。誰それ?」

「山脈の東側に広大な領地を持つ貴族です。相当なお金持ちと聞いています。そして、珍しい物を集めている好事家です」

「東側かぁ。行ったことないや」

「山脈を越えるのは大変ですからね」


 ブラムは笑って、話を続ける。


「僕は、魔物の溜まり場に何度か行ったことがあります。褒賞金を目当てに挑みに行った人々の護衛だったのですが……。毎度毎度、反撃を食らって敗退しています」

「ひえー! よく無事だったね、ブラム」

「まあ、何とか。……しかし、この魔物の溜まり場、聖剣の能力を試すにはもってこいだとは思いませんか?」

「思う」

「……思う」

「おや、ためらいがちですね、レクスさん」

「それってつまりさあ」


 レクスは腰が引けた様子で言った。


「イェルンの聖剣が大したことなかった場合、俺たちが何とかして逃げ切らなきゃいけないってことでしょ……魔物の大群から……」

「そうなりますね」

「うああああ〜嫌だなあ。怖いなあ」


 レクスは頭を抱えた。


「では、あなただけ行くのをやめて、待機していますか?」

「いや、いや、行くよ」

「おや、どうして?」

「戦力は多い方がいいでしょ。ブラムだってまたやる気をなくしかねないし。俺がいなかったせいで二人が傷つくなんて、もっと嫌だからさ」

「……ふむ」


 ブラムはじっとレクスの顔を見た。


「な、何?」

「レクスさんはお優しいのですね。なかなかに興味深い」

「えっ」

「そうだ。レクスは優しい」


 イェルンは断言した。


「私は一人でも聖地へ行くと言ったのに、それでは気の毒だからという理由でレクスはついてきてくれた。出会った時も、私を魔物から守ってくれた。レクスは臆病だが、それ以上にとても優しい人間なのだ」

「なるほど」

「そんなにはっきり言われるとちょーっと恥ずかしいなあ」


 とにかくそんなわけで、三人は魔物の溜まり場に向かうことが決まった。

 魔物の溜まり場は、イェルンたちの現在地から南へ歩いて三日ほどのところにあった。聖地へ行くためには一度南へ出る必要があるので、ちょうどよかった。

 三人は人里離れた森の奥まで進み、その先にある小高い山の裾までやってきた。


「この先に目的地があります」

「魔物がうじゃうじゃいるってことね」

「イェルンくん、覚悟はいいですか?」

「もちろんだ。精一杯戦ってみせる」

「では僕が先導しますから、お二人ともついてきてくださいね」

「了解した」

「はーい……」


 山道は険しかった。

 ゴツゴツとした岩がいくつもあって行手を阻む。

 崖のような岩肌を登らなければいけない箇所もあった。

 体力の無いイェルンは、真っ先に息を切らせ始めた。


「大丈夫ですか? 休みましょうか?」

「何のこれしき。ティペル十字軍の頭領たるもの、真っ先に音を上げる訳にはいかない」

「いやいや、無理しないでよ。これから戦いが待ってるんだからね」

「そ……そうだった、な……」


 イェルンは足を止めた。


「イェルンは目の前のことに向かって一直線になっちゃう人なんだね。そんなに真面目にやらなくてもいいのに」

「何を言うか、レクス。騎士たるもの、神に恥じない生き方をしなければ」

「だからっていつも全力疾走してなくたっていいでしょ。ほら、水飲んで」

「ありがとう」


 イェルンは羊の胃を受け取って、中に保存していた水を一口飲んだ。

 イェルンの負担軽減のため、こういった旅に必要な道具も、レクスとブラムに持たせている。申し訳ないなとイェルンは思った。

 そういえばティペル騎士団にいた頃も、荷物はみな従士に持たせていた。あの時は特に何も思わなかったものだが……ありがたいことだったのだ。彼らはみな死んでしまっただろうか。イェルンのように逃げ延びた者が他に一人でも多くいて欲しい。


「すまない、二人とも。迷惑をかけた。もう出発して大丈夫だ」

 イェルンは言った。

「分かりました。魔物の棲家までもう一踏ん張りです。頑張りましょうね」

「ひゃー緊張してきた……」


 そろりそろりと慎重に足を運ぶ。岩に手をかけ足をかけて頂上まで登り切ると、確かにその先には大きな窪地があった。岩陰に隠れて様子を窺う。

 そこは紫色の生き物で埋め尽くされていた。大小様々な毛玉たちがうごうごと波のようにうごめいていて、見ていたら気分が悪くなってくる。


「こんなにいるのか。初めて見る景色だ」

「あわわわわわわ」

「イェルンくん、行けそうですか?」

「無論。二人はここで待機していてくれ」

「承りました。ただし、危険だと思ったら助けに入りますよ。多分」

「多分!? 今多分って言った!? お、俺はちゃんと行くから! ……怖いけど……」

「二人とも、よろしく頼む」

「頑張ってね……!!」


 イェルンは聖剣を取り出して刀身を抜くと、岩陰から躍り出た。


「やあーっ!!」


 聖剣の力が爆発的に向上するのを、イェルンは感じた。

 その力の赴く方へと、イェルンは剣を横へと振り切る。

 微かな手応え。それと共に、ドォーン、と地響きのような音がした。


「えっ」


 手近にいた魔物が、ざっと数えて三十匹ほど、宙を舞っていた。

 だった一振りで、これほど? 刀身が伸びたわけでもないのに、届くはずのない範囲まで攻撃が到達している。これは一体どういう現象なのか。

 だが、驚いている暇はなかった。聖剣は次なる攻撃の準備を始めていた。イェルンは慌てて剣を握り直した。

 ドォーン、ドォーン、ドォーン。

 続け様に何十匹もの魔物が殲滅されていく。イェルンはずんずん前に進んでいた。後ろには死骸の山が積み重なっている。


 魔物たちは恐れをなして逃げ惑い始めた。

 小休止。

 イェルンは進むのをやめて、剣を下ろした。

 息は上がっていない。疲れてもいない。


「想像以上だ。ありえない。これが、神の力か」


 魔物たちは窪地を抜け出して山の奥の方へと避難していく。

 目の前の魔物の数が減る。

 すると、聖剣の力がスゥッと弱まっていった。イェルンにはそれが感覚で分かった。何でもできそうな万能感が少しずつ失われていき、自分の体の動きがが体格に見合ったものに制限されてゆく。未知なる力がシュンシュンと萎んでいくような感覚。

 どうやらこの剣は、敵の数に比例して強さが増減する仕様らしい。

 つまり、これが、聖地での戦いだったら……数千もの敵の軍勢を前にした場合……その威力は計り知れないものになる。

 手が震えた。武者震いだ。これなら、聖戦で圧勝するのも夢ではない。


「イェルン!」

「イェルンくん」


 レクスとブラムが駆けつけてきた。


「二人とも」

「すごい、すごいよイェルン! 信じられない光景だった!」

「非常に興味深い戦いでした。素晴らしいです。その剣は一体どうなっているのですか?」

「私にも仕組みはよく分からないのだが、敵の数に応じて強くなるらしい……更に、実際に剣で触れて切らなくても、攻撃が敵に届くようだ」

「えっ、それってつまり、大軍勢相手でも楽勝ってこと?」

「そのようだ」

「すっ、すごいすごい!」

「ええ、これほど面白いものを見たのは生まれて初めてです!」


 三人でわいわいと喜び合っていた時だった。

 イェルンの持つ聖剣の力が、グッと増した。力がみなぎるのが分かる。イェルンはびっくりして剣を強く握り直した。


「……二人とも。何か来るぞ」

「えっ」

「何でしょう」


 ズゥン、ズゥン、と足音が近づいてくる。

 イェルンの背後から現れたのは、熊のような形をした、しかし熊の三倍は大きい体の、二足歩行の魔物だった。


「でっでっでっでかすぎるぅぅ!」

 レクスが怯えた声を上げる。

 だが魔物は三人のそばを通り過ぎて、魔物の死骸の山の方に歩いていった。

 そこで四つん這いになり、「ウォウ、ウォウ」としきりに鳴き始めた。


「何だ……? 仲間の死を悼んでいるのか?」

「わっ分かんないけど今のうちに逃げよう?」

「大丈夫ですよ、レクスさん。イェルンくんがいるのですから」


 その魔物は、くるりとこちらに顔を向けた。

 二本の足で立ち上がり、威嚇するように前足を広げる。

 そして、低い、ガラガラとした声で、こう言った。


「よくも……私の夫と子供たちを殺したな!」


「!!」

「しゃ……喋ったああああああああ!!!」

「物言う魔物です!! 何ということでしょう、僕、興奮が抑えきれません……!!」

「待て、二人とも」


 イェルンは二人を制止し、毅然として魔物を見上げて、話しかけた。


「そこの魔物。夫と子供たち、と言ったな。お前は喋れるだけではなく、家族への情があるということか」

「ガルルルル。弱小な人間が、馬鹿にしくさって!」


 魔物は轟くような声で喚いた。そして衝撃の事実を告げた。


「魔物はみな喋る。人間どもにはその言語を理解できないだけだ。私は人間の言語を勉強したにすぎない」

「えっ」

「そして、魔物の間にも情愛はある。魔物の持つ絆の力は強い。我々は貴様ら人間よりも遥かに情のある生物だ!」

「そ、そうなのか? とてもそのようには見えないが」

「貴様らが見ようとしないだけだろう!」


 魔物は吠えた。


「貴様らこそ、奢侈のために心臓を抉って取り出すなど……! 狂気の沙汰としか思えない。しかも見ろ、この死骸の山を! これらはみな私の仲間だったというのに……!」

「いや、しかし、お前たちだって人間を食べるじゃないか。おあいこだ。それに加えて、我らが神は、魔物を退けて聖地を奪還せよとお命じになられた」


 ぎりり、と魔物は歯軋りをした。


「神!! あの人間贔屓の悪霊……!!」

「悪霊!? お前は神を侮辱するのか」

「たわけたことを。今、私の仲間を虐殺したのも、その神とやらの力なのだろう。どうして恨まずにいられようか!」

「……それは……」

「それに、聖地を奪還するだと? 馬鹿馬鹿しい。フィオレは元から我々の領地だ。勝手に侵略しようとしているのは貴様らの方だからな」

「いや、みなは神を信じて戦っているのだ」

「……忌々しい悪霊め。人間どもを焚きつけおって。何が楽しい」


 魔物はジロリとイェルンの聖剣を見下ろした。


「本来なら貴様らなど一口で食らってしまいたいところだが、今はその悪魔の剣があるからな。退いてやる。しかし、この恨みは忘れない。家族と仲間を惨殺されたこの恨みだけはっ!!」


 魔物は叫んだかと思うと、何匹かの魔物の死骸を抱き抱えた。そして信じ難い身軽さで跳び上がり、窪地を後にして、あっという間に山の奥へと消え去った。


「あ、物言う魔物が……。褒賞金がもらえなくなってしまいましたね」

「ブラム、君、あれを本当に生け捕るつもりだったの!?」

「ええ。あれほどの大きさとは思いませんでしたが」

「いやいや、無理でしょ。第一、用意していた捕縛道具じゃ、あれは入り切らないじゃないか!」

「それはそうですね」


 ブラムはため息をついた。続いてレクスもため息をついた。


「何だ、二人とも。陰気ではないか」

「……だってさ」


 レクスはこぼした。


「……聖地を奪還するのって、本当に良い事なのかな。そこに住んでいる魔物たちを無闇に殺すのって、本当に正しい事なのかな。そう思うと自信がなくなってきちゃったよ」

「……」


 イェルンは生真面目な顔をした。


「気持ちは分かるが、レクス、魔物に絆されて目的を見失ってはいけない」

「えっ?」

「私たちティペル十字軍にとって、聖地奪還が良いか悪いかなどは、関係ない。私たちはただ、教皇様が欲しているものを献上するだけだ。私の目的は、ティペル騎士団の名誉を回復することなのだから」

「そ、それは……」

「ここは人間の国だ。人間の国では教皇様の仰ることが正しいのだ。教皇様に認められればそれ即ち正義なのだ。だから私は、この手で聖地を奪還し、教皇様に戦果を認めていただく。それだけがティペル十字軍の目的なのだ。それを見失うな」

「うっ、うーん」


 レクスは唸った。


「ブラムはどう思う?」

「僕は、この先も面白いものがたくさん見られると思うと、わくわくしますね」

「ですよね……」


 イェルンはレクスを見上げた。


「レクス、お前は旅を続けることに迷いがあるのか? それならば強制はしない。私は構わず進む」


 レクスは非常に困った顔をして、ブラムを見た。


「う〜。それはちょっと……いや、かなり不安だ……」

「何故僕の顔を見て言うんです?」

「護衛が気まぐれすぎて不安なんだよ。だから……うう、俺も行くよぉ」

「そうか。では……頼りにしている」


 イェルンは感謝を込めて言った。

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