第2話 十字軍を結成する


 イェルンとレクスはぽかんとして聖剣を見ていた。


「これは、私が使っていいものなのか?」

「そうなんじゃないかな?」

「そうか。……ひとまず腰に差すか……」


 その瞬間、聖剣はパッと姿を消した。


「消えた!?」


 イェルンとレクスの声が揃った。


「何だ? やはり私のものではなかったのか……?」


 てっきり自分が勇者として選ばれたのかと思って自惚れてしまった。恥ずかしい……と思っていると、剣はまたパッと姿を表した。


「うわっ」


 イェルンは腕を急な重みに襲われて焦った。


「危ない。落とすところだった」

「それ、どういう仕組みなの?」

「私の意志によって出したり消したりできるようだ」

「何それ、超便利」 


 それからレクスは「あ!」と明るい声を上げた。


「ねえ、イェルン。君、剣は二本も要らないでしょ? 古い方を俺にくれない?」

「え? ああ、構わない」

「よっしゃあ、報酬もーらった! こっちの剣は明日にでも売り捌こうっと」


 レクスは機嫌良く言ってイェルンの剣を受け取ると、「さて」と改まってこちらを見た。


「イェルンはこれからどうするの?」

「もちろん、聖地に向かうが」

「そうじゃなくて、今日はもう宿も門も閉まってるよ。寝るところ無いけど、どうする? 俺と来る?」

「……」


 寝る場所のことなど頭から完全に抜け落ちていた。


「レクスは寝るところがあるのか?」

「無いよ。よく路上で寝てるから今日はそれで凌ぐよ」

「……大変だな、身分の低い者は」

「あはは。君も身分がバレたらまずいでしょ? 元ティペル騎士団員だって知れたら殺されちゃうよ」

「……そうだな……」

「なら尚更、隠れていなきゃね。俺とおいでよ。今日は一緒に眠ろう」

「……感謝する……」

「どういたしまして!」


 そしてイェルンは人生で初めて路上で寝た。

 寝心地は言うまでもなく最悪である。ふかふかのベッドが恋しい。

 夜風が涼しいのが救いだ。今が夏でよかった。

 

 眠りが浅いまま夜が明けた。

 イェルンはむくりと起き上がって目を擦った。

 レクスはもう起きていて、よれよれのシャツの襟を整えていた。


「起きた? じゃ、行こうか」

「……? どこへだ?」

「どこって、聖地に行くんじゃなかったの?」

「えっ」

「えっ?」

「ええっ」

 イェルンはすっかり驚いてしまった。

「まさか、レクスも来てくれるのか……? 報酬はもう渡してしまったのに?」

「だって……」

「? 何だ?」

「君一人じゃ、可哀想だよ」


 そう言ったレクスの表情は真剣で、なおかつ慈愛に満ち溢れていた。イェルンは息を飲んだ。


「そんな……そんな理由で、危険を冒せるのか。僕は出会ったばかりの赤の他人だぞ」

「俺はお人好しだからね。困っている子は放っておけないんだよ」

「でも……お前はとても臆病じゃないか。この先は、魔物との戦いの連続になるぞ」

「そして君はとても弱い。聖剣の性能も正直まだよく分からない。それで本当に勝てると思ってる?」

「……」

「だからさ、まずは仲間を探しに行こうよ」

 レクスは朗らかに言った。

「俺たちの代わりに戦ってくれる護衛を探そう!」


 そんな軟弱なことでいいのか、とイェルンは思ったが、レクスの言うことにも一理ある。

 イェルンはおとなしく、レクスの言うことに従うことにした。


 レクスはまず、古びた剣と魔物の心臓を売り払って小金を作ると、護衛を派遣してくれる組合所に入った。


「やあ、大将。今日は、俺たちと一緒に聖地まで行ってくれる仲間を探しているんだ。誰かいない?」

「何だい、おめえさんとそのガキと二人でか? 冷やかしなら帰んな」

「それがさあ、この子は聖剣に選ばれた勇者なんだよ」

「はあ? 寝言は寝て言え」

「寝言じゃないんだなあ、これが。イェルン、ちょっと聖剣を出してみてよ。ここにいるみんなに見せびらかしてみて!」

「え、ああ……分かった……」


 組合所では五名ほどの男たちが仕事を待っていた。イェルンは彼らによく見えるように、聖剣をパッと空中から取り出してみせた。


「これが、私の聖剣だ」


 どよっ、と組合所の面々は声を上げた。その中の一人、すらりとした体躯の長い金髪の男が、突然拍手を始めた。


「素晴らしい!」


 彼は言った。


「面白いですね! 聖剣に選ばれた勇者と、たった一人の従者とは。これほど面白い案件に巡り合ったのは久しぶりです」


 ずんずんとこちらに近寄ってくる。


「そのお仕事、僕が引き受けましょう!」


 その男は、ブラムと名乗った。歳は十九、まだ駆け出しの護衛だが、腕には覚えがあるという。

 ブラムは他の護衛業の人々に呼びかけた。


「どうです、皆さん。これほど面白い仕事はそうそうありませんよ。一緒にいかがですか?」


 しかし他の者は皆一様に乗り気ではなかった。


「いや、明らかにその男、金持ってないし……」

「たった二人とか愚の骨頂でしょ」

「命を懸けるに値せん」

「伝説とか嘘くさいし……」


 レクスは難しい表情をした。


「うーん、そう簡単には行かないか。でも一人来てくれて良かった! ブラム、歓迎するよ!」

「こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」

「よろしく頼む、ブラム」


 話はついたので、三人は連れ立って組合所を出た。


「では、これでひとまず十字軍の結成だな」


 イェルンは言った。

 神の印である十字に倣って、聖地奪還を目指す軍を十字軍と呼ぶ。

 三人で軍と呼べるかはさておき、何事も始めが肝心だ。


「名前はもちろん、ティペル十字軍だ!」

「ええっ」

「ティペルですか?」


 ブラムは驚いたように言った。


「何故その名を? ティペル騎士団なら昨日ちょうど、異端審問にかけられて火刑に処されたと聞きましたが」


 イェルンは、聖地を目指すと志した理由を、ブラムに説明した。

 するとブラムはにやりと笑った。


「なるほど、なるほど。それはますます面白い。イェルンくん、あなたを護衛すると決めて正解でした」

「でもさあ」


 レクスは不安そうに言った。


「何でわざわざティペルって主張しちゃうわけ? 命を狙われちゃうよ」

「いや、ティペル騎士団員がやったのだと世に知らしめなければ、遠征に行く意味がない」

「そうですよ、レクスさん。そうでなければ面白くない」

「うーん。困ったことにならないといいけれど……。まあいいや。ひとまず、旅の資金をもっと稼がなくちゃ。お金はもうブラムに渡した前金で空っぽだし」

「どうやって稼ぐのだ?」

「そりゃ、魔物狩りでしょ。滅茶苦茶怖いけど、俺、それしかやったことないし」


 というわけで三人は町を出て森に入った。

 うろうろと歩き回っていれば自然と魔物に遭遇する。

 この度めでたく現れたのは、狐のような面持ちをした魔物だった。

 ぐるるるる、としきりに唸って、こちらへ襲い掛かる時を窺っている。


「ひえっ」

 例によってレクスは悲鳴を上げた。

「ブラム。すまないが、この魔物を倒してはくれないか」

 イェルンは頼んだ。

「ふむ……」

 ブラムは後ろで結ったさらさらの髪をかきあげた。

「……遠慮します」

「えっ?」

「僕はこの魔物は倒しません」

「ええっ? 何故だ、ブラム? お前は私の護衛ではないか」

「それはそうですが、この魔物は面白くなさそうなので、やる気が出ませんね」

「はああー!?」


 レクスは声を上げた。


「いや、困るって! そしたら俺が倒さなきゃいけないじゃん!」

「ええ、よろしくお願いします」

「む、無理ぃ! 怖いよお!」

「いや、私がやる。これの性能を試してみる!」


 イェルンは聖剣を取り出して、鞘から抜いた。

 ほのかに光を発しているそれは、驚くほど軽く動いた。

 ……というか、剣にイェルンが引っ張られる形になった。


「う、うわあっ」

 イェルンは聖剣の意のままに体を操られ、宙を舞った。


「おや」

 ブラムが興味深そうにイェルンを見ている。


 聖剣は、飛び上がって襲いかかかってきた魔物の頭を的確にとらえて、ズシャッ、と一撃で叩き割った。

 力尽きて地に落ちる魔物の死骸。

 そして勢い余ってイェルンはころんころんと地面を転がった。


「た、た、たたた……」


 イェルンは座ったままの姿勢で口走った。


「倒せたぞ!!! すごい!! 聖剣ってすごい!!」

「イェルンくんは何をあんなに喜んでいるのですか?」

 ブラムは不思議そうに問うた。


「イェルンは、こんなちっちゃな魔物も倒せないほど弱いんだよ」

 レクスが手振りで大きさを示して説明する。


「おや」

 ブラムが垂れ目がちの碧眼を見開いた。


「それは興味深いですね。その程度の少年が、神に選ばれし勇者とは。神様も奇妙なことをなさる」

「俺にもよく分からないよ。でも、これでイェルンが使い物になることが分かった。いやあ、良かったあ」

「ふむ……。あれは、魔物軍の大軍勢相手でも、使い物になるのでしょうか」

「……それは、まだ分からないなあ」

「ふふっ。やはり面白い旅になりそうです」


 その時だった。


「おい、そこの三人組ィ」


 荒っぽい声で呼び止められて、三人は振り返った。

 そこには、いつのまにか、五人ほどの男たちが立っていた。

 全員武器を携えている。ガラが悪そうだが、国王軍の腕章をしていた。平民出身の、軍の下っ端といったところか。


「てめぇら、さっきはティペル十字軍とか言ってたな?」

「そうだ。私たちはティペル十字軍だ!」

 イェルンが堂々と宣言する。


「ひゃははっ、やっぱりそうか。ティペル騎士団の残党か!」

「てめぇらを上官に差し出せば褒美がもらえるぜ!」

「悪いが大人しく捕まりなァ!!」


「ひゃああっ」

 と情けない声を上げたのはもちろんレクスだ。

「やっぱりいい! こうなると思ったあ! ティペルなんて名乗るから……」

「へえ」

 感慨深そうに言ったのはブラムだ。

「下っ端とはいえ国王軍が僕たちを狙ってくるとは」

 その目がきらりと光ったように見えた。

「……面白そうですね」


 ブラムはつかつかと前に進み出た。


「やる気が出てきました。この者たちは僕が相手しましょう」

「ええっ、ブラム一人で? お、おおおお俺も加勢……」

「結構ですよ」


 ブラムは微笑んだ。

 男たちはいきりたった。


「五人に対して一人だとぉ? 舐めくさりおって!」

「ギッタギタに切り刻んでくれるわ!」

「待て、生け捕りにするんじゃなかったのか」

「ああ、そのことなら」

 ブラムはさらりと言った。

「僕はティペル騎士団の出身ではありませんから、お気になさらず。もう、全くの無関係ですから。ただの護衛ですから」

「……」


 いっときの沈黙。

 そして。


「かかれぇーっ!!」


 五人が一斉にブラムに対して剣を抜き、切り掛かってきた。


「ギャアーッ!!!」

 レクスが悲鳴を上げる。

「ブラム!! 危ない!!」

 イェルンも声を上げた。


 ブラムは腰を低く落として剣を抜き放ったかと思うと、電光石火の速さで五人の中に飛び込んでいった。

 キンキンッ、と剣がぶつかり合う音がする。

 次の瞬間にはもう、敵の五人は、痛みに呻いて地に転がっていた。


「大丈夫ですよ。致命傷ではありませんから」

 ブラムは穏やかに言って、剣を鞘に収めた。

「でも、早く帰って治療することをおすすめします」


「ひぃーっ!」

 今度情けない声を上げたのは、国王軍の方だった。

 五人は大慌てで立ち上がり、まろぶようにして森の中を走り去って行った。


「おお」

 イェルンは感動して言った。

「すごいな。強いな、ブラムは」

「いえいえ、それほどでも」

「うん、君が強いことが分かって俺も安心したよ。助けてくれてありがとう、ブラム」

「礼には及びませんよ、レクス」

「それにしてもなあ」


 レクスは木の生い茂っている空を仰いだ。


「性能が未知数の聖剣を持った弱小騎士と、気が乗らないと戦ってくれない護衛と、戦うのが怖くて泣いちゃう俺かぁ。本当に大丈夫かなぁ、この三人で」

「何を言うか、レクス。これからも仲間を集めれば良いだろう」

「集まるのかなあ……」

「集まらなかったとしても」


 イェルンは聖剣をぐっと握りしめた。


「私はたった一人でもやってやると誓ったのだ。そうしたらこの剣が現れてくれた。その上、仲間も二人ついてきてくれた。きっと大丈夫だ」

「そうかなあ」

「そうだ。これは神の御加護だ。だから、間違いない」


 イェルンは力強く言った。


「さあ、資金稼ぎを続けよう」

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