少年騎士と泣き虫剣士と物好き護衛の英雄譚
白里りこ
第1話 少年騎士の決意と奇跡
「ひゃああああああ!!」
辺りに奇声が響き渡った。
剣がガツンと骨を噛む音がする。
続いて、バサリ、と魔物の首が落ちた。
熊のような巨体がドタッと地に落ち、紫色をした毛が逆立った状態から一転、ぐたりと力を失う。土には黒い血溜まりができていく。
魔物を倒した男は、ぜえはあと息をしながら、半泣きの声を上げた。
「ひあああ、こ、怖かったよぉぉぉ!!」
それからこちらを振り返った。その長いまつ毛には、真珠のような涙が滴っていた。
「でも、君の方が怖かったよね……? よく頑張ったね。偉いね」
頭を撫でようとしてくる手を、イェルンはバシッと止めた。
「あれっ」
「助かった。感謝する」
「? どういたしまして!」
男はしゃがみ込んでイェルンをよく観察した。
「ふむふむ……破れてるけど、すごーく良い着物を着ているね。剣もいいものだ。貴族様かな。どうして貴族の坊やが、こんなところでボロボロになって倒れて、魔物に襲われていたのかな?」
イェルンもまじまじとその男を見た。
細い体躯ながら筋肉質だ。先ほどは、刃こぼれのひどい大ぶりの剣を、難なく操って魔物を斬った。
顔立ちは線が細く、目は切れ長で、鼻は筋が通っている。肌は少し日に焼けていた。
「ねえ、どうして?」
男が聞くので、イェルンは答えた。
「坊やなどではない。私はバッケル家の次男、イェルンだ。ティペル騎士団に所属しているが……どうやらはぐれたらしい」
「へーっ、騎士団! 小さいのにすごいねえ。何歳なの?」
「十四だ」
「へえー! あ、俺の名はレクス。国中で魔物狩りをやって日銭を稼いでる浮浪者だよ。歳は二十一」
レクスはまだ涙の残った瞳でにっこり笑った。
「君は若いのに騎士団なんて凄いねえ」
「貴族の家に次男として生まれた者なら、当然のつとめだ」
「そっか、そっか。それよりも、立てる? 怪我はどんな感じ?」
「大層な怪我などしてない」
「ふむ……」
レクスは改めてイェルンのことをじろじろと見た。
「本当にそうみたい。じゃあ、どうしてはぐれちゃったの?」
「……魔物との戦いで、頭を打ってから記憶がない。気づいたら騎士団のみんなに置いて行かれていた……」
「それは、可哀想に。大変だったね」
「大したことはない」
イェルンはすっくと立ち上がった。レクスは慌てて制止した。
「ああ、そんな急に立ち上がったら駄目だよ。頭を打ったなら危ないよ」
「問題ない。それよりも早く騎士団に合流しなければ」
ここは森の中の小道。この先を辿れば、近くの町に着けるだろう。
そうしたら教会が助けてくれる。騎士団の居場所も教えてくれるだろう。イェルンは正式な儀式を行なって修道士となった騎士団員であるのだから。
「そっか、もう行っちゃうのか」
レクスは残念そうに言って、スッと手を差し出した。
「じゃ、君を助けたお礼、もらってもいい?」
「え? あ、ああ……」
まあ当然か、とイェルンは思った。
この者は寄る辺のないその日暮らしの浮浪者。そして自分は人々に施しを与える修道士。
「分かった。何か……」
腰の袋を探ろうとして、イェルンは動きを止めた。
「……ない」
「うん?」
「荷物が無い」
「あちゃー、寝ている間に盗られちゃったかな?」
「そのようだ」
「危なかったね。盗人に殺されなくて良かった」
「……」
「結構長い間寝てたのかな?」
「すまないが今日の日付を教えてくれないか」
「熱月の八日だよ」
「……丸一日経っているな。騎士団のみんなはもう遠くにいるかもしれない」
イェルンはシュンとした。
「じゃあさ」
レクスはにこにこして言った。
「長旅になるなら、護衛代わりに俺も連れて行ってよ。それで、君が騎士団の人と会ってお金をもらったら、俺に対価を支払ってくれる?」
「え……」
「駄目?」
「か、構わないが……」
「よっしゃあ、それで決まり!」
レクスも立ち上がった。
「ちょっと待ってね。この魔物の宝石を取っちゃうから」
レクスはぐさっと死んだ魔物の心臓部に剣を突き刺して、肉を抉った。中からは赤色に輝く石が取り出された。
魔物は狩っても使うところがない。肉は食べられないし、毛皮もすかすかで売れない。その代わり、魔物特有の、石でできた心臓が、宝飾品として好まれる。
かつては王侯貴族だけが嗜んでいた宝石だが、今や一般市民の他にも宝石が渡るようになっている。それも近年魔物が増えたせいだ。そのため高くは売れないが、やはり獲るには危険が伴うので、それなりの値段にはなる。
魔物の心臓は騎士団の財源の一つでもあった。
「さあ、これで終わり。ひとまず近くの町へ向けて出発しよーう!」
「分かった」
こうして、奇妙な組み合わせの二人は、森の中を連れ立って歩き出した。
しばらく行くと、茂みがガサガサと揺れて、小さな紫色の獣が飛び出してきた。兎のような体躯だが、耳は長くない。
「魔物だ」
イェルンは厳粛な面持ちで剣を抜いた。
「ひえっ!?」
レクスは怯えた声を上げた。
「人間に仇なす魔物は斬る。それが騎士団員だ」
イェルンは剣を構えて魔物に斬りかかった。
ところがスカッと剣は空を切る。
魔物が攻撃をよけたのだ。
「えいっ」
スカッ。
「えいやっ」
スカッ。
「今度こそっ」
スカッ。
身軽に飛び回る魔物はレクスの方に向かっていった。
「嘘でしょおおお! こっち来ないでぇぇ!!」
レクスはスッと隙のない構えを取ると、魔物を一刀両断した。
魔物は、黒い血と石の心臓とをこぼしながら、地にべしゃっと落ちた。
レクスは、イェルンの肩を揺さぶった。
「ちょっとイェルン、頼むよぉ! 騎士様なんでしょ! びっくりさせないで!」
「す……すまない。助かった」
「もうーっ。この石は俺がもらうからね!」
「それはもちろんもらってくれ……」
イェルンは非常に情けない気持ちで声を絞り出した。
イェルンは弱い。
幼い頃から鍛錬を積んではいたが、まだ体も成長しきっていないし、何より才がない。騎士団の中でもあまり役に立てていなかった。
それでも志を高く持って、つとめを果たさねばならない。何故ならイェルンは人々を守る修道士であり、誇り高き騎士なのだから。
幸い、その後は魔物に遭遇することもなく、二人は近くの町まで辿り着くことができた。
ところが、街の様子がおかしい。
ひっそりと静まり返っている……いや、人々はみな、こそこそと噂話をしている。
「まさかあのティペル騎士団が……」
「信じられない。俺も世話になったことがあるが……」
そして、国王軍に属しているらしき人々や、修道院に勤める僧侶たちが、厳めしい顔で町を闊歩している。
怪訝に思って眉をひそめたイェルンの背中を、とんとんと叩く者があった。
「? 何用だ」
「坊や、こっちへおいで。早く!」
声の主のお婆さんは、イェルンを手招きした。嫌な予感がしたイェルンは、お婆さんについて路地裏まで走って行った。レクスもついてきた。
お婆さんは焦った様子で言った。
「お前さん、その制服、ティペル騎士団の子だね?」
「そうだが」
「今、大変なんだよ。昨日、ティペル騎士団の団員が突然みんな逮捕されちまった。今、まとめて異端審問にかけられてるよ!」
「……は?」
イェルンは信じられない気持ちで問い返した。
「異端審問だと? それはおかしい。私たちは聖職者だぞ。神に背いてなどいない」
「それが、悪魔の儀式をやってるって、言いがかりをつけられてね。他の町でもティペル騎士団の人は片っ端から捕まっていて……今日にも火刑に処されるそうだ」
「……え?」
イェルンは青ざめた。
「嘘だ。私たちは魔物討伐軍の支援をしてきた、慈善団体だと言うのに」
「国王様のやることだから仕方がないんだよ」
「いや、おかしい。そうだ、教皇様は何をなさっている? 聖職者を束ねる存在であられる、教皇様は!」
「国王様の言うことを、丸ごと信じておられるよ」
「な……」
この国の政治を担う国王と、宗教を担う教皇。この二人のやることは絶対だ。逆らうことはできない。
「さあ、お前さん、早くその制服をお脱ぎ。でないと捕まって火あぶりにされちまうよ!」
「そんな……」
お婆さんは一度その場を去って、間に合わせらしい衣服を持ってきた。
「うちの子が昔に着ていた古着を持ってきたよ。早く着替えなさい!」
「し、承知した」
イェルンはおとなしく服を着替えて、お婆さんに一礼した。
「助かった。恩に着る。あなたに神の御加護がありますように」
「いいんだよ。お前さんみたいな可愛い子まで犠牲になるなんて、私は見ていられない。それだけだからね」
可愛いと言われて少しモヤッとした気分になったイェルンだが、今はそれどころではない。
「レクス、すまないが褒美は後回しになりそうだ」
「いいよ。そんなことより、俺は君の方が心配だよ。念のため、身を隠した方がいい」
「いや、私は向こうを見に行く。みんなの姿を見届けなければ」
イェルンは中央広場の方へと駆け出した。
「ああ! もう、イェルン! うああ〜、放っとけないな〜!」
レクスも後を追って駆け出す。
広場にはもう刑場が設置されていて、武器を奪われ後ろ手を縛られた騎士団員たちが連れてこられているところだった。
「……!」
迂闊に声をかけることもできない。もどかしい。イェルンは丸い黒目を大きく見開いたまま、その光景を見ていた。
団員たちが木の柱に縛り付けられる。
足元の薪に火がくべられる。
あとは地獄のような有様だった。
悶え苦しむ仲間たちの姿と声を、イェルンはしっかりと目と耳に焼き付けた。
彼らが真っ黒に焦げて、こときれるまで。
「イェルン。イェルン!」
レクスの声が聞こえる。イェルンは自分が肩を叩かれていることに気づいた。
辺りは真っ暗だった。見物客はみな家に帰っていた。
「イェルン! 気を確かに!」
「レクス……いたのか……」
レクスは月明かりの下で、ぽろぽろ涙をこぼしていた。よく泣く奴だな、とイェルンはぼんやり思った。
イェルンの目に涙はなかった。イェルンは……激しく怒っていた。
「なあ、レクス……こんな……こんな悪行が許されていいと思うか……」
「……」
「私は許さないぞ。何が何でもフィリッピュス国王を許さない!」
「しーっ! そういうことは小さい声で……!」
「何の問題がある。こんなこと、神がお許しになるはずがないだろう!」
イェルンはぐっと天を仰いだ。まだ煙の立ち上っている夜の空を。
「私は……みんなを悪役のままではいさせない。必ずやティペル騎士団の名誉を回復する!」
「ど……どうやって?」
「私がこの手で、魔物軍を退けるのだ。必ずや魔物から、聖地を奪還してみせる。ティペル騎士団に所属していた、この私がだ! そうすれば教皇様も目を覚まされて、ティペル騎士団が正しかったと認めてくださるだろう。そしてフィリッピュスを破門にするはず……!」
教会から破門された者の末路は、地獄行きだ。神を信じる全ての者にとって、これほど恐ろしい罰は他に無い。
「い、いやいやいや」
レクスは首を振った。
「君には無理だよ、そんなこと。……魔物軍は、国王軍と騎士団が総勢でかかっても敵わない相手だよ。彼らから領地を奪い返すなんて並大抵のことじゃできない。それこそ、伝説にあるような、限られた勇者に贈られるという聖剣でも無い限り、到底無理だよ。……君は、弱いし」
「それでも私は!」
イェルンは叫んだ。
「やってやる! たった一人でも! それが生き残った者のつとめなのだ!」
その時だった。
ぱあっ、と神々しい光がイェルンの前で輝き出した。
そこから、声が響き出す。
「汝、イェルン・バッケルよ。よくぞ勇気を示した。汝を誠の勇者と認め、神の力を与えよう!」
「!?」
イェルンは唖然として目の前の不可思議な現象を見つめていた。
光は集まって形を変えていく。それは輝かしい剣の形になり、イェルンの手に収まった。
「こ、これはまさか」
イェルンは剣を持ち上げた。
確かに重みのあるそれは、イェルンの手によく馴染んでいる。
「伝説の聖剣か!?」
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