第2話 薔薇色のドレス

キャッシュ家のワインが評価されたことで

隣町にあるジャズクラブでワインパーティが行われることになった。



フォガルティ・キャッシュも両親と共にパーティに参加することになった。



キャッシュは、すっかりワインに魅力され

自分も手伝いたいし、豪華な料理も食べられるなら行きたいと両親にウソをつき、彼らも快くついて行くことを許可してくれた。



赤レンガのワイン倉庫としても使われる会場の下を暗い階段で下っていくと心踊るいい匂いがキャッシュを夢中にさせた。



しかしやはり公共の場だからか両親の目はこの場では厳しく、ワインに手をつける時間は全く与えられなかった。



キャッシュはちょっと不服だったのか

サーモンにチーズを巻いた おつまみを

ひたすら食べながら ブドウのジュースで

なんとかごまかし、愛想のいい笑顔を振りまきながら気持ちを鎮めようとしていた。



するとステージの前方から、笑い声が聞こえた。…あまり気持ちのいい笑い声じゃなく誰かを馬鹿にするような笑いだった。



キャッシュは 笑い声の方向へ目を向けると

そこには……赤い薔薇色の衣装を着た人がマイクの側に歩み寄っていた。



……綺麗な人だ。…ずいぶん小さな人……

……子供…? ………男の子…?



キャッシュは、目の前にいる薔薇色のドレスを着た踊り子に急速に惹かれはじめた。



消え入りそうで繊細な声…

しかし伸びやかで濁りのない清らかな声

まるで女性のような天使のような歌声



さらに彼の髪型も 少し長めで 少女のようにも見えた。髪は染めているのだろうか…?

薔薇の花びらのように真っ赤に花開くようだ。



わずかに浮世離れした空虚を見つめる

危うい琥珀色の視線を向けた赤髪の少年



ステージ上で歌い踊る姿からキャッシュは目を離せなくなる。彼のパフォーマンスに

釘付けになり興奮する。



酔った観客からは嘲笑と汚い言葉が飛んだ。



キャッシュだけはステージで歌い続ける彼をずっと目で追っていた。



赤髪の少年は、身震いするほど完璧だった。

歌は賛美歌のように永遠に流れて夜空へ昇ってゆくようだった。



本当に格好よく、そこに誰でもない

一輪の薔薇から産まれた歌姫がキャッシュにだけ届く歌声を語りかけていた。



まるでその時間だけ

まわりの大人たちとは 違った時間が

二人の間に流れ 共鳴するようだった。



歌声が少しずつ小さくなるにつれて

汚い笑い声がどんどん大きくなっていく



キャッシュは両耳を手のひらで塞ぎ

真っ直ぐ彼の目を見つめた。



すると赤髪の少年は

人混みの茂みに埋もれたキャッシュを見た

そして左手を軽く振った

わずかに哀しい影を帯びた笑顔で



キャッシュは息を飲んだ。

その瞬間一気に鼓動が速くなり

何かが音もなく破裂し崩れる感覚がした。



赤髪の少年は

一礼をすると

カーテンの裏へよろよろと入っていく…




すかさず彼の後を追おうとするが

心にある何かが

キャッシュの足を止めてしまう。



どうしてだ。

あの赤髪の歌姫の歌は完璧だった!

バンドとも合っていたし

踊りも目を奪うほどに華麗だった

どうして皆笑う?どうしてあの歌姫が

あんな哀しい笑顔を見せなければならない?



もっと歌声を聴きたい

もっと踊りをみたい

もっと近くで

もっと隣で!

ずっと…ずっと…永遠に!



次の瞬間 キャッシュは とっさに

目の前の観客の持っていたワイングラスを奪い取り後方に一気に下がった。



そして人混みに揺れるなか

勢いよくワインを一口で飲み干した。



ぐらりと揺れる 人の波

ゆらりと流れ込む 白い光

キャッシュの視界が激しく熱く震え始める



頬を真っ赤に染めたキャッシュは、

勢いよく人混みをかき分け

恍惚の表情のままステージ裏に駆け寄る。



しかし赤髪の少年の姿はそこにはなく地面には乱雑に脱ぎ捨てられた薔薇のドレスがあった。



キャッシュは涙を流しながらドレスを強く抱きしめて、くるくると回転木馬のように回りだす。



ドレスから わずかに香る 香水の香りを感じながら、薔薇の花びらが舞うようにいつまでも回り続けた。



ふと鏡に映った自分の姿を見て、彼は一瞬青ざめた。



心の中に ひびが入りそこから無数の薔薇が咲き誇る。



キャッシュは辺りを見回した後、息を殺しながらシャツのボタンをひとつまたひとつ外してズボンも革靴も乱暴に脱ぎ捨て…



すらっとした白い体に薔薇色のドレスを重ね合わせた。



今、僕は…薔薇を纏っている。



弾ける背徳的なワインレッドの欲望が胸の中から邪悪にツタを這わせて撫で回すようだ。



キャッシュは ぎこちない動きで

再びくるくると回り始めた。



ふわりと雲のように浮かび上がるドレス 吹き上がる冷たい風がひやりと太ももをさするように通り抜け思わず声が漏れそうになる。



彼は左手を脚に添えて艶めかしく脚からお尻 背中 うなじ 後ろ髪を撫で 天井へ手を伸ばした。



まるで何かを求めて満たしてほしい…

彼の切ない目からまたひとつ涙が溢れ出る。



すると彼の左手に何かが触れる感覚がした。



…暖かい……指だった。



視線を左斜めに下ろすとそこには

穏やかな顔をした赤髪の少年が、

色気漂う瞳をこちら側に向けていた。



赤髪の少年は 震えながら固まるキャッシュの両肩に優しく手を添えて、自分の両手の指をキャッシュの腕の上にすぅーっと滑らかに滑らせた。



そしてとても熱いキャッシュの指を包み込むように自分の指と絡ませる。



キャッシュと赤髪の少年の間に流れる音が

少しずつ…消えてゆく…



二人の少年の心が交わり繋がり合う



キャッシュは、そっと一歩を踏み出し…



目を閉じた。



しかし赤髪の少年は一歩足を引いた。



目を丸くして驚くキャッシュ



赤髪の少年はいたずらっぽい笑顔を魅せ

そのまま社交ダンスのステップに持ち込む



困惑しながらもなんとか合わせるキャッシュ



赤髪の少年に向けた真っ直ぐな眼差しは

何かを必死に求めて歪み…欲しい!欲しい!と強く訴えているようだった。


もう爆発しそうでたまらなかったのだろう。



巻きつけていたツタが離れるように指が離れ始めた…ぬくもりが少しずつ遠のいていく…



「 …君のほうが、ずっと似合ってるよ。」

キャッシュの耳元に暖かい吐息まじりの柔らかい声が聞こえた。



「 …僕は、ロウズ。ありがとう…踊ってくれて。……お礼にそのドレス…僕からのプレゼント。………また…きてね…?」



彼…ロウズはそう言い残すと

人差し指を自分の口元にそっと当てて

「秘密だよ?」と言うかのように

ゆっくりとステージ裏を立ち去った



……しばらく呆然として動けなかった。

ようやく意識が舞い戻ったキャッシュは

急に思い出したかのように息を吸い込んだ



彼は名残惜しそうにドレスを脱いでシャツとズボンをまた着直し、…ドレスをじっと眺めた。


彼は持ってきた自分の鞄にドレスを巻き込んで折りたたみなんとか収納し、両親にも結果バレることもなく 思い出を持ち帰った。



その夜、家に漂うワインの匂いを感じるたびに彼の胸の中がワインを注がれるグラスのように満たされてゆくのを感じていた。



両親が疲れて寝静まった頃に

月明かりが照らした先には

白い素肌の上に薔薇色のドレスを身につけたキャッシュが 右手で口元を押さえながら

左手を天井へ向けて くるくると回り始める

まるで なにかを 待ち続けているように…



( つづく )

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