第3話 赤く染まるカマキリ ③

 かれこれ小一時間程だろうか、あちらこちらで生きたまま鳥葬に向かうカマキリを眺めながら思案する――何故にこのカマキリはこういう行動を起こすのだろうか。

 『カマキリにとって何かしら直接的なメリットがあるのではないか』

 自らが排除されることで生じる利益。昆虫の仲間には繁殖に際して自らの命を勝てとする例は少なくない。自らの身体を次世代の糧としたり、産卵や育児に必要なエネルギーのために雌に自分が食べられる種も多く存在している。しかし、この場合はそのエネルギーを得るのは鳥類であって交配した雌でも子孫でもない。さらに、いくら捕食者の腹を満たしても捕食者が増えるだけで寧ろ主としては危険を招く結果になるのではないか。事実この辺りの捕食者たる鳥類の密度は高いうように見受けられる。

 親個体が排除されることで食い扶持を減らすという可能性は捨てきれないが、食料に事欠く状況ならなおさら自らが糧となった方が適応度は高くなりそうなものだ。何らかの別の要因が絡むことで自殺して鳥に食べられたほうが適応度が上がる状況があるのかもしれないが、今の所なんとも言えないな。とりあえずこの状況をできるだけ記録して精査するのが良さそうだ。

「今回は状況観察と整理するための情報取得に注力するとしよう。とりあえずセアルチェラにはカマキリの捕獲をお願いしたい。私は巨木と周辺植物の同定材料を集めて鳥類の種判別に必要な特徴を観察して記録することにするよ」

 

――――――


 カマキリの捕獲を頼まれた私は荷物から昆虫採集に必要な装備を整えながらレイシュアに尋ねる。

「どの様に採集しますか?ランダムサンプリング等の手順に習ったほうが?」

「いや、適当に捕まえてくれて構わない。本格的な調査というよりは状況を知りたい。広範囲で・・・そうだな100程度捕まえれば十分だろうか。まずは種の数と雌雄の割合を把握したい。」

「広範囲・・・というと位置情報の記録も取ったほうが?」

「そうだね。ただ大まかで構わない。考えるに違いが出るときはわかりやすい結果になると思う。そうでない場合は、仮説に沿って調査方法を綿密に再設定する必要が出るだろうから・・」

 会話しながら準備を整えた私は「わかりました」と短く答え捕獲を開始した。とはいえ虫取りとも言い難い状況である。最初のうちこそ捕虫網を用いていたが、逃げもしないので早い段階から素手で捕まえて捕虫瓶に放り込むという作業になった。

 途中昼食を取り作業を続け、捕獲が済んだ私は鳥類の記録の手伝いをした。日が暮れる頃には作業を終え、一旦拠点への帰路についた。


――――――


 この手の調査において俗にフィールドワークと呼ばれる野外調査は大変な場合もあるが往々にして楽しいものである。それとは対照的に持ち帰ってからの同定・データ整理・解析といった工程は何倍もの時間も要する。それに加えて行き詰まる要素も多分に含んでいる。く言うセアルチェラも捕まえたカマキリの同定という課題に頭を抱えていた。

「全部おなじに見えるんだけど・・・」

 鳥に食べられる赤いカマキリという事前情報に齟齬はなかったが、裏返して言えば新種かそれに近い種類ということになる。当然詳細な記載のある文献はない。それどころか、この辺りの昆虫類の分類に献身的に取り組んだ人物は少なくとも文書にしてその結果を残さなかったようで周辺に分布するカマキリの情報もほぼ手元にない状態である。腹部の端部の形状で雌雄の判別はなんとなくできそうな気もするが、それだけを持って1種類で雄雌両方いましたという結論を安易に導いていいのかと苦悩していた。

「進捗はどうだい?」

 見計らったかのようなタイミングでレイシュアが現れる。こういうときの助け舟はありがたい。セアルチェラはこれまでわかった事と行き詰まっている点を説明し助言を求めた。

「なるほど・・・。赤いカマキリが1種類か複数の種類にまたがるかという情報は欲しいところだね。この場でもう少し解像度を上げる手法もなくはないけども、予備調査として周辺でカマキリ類の捕獲をして生息している種類をある程度把握してからのほうが効率がいいかな。こちらも後少しで情報整理が終わるので、その後にもう一度現地に赴くとしよう」



―――――


 レイシュアは観察した鳥類の情報整理にそれほどの時間をかけなかった。カマキリと違って鳥の仲間は愛好家と呼ばれる富裕層がそれなりに存在し、ある程度の情報の蓄積があったので比較的早く作業ができた。それに加えてレイシュアは、記録したそれぞれの種におおよその当たりはつけるにとどめた。鳥の種類数が非常に多く且つ科や目を跨いでいた事で、厳密な名前に拘る必要を感じなかったのだった。

(鳥が関与しないもしくは特定の種が関与して他の種は恩恵に預かっているのどちらかだろうか・・。)

 思案を巡らせながらこれ以上は判断する情報不足だなと切り上げて植物の方の作業に移る。そちらはもっと簡単だった。種数が非常に限定的であったことと周辺に分布する種類と何ら変わりがなかったからだ。巨木に関しては本来の分布する環境と少し違うような気はしたが、少し先に見えた森林には普通に生えている種と同じもののようだった。

 今回得られた情報を整理して記録し、採取した材料や使用した道具類を片付けた後レイシュアはそのまま次の調査に向けた身支度を始めた。

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